クラウスは怯えるように一歩二歩と馬を下がらせる。顔色は真っ青で酷く怯えているようだった。村で助けた幼女も、クラウスの腕の中でがたがたと震えていた。ユリウスは珍しい色合いの紫色の瞳をまん丸にして、彼らを見つめる。
村から少し行った、山小屋の近くだった。
「だれ?」
よくわからずクラウスを振り返ると、クラウスはふるふると首を振った。
慌てた時の母みたいだ。母のもよくそう言う表情をしてふるふると首を振ることがあった。それは決まって酷く戸惑っている時で、一度そのまま卒倒したことがある。
ユリウスはクラウスから答えが得られないとわかると、もう一度目の前にいる男たちを見る。男たちは白人にしてはよく焼けた肌を持っていて、物騒な斧や剣を振り回していた。人数は四,五人ほどで、まだ何人か後ろにある小さな山小屋の中にいるようだった。ユリウスとクラウスを見てにたにたと笑っている。
ユリウスは何もわからなかったが、その笑顔だけはなんだか好きではないと思った。
「あなたたち、だれ?」
素直に尋ねると、男たちはにたにたと笑う。
「俺たちは悪い人さ。」
そう一人が答えると、一気に彼らが笑い転げる。
ユリウスは何が楽しいのかよくわからなかった。悪い人だと自分で言うのならばそうなのだろう。もしかすると先ほど見た村の人々を殺したのも、彼らなのかもしれない。殺人は重罪だ。もしもばれれば打ち首にされるのが常だ。
「・・・どうしてあなたたちはこんなところにいるの?」
ユリウスは素朴な疑問を口にした。
ここは山小屋でとても小さく、村からも遠いためものも何もない。悪い人たちの活動に適しているようには思えなかったのだ。
「決まってるだろ。ぼっちゃん、隠れてるのさ。」
盗賊たちは素直に答えた。子供だからと油断している部分があるのだろう。
村の近くには街がある。この時代富が集まるのは都市か貴族の館だが、略奪をすれば都市には軍隊も駐屯しており、兵士がいる。また城壁では出入りの管理がされているため、すぐに捕まってしまう。だから、とるものが少なくても村を選んだのだろう。
「ふうん。そっか。」
ユリウスは彼らが小さな小屋にいる理由を納得した。
「ゆ、ユリウス様。」
クラウスはがたがたと盗賊たちを前に震えている。ユリウスはあまり怖いと感じなかった。ただ捕まれば大変なことになるんだろうなと言うことは理解できた。男たちが近寄ってくる。ユリウスは馬をいななかせ、そして自分の持っていた鞭で、クラウスの馬を叩いた。
彼の馬は驚いて息を勢いよく走り出す。ユリウスはそれを確認して、自分の馬を勢いよく走らせた。
「待て!!」
馬を持っていない盗賊たちがすぐに遠ざかっていく。クラウスも幸いなことに、驚いてはいたがすぐに逃げるために馬を操った。二人とも馬を操るのが上手であったことが幸いした。クラウスは馬を必死で駆る。たどり着いたのは少し開けた川の近くの場所だった。
「・・・とうさまに、はなしにいかなくちゃ。」
ユリウスは川の当たりまで出て、冷静にそう言った。
「え、あ、あの。」
クラウスは震えが止まらない手で手綱を握り、何を話せばよいのか口を開いたり、閉じたりして何かを話そうとしていた。だが、うまく言葉が見つからない。強盗に遭ったのだから、恐怖を覚えても当然だ。
だが、ユリウスはあまり恐怖を感じなかったようだ。
「たいへんだもんね。またひとがおそわれたらこまるから、とうさまに言いにいこう。」
あっさりと彼はそう言った。先ほどのことなどまるでなかったみたいに。クラウスの腕の中ではまだ幼女ががたがたと震えている。
あの強盗の中に両親や家族を殺した人が混ざっていたのかもしれない。泣き声も上げることなく震える幼女は哀れだったが、ユリウスはよくわかっていないようだった。不思議そうに彼女を見て首を傾げている。
高位の貴族として育ったユリウスは彼女がどれほどの恐怖を味わったのか、よくわかっていないのだ。彼は恐怖という感情をおおよそ抱いたことはないから。
「んー、と。」
ユリウスはポケットの中から方位磁石をとりだし、それをかざして位置を確認する。
「離宮は北だから、あっちかな。」
街の近くにある離宮まで戻るには数時間ある。ずっと聞こえている狼の遠吠えが酷く気になったクラウスは、震えながら言った。
「ひとまず、狼から遠ざかりましょう。近い。川を越えて、進めばにおいも消えるでしょう。」
「でもぬれるのはいやだよ。」
ユリウスはそう主張した。あまりに子供らしい主張過ぎて、クラウスは頭を抱えたくなった。
「・・・狼はにおいを頼りにしてきます。川に入れば俺たちの馬のにおいは消えるでしょう。追跡も。」
追跡も途絶える、とクラウスが言おうとした時、ユリウスがぱっと顔をあげた。
「やばいかも。」
ユリウスが遠くを見つめて言った。
「馬をおいていくよ。クラウス。」
「え、あ、え?!」
「はやく!早くしないとだめだよ!!」
ユリウスは戸惑うクラウスを叱咤する。仕方なくクラウスは馬を下りて、幼女を抱きかかえた。先ほどまで湖をいやがっていたと言うのに、ユリウスは馬から荷物をおろし、それを頭の上に持ち上げてぬれないようにして、あっさりと湖へと入っていった。
「はやく!」
クラウスをユリウスがせかす。クラウスは仕方なく幼女を抱えたまま仕方なく水に入った。7月とはいえ水は冷たかったが、仕方がない。川を渡りきったところで、ユリウスは次は木に登り始めた。
「はやく!」
理由も知らされないまま言われて、クラウスは流石に怒りを感じた。もともと彼の身勝手が引き起こした事態だ。だがユリウスは酷く淡々としていて、落ち着いていた。わかっているのか、わかっていないのかわからない。
それが一層クラウスをいらだたせたし、不安にさせた。
「おいで、」
ユリウスは少しぬれた幼女を先に抱き上げ、クラウスを木の上に引き上げた。そしてそのまま木の上の方へまで上っていく。重さに木はぎしぎしとなったが、彼は折れない程度に太く、そして高い木を選んでいた。
川の向こう側においてきた馬がいななきをあげる。
クラウスは木の幹に座って耳をそばだてていると、すぐに気がついた。狼の遠吠えが徐々に近くなっているのだ。
「まさか・・・」
馬が逃げていく。そしてそれに続くように、狼がやってきた。一匹の狼がやってきて声を上げたかと思うと、また一匹と数が徐々に増えてきて、あっという間にたくさんの狼が馬を追いかけていく。
ユリウスはおそらく、それに先に気がついたのだ。馬は確かに走るのが速いが、狼の群れは数が多く、持久力がある。すぐに捕まって三人とも餌食にされてしまっていただろう。
「・・・こまったなぁ、どうしようかな。」
ユリウスはぷくっと頬を子供らしく膨らまして腕を組んだ。
馬が亡くなってしまえば歩いて山を下りるか、離宮まで行かねばならない。子供の足で歩くのは大変だ。ましてや救い出した幼女を歩かせることは怪我の具合からも難しい。
「さむい?だいじょうぶ?」
ユリウスは幼女に尋ねて、ぬれていない自分の上着を彼女に掛けた。
「クラウス、さま?」
クラウスは戸惑いながらもユリウスを見やる。
どこまでわかっていて、どこまでわかっていないのか、クラウスはユリウスがよくわからなくなった。賢い公子だと言うことに異存はない。だが、本当に先ほどのように狼がくるのをわかったり、方位磁石で行き先を把握したりと、能力的には非常に優れている。なのに抜けていることが多数ある。
酷くアンバランスな大人と子供の境界がユリウスの中には矛盾なく存在しているのだ。
「よし、村まで戻ろう。」
ユリウスが名案を見つけたように手を叩いて言う。
狼はいつの間にか過ぎ去っていた。だが、クラウスは彼の言葉におとなしく従うことができそうになかった。また惨劇の場に行こうとする彼がわからなかったが、彼はすぐに木を降りてしまった。
追いつく猶予