は子供と夫の帰りをシューネン離宮で待っていた。
「・・・もうそろそろ日が傾くのに、」
窓の外に見える太陽は煌煌と輝きを放つ。その光は徐々に赤くなっていた。
だが、ギルベルトたちが帰ってくる気配はない。軍人なのでもしかすると強盗団を見つけるための山狩りなどに参加しているか、もしくは違うのか。ひとまずは不安ながらもシューネン離宮でひたすら帰りを待つことになった。
何の報告も受けていないが、ギルベルトたちが帰ってこないのと共に、息子も帰ってこない。もしかすると何か彼がいらないことをしでかしたのかとは不安になった。
「大丈夫です?」
ゆったりとした微笑みを浮かべて、王太后のゾフィー・ドロテアがに尋ねた。
「・・・はい。」
一応頷いたが、の表情が晴れるはずもない。言葉と裏腹の表情にゾフィー王太后が気を悪くした様子もなく、困ったように微笑んだ。
「公子をご心配ですの?」
「・・・はい。」
心配に決まっている。
ユリウスはにとって愛しい息子だ。愛した人との間にできた、本当に大切な宝物だ。日頃どれだけ生意気であろうとも、彼はの息子で、本当には彼を愛している。その心は大きな心配を生むし、不安もうむ。その愛情の深さ故に。
「ユリウス公子は神童と言われるほどに成長が早いと噂になっております。」
ゾフィー王太后が微笑む。
「闊達な公子です。大丈夫でしょう。」
ユリウスがゾフィー王太后に挨拶をしたのは、つい昨日のことだった。
今回国王の行う大々的な狩猟に招かれたユリウスは、シューネン離宮に着くと同時に国王と、ユリウスに元々興味を持っていた王太后に会うことになった。緊張気味のユリウスだったが、王太后に頼まれると機嫌良くピアノを弾いたり、暗記したラテン語を暗唱したりと才能を見せた。少し生意気なところもあるが、ゾフィー王太后はユリウスのことを大変気に入ったようだった。特にピアノの才能を見て、今度宮廷に招きたいと微笑んでいた。
ゾフィー王太后は幾人もの子供を出産し、王妃になるべく嫁いだ娘もいる。その彼女に言われているのだから、確かにユリウスは賢いのかもしれない。
「お座りになって、ゆっくりとお待ちになった方がよろしいわ。」
ゾフィー王太后に席を勧められて、は窓の外をずっと見ていたのだが、仕方なく椅子に座った。すぐに侍女が紅茶を持ってくる。
「大丈夫です?お気持ちをしっかり。」
女官のマリアンヌがやってきて、を励ました。
どうやら彼女も仮の一団に夫と共についてきたらしい。結婚する前からの友人には少しほっとして、息を吐いた。紅茶を飲めば、少しからだが暖まって、心が落ち着く。
「・・・すいません、落ち着かず。」
は申し訳なくなって頭を下げたが、ゾフィー王太后は首を振った。
「息子が心配なのは当然のこと。誰も責めたりしないでしょう。」
「ありがとうございます。」
ゾフィー王太后の心遣いは素直に嬉しい。だが、はいてもたってもいられないざわつく心を抑えることができなかった。ギルベルトとユリウス。二人がいないという事実が、を酷く不安にさせる。
「よろしいです?」
控えめなノックの音が聞こえて、王太后が返事をすると、テンペルホーフが入ってきた。
彼の表情は暗い。は胸騒ぎがして、俯いた。何か悪い知らせなら、聞きたくはなかったが、息子や夫が心配だ。
複雑な心境のままに思案していると、テンペルホーフが重い口を開いた。
「村は、強盗と狼に襲われたようでした。あと、ユリウス公子が、いらっしゃらないと。」
彼の言葉には目を見開く。
「いない?」
「はい。どうやら一団をお離れになったようです。」
「あぁ・・・、なんてことを。」
あれほど言ったのに、と嘆くしかない。もともといろいろなところに興味を持つ子だ。興味に負けて一団を離れることは十分に考えられた。
ましてや日頃ならばまだしも、タイミングが悪すぎる。強盗団と鉢合わせれば、綺麗な服を着ているユリウスはただではすまないだろう。誘拐され、身代金を要求されるか、下手をすれば殺されるかもしれない。それから逃げたとしても森には狼がいる。馬では、狼から逃げ切ることはできない。
「もっと厳しく言っておけば良かった・・・。」
は思わず頭を抱える。王太后の前ではあったが、こみ上げてくるものを押さえるのでやっとだった。
疎ましそうに「わかってる。」とユリウスに返されることがよくあった。だからも最近では注意する
のを控えていたのだが、疎ましそうな顔など、彼を亡くす痛みに比べたら、小さいものだ。
「ぎ、ギルベルトは、」
はすがるような思いでテンペルホーフに尋ねる。
「もちろんご無事です。捜索に参加されているのでお帰りになられておりませんが、大丈夫です。」
「良かった・・・」
これでギルベルトまでいないと言われては、はもうどうすればよいかわからない。僅かに安堵したが、それでもユリウスの喪失は大きかった。
窓を見れば赤い光がもうすぐあたりを支配する頃合いだ。そうなってしまえば、夜が来る。強盗も危険だが、暗闇の中でできることなど限られているだろう。だが、それは捜索を続けるギルベルトたちも、同じだ。馬とて夜目が利くわけではないのだ。狼をのぞけば。
「・・・バイルシュミット将軍と陛下はしばしお探しになるそうなので、戻るのは遅くなるとのことでした。」
テンペルホーフが気遣わしげにを見ながら報告する。
「くれぐれも、様にはシューネン離宮でお待ちいただくようにと。」
「わたしも、息子を探しに行きたいのですが、」
「いえ、バイルシュミット将軍が、これで様まで何かあれば大変だと、仰せでした。」
どうやらギルベルトはには捜索に出てほしくないようだ。
元々ギルベルトはユリウスに対しては様々なことをやらせるが、には心配性だった。本人曰く女性と男性の役割の違いらしい。そしてユリウスは後々成長していろいろな人々を守っていかなければならないが、は自分に守られていてほしいと、昔言っていた。
だが、それが今は歯がゆい。
「ユリウス様と共に、フォン・シェンク家のクラウスも一緒のようです。ですから、大丈夫でしょう。」
テンペルホーフはを安心させるようにゆっくりと微笑んだ。
クラウスはユリウスをよく知っている。興味本位にふらふらしていたユリウスを見ていたのかもしれない。
「すいません。陛下にもご迷惑をおかけして申し訳ないとお伝えください。ほかの、方々にも。」
はそう言って、テンペルホーフにも丁重に礼を述べてから、退出を命じた。
部屋には重苦しい沈黙が流れる。
「お気を確かに、」
マリアンヌがの隣に来ての肩を抱く。
「は、は・・・」
はい、とは返事をしようとしたが、言葉にならなかった。口元を手で押さえ、首を振る。何でこんなことになったのか、そう思えば息子が心配で涙が出てきた。
「様。」
マリアンヌがそっとの頭を抱き寄せる。
「きっと、あの子、多分自分で勝手に・・・」
他人にさらわれたなどであればわかるが、おそらく彼は興味に負けて自分で遊びに行ったのだろう。もともとそう言うところのある子だ。賢い癖に、自分の行動が起こすことの重大さを理解していない。それは幼い故なのだが、賢いだけにやることは少年たちと同じなのに、危機管理や、責任能力に欠けるのだ。
たくさんの人に迷惑をかけることを、彼は実際によくわかっていない。
息子のことは心から問題だ。彼はの宝物であり、身がよじれるほど心配だ。たくさんの人に捜索という点で迷惑をかけていることを、は酷く申し訳なく思う。
「大丈夫ですわ。ユリウス公子は闊達で賢いのですから、すぐに帰ってきますわ。バイルシュミット将軍と一緒に。」
涙ぐむの背中をマリアンヌが撫でる。その言葉だけが、を支えていた。
きっと俯いて泣いてしまうから