クラウスはユリウスと離れたが、すぐに立ち止まった。 

 空は赤から紫色へと緩くうつりかわっていく。その柔らかな色合いに、二人の人を思い出した。紫色の瞳を持つのは、ユリウスとユリウスの母であるフォンデンブロー女公だ。そして赤色の瞳を持つのが、ユリウスの父であるバイルシュミット将軍ギルベルトだ。

 いつもユリウスを温かい目で見つめる、ふたり。間近で、クラウスは見てきた。




「・・・うぅ、」




 太陽を見れば、責められているように感じる。クラウスは後ろを振り返る。すでにユリウスと幼女の姿は見えなかった。

 ユリウスはよくしゃべる癖に、ろくに説明をしてくれない。自分が何を考えているのか、こちらが驚くほど賢い癖にきちんとした説明を全くしてくれないのだ。だからいつもユリウスは勘違いされがちだ。賢いから、その賢さをいたずらに使っている。と。

 本当は彼がいたずらを仕掛けた侍従官はユリウスの父である将軍の悪口を言っていたし、湖で銃をうとうとしたのだって、領民がカラスに困っているのを聞いたから、撃とうとしたのだ。ちゃんと理由があって、なのにユリウスはそれをきちんと説明せず、すぐに謝ってしまう。

 だから、クラウスはいつもユリウスを理解せずあしざまに言う大人に対して、歯がゆい思いがあった。違う、彼は誰よりも優しい。決して賢さを遊びに使っているわけではない。彼は、ただ純粋に謝るから、理解されないだけ。


 無鉄砲なこともするけれど、彼の言葉や判断が間違えだったことはないのだ。




「・・・」




 クラウスは俯いて考える。自分がどうするべきなのか、このまま現実的に麓に下りられるのかを考えた。自分の足でどれだけ歩けるかを考えれば、馬があればまだしも、馬がなければ難しいだろう。数日かかるかもしれない。

 なら、多分ユリウスの言葉が正解なのだ。必ず数日以内に村の確認に役人や兵が訪れる。死体のある場所でいるのは恐ろしいが、それでもあそこにいるに越したことはないだろう。




「・・・結局、彼の言うことが正しいのか。」




 クラウスは仕方がなく、ユリウスたちがいた方へと目を向ける。だが、ふとクラウスは馬に乗った人影を見つけて、目を見開く。




「あ、あぁ!」




 帽子に見覚えがあって、クラウスは思わず声を上げた。

 プロイセン軍の帽子だ。何度も見ているその帽子を、クラウスが見間違えるはずがない。あちらも声に気がついたのだろう。くるりとこちらを向いた。見ればどうやらアルトナインハルト少佐のようだった。




「おや、何をしてるんだ?」




 アルトナインハルト少佐はクラウスに尋ねる。もうそろそろ35歳に届く年齢の彼は、軍人としてのキャリアも既に長い。国王の覚えがめでたいわけではないが、クラウスにとっては頼りになる大人だ。




「あの、バイルシュミット将軍と離れてしまいまして」

「あぁ、私もだ。一団と離れてしまって、」




 アルトナインハルト少佐は馬をクラウスの隣で止める。




「あの、ユリウス公子も一緒に離れてしまったのです。あまり遠くには行っていないと思うのですが、あちらで、」






 クラウスは必死で彼に助けを求める。

 ユリウスに何かあってはクラウスの進退に関わるし、クラウスの父・アルフレートは酷く困るだろう。もしかすると彼も罰されるかもしれない。そう思えば、クラウスはいてもたってもいられなかった。




「わかった。」




 アルトナインハルト少佐はかなり驚いたようだったが頷いて、クラウスを手で招く。どうやら馬に一緒に乗せる気はないようだ。疲れていたが、クラウスは仕方なく歩くことになった。

 ユリウスと幼女が消えていった方へとゆっくりと歩いていく。

 しばらく行くと、ユリウスが木の上にいた。かなり高い木の上で、どう考えても大人が上れそうなレベルではないところまで上っている。彼が乗っている枝も酷く高く、枝を切るどころか、揺らすことすらできそうにない。




「・・・クラウス、と・・・」




 ユリウスは木の下にやってきたアルトナインハルト少佐と、クラウスを見て驚いた顔をした。
どうやら。




「私はアルトナインハルト少佐だ。私も隊からはぐれてしまってね。彼に偶然ユリウス公子が行方不明なのを聞いてね。強盗もいるという噂だし、一緒にバイルシュミット将軍を捜さないか?」




 アルトナインハルト少佐は、ユリウスは一瞬紫色の瞳を見開いたかと思うと、幼女ががたがた震えているのを見て、納得したように彼女を抱きしめた。




「彼は、誰?」




 ユリウスが剣呑に眉を寄せて、クラウスを、そしてアルトナインハルト少佐を睨み付ける。日頃はユリウスの眉はと似ていて円形だ。だが、その表情は、怒ると眉がまっすぐにつり上がるギルベルトによく似ていた。

 クラウスは目を見張る。彼が、これほどに険しい表情をしたことはなかった。




「彼は、アルトナインハルト少佐だよ。知らないの?プロイセンの少佐で、あ、君の知り合いの女官エミーリエは確かアルトナインハルト少佐の元奥さんだよ。」

「あると、ないんはると?」




 ユリウスはクラウスの言葉を繰り返すが、警戒は解かなかった。




「で、それでどうするの?」

「こちらに下りてきて、一緒に父上を捜しましょう。」




 アルトナインハルト少佐は酷く優しげな声音で言った。




「そうですよ。ユリウス公子、彼は馬を持っているのですし、」




 大人ならば安心だ。クラウスはそう思って、アルトナインハルト少佐の言葉に付け加えた。ユリウスはじっとクラウスとアルトナインハルト少佐を見て、口を開いた。




「・・・これから、どうする気なの?」

「一緒に、バイルシュミット将軍を捜しましょう。」




 同じ言葉をアルトナインハルト少佐は繰り返す。




「ちがうよ、これからぐたいてきにどうするかだよ。ひがおちるだろ。」




 ユリウスは厳しい声音で言った。

 彼が聞きたいのはユリウスの父であるバイルシュミット将軍を捜すとして、仮にどうするのかという話だ。

 もうすぐ日が暮れる。赤と紫が混ざり合っていた空は徐々に紫色と黒が混ざり合っている。夜が来れば馬でも動くことはできない。狼だって出てくるかもしれない。バイルシュミット将軍を捜せないと考えて、当然だ。




「どうするとは?バイルシュミット将軍の元に帰りたくないのですか?」




 アルトナインハルト少佐は落ち着いた様子を装い、ユリウスに尋ねる。




「かえりたいにきまってる。でも、ほんとうにそうできるのか、れいせいにかんがえるべきだもの。」




 父親の元に返りたくないかなんて、答えは当然「Ja(はい)」に決まっている。だがそれでもユリウスは安易に木から下りようとはしなかった。幼女を抱きしめたまま、じっとアルトナインハルト少佐の答えを待っている。




「・・・クラウス、こっちにおいでよ。もうすぐ日がくれる。木の上でまとう。」




 ユリウスがアルトナインハルト少佐の顔色を窺いながら、ちらりとクラウスを見る。クラウスはどきりとした。彼がどうしてそんなことを言っているのかよくわからなかった。目の前にアルトナインハルト少佐という大人がいる。普通ならば大人の言うことに従うべきだ。だが、ユリウスは簡単にそうしようとはしなかった。




「簡単に、人質にできると、思ったのだが、」




 アルトナインハルト少佐はゆるりと笑って、唐突に弾の入った銃を、ユリウスの方に向けた。向けられた銃口をクラウスは信じられない思いで見つめる。





「ど、どうして、」

「下りてこい、そんな上にいずに。手元が狂うだろう。」




 戸惑うクラウスの言葉を無視して、木の幹のくぼみに隠れるユリウスに、アルトナインハルト少佐が冷たい声音で言った。




「何を、」




 クラウスは呆然とした面持ちで、先輩でもある軍人を見上げた。




「・・・まぁ、権力闘争かな。」




 彼は何でもないことのように答えた。




「・・・まさか、ユリウス公子を、」

「そうだ。疎ましいからな。」




 アルトナインハルト少佐がゆがんだ笑みを浮かべる。それを見ながら、クラウスは初めて自分の失敗に気がついた。





  あなたを信じられなかった報い