焦る心のままに、ギルベルトは舌打ちをした。
ユリウスの痕跡は水に入ったのか犬たちのにおいでもたどれないらしい。ユリウスの馬の死体があったところから、ギルベルトたちは何の手がかりもつかめていなかった。
空は赤く染まり、もうすぐ日が暮れてしまう。そうなれば、捜すことは難しくなる。
「・・・ちっ、」
先ほどから焦る心をどこに持っていったらよいのかわからない。馬を駆ってあちこちを捜したが、誰もユリウスを見つけられなかった。
「ちょっと待て、闇雲にさがしても、だめかもしれない。」
フリードリヒは突然ギルベルトにそう言いだした。
「え?」
馬を止めたフリードリヒをギルベルトは振り返る。
「これだけ捜してもだめなんだ。狼から逃れるために水に入ったことと言い、・・・ユリウスは馬鹿じゃない。」
子供らしからぬ判断力を持つユリウスだ。闇雲に歩き回って、危険に会うようなまねはしないだろう。それは狼から逃れるために水に入ったため、犬が彼のにおいを追えなくなったことでも示されている。
彼は明確に目的があって動いているかもしれない。また強盗や狼から脱げるという明確な意図を考えれば、ギルベルトたちも含め、人が簡単に見つけられるような場所に出てくるとも考えにくい。こちらも闇雲に捜してもだめだ。
「・・・まず、強盗を排除してしまうか・・・?」
フリードリヒは考えて、ちらりと一団の兵の数を数える。国王がいるのでこの捜索団の兵はかなり多い。麓の村人たちも4,50人いるので、二つの分けても問題はないだろう。ならば、強盗の掃討は、今フリードリヒにできる一番手早い仕事だ。
「よし、そこの20人は村の近くを捜索し、強盗の後を追え。殺しても構わん、」
フリードリヒは将校に命じる。
ユリウスに危険なものは三つある。強盗と、狼、そして夜になって困るのは寒さや飢えだ。ユリウスの知識からして狼に対しては木に登るなどして防衛戦をはれるかもしれないし、寒さや飢えに関してはこちらから彼を見つけられない限り何もしてやることができない。だが、強盗に対してなら、こちらからしてやることができる。数が多ければそれだけにおいも残っているだろう。
「おまえもしっかりしろ、ギルベルト。ユリウスがどう考えるか、おまえが考えろ。」
フリードリヒはうろたえて使い物にならないギルベルトに投げやりに言い捨てる。
「ユリウスが、考えるか?」
「そうだ。ユーリは賢いんだから、彼がどう考えるか、考えろ。」
冷静に考えれば、ユリウスはどうするだろうか。
もう暗闇に近づく今、彼は何を考えるだろう。不安よりも目の前のことの処理に目を向けようとするならば、彼はどうするだろうか。
ユリウスが望むことは2つある。一つは日が暮れて強盗に遭わないため、逃れることと、ギルベルトたちの集団を見つけることだ。狼からは木に登れば簡単に逃れられる。ならば彼はどうするだろうか。一番強盗から逃れられて、かつギルベルトと合流するならばどう行った場所を選ぶか。
「村に、行くぞ。」
「・・・なぜ?」
ギルベルトが言うと、フリードリヒが間髪入れずに尋ねた。
「・・・俺がユリウスなら、そうするからだ。村に向かう。」
確かに死体が転がる村は気味が悪いだろう。だが、必ず確認のために兵たちが訪れる。だから軍に見つけてもらう可能性の一番高い場所であることは確かだ。また、軍がくる可能性のある場所に戻ってくる強盗がいるとも思えない。ならば、ユリウスはその強盗の心理を利用するだろう。
また、麓の村に歩いて行くにはユリウスはまだ幼すぎる。途方もない時間と迷うかもしれない上強盗に遭うかもしれず、村に着くという確証もない。そんな成功率の低い作戦をたてるほど、ユリウスは馬鹿ではなかった。
それにユリウスはまだ死の概念がよくわかっていない。遺体を気味悪いやにおいがすごいなど生理的な嫌悪感はあっても、それが襲ってくるとか、宗教的にどうなのか、と言った恐怖はまだ感じないはずだ。
ならば、ギルベルトや軍と会う確率を高めるために、必ずユリウスは村の近場に滞在するだろう。夜に入れば村に近づくことを中断して、木の上などに上がるだろうが、どちらにしろ村に向かうはずだ。
「・・・死体の中で、待つか?」
常識的に考えれば、人間は死体を怖がる。正直誰しもが死体になるわけだし、死体は動かないので生きている人間ほど怖くないはずだが、人は見えないものを怖がる傾向にある。それは揺るぎない人の心理だ。あが、子供であるが故に彼は当てはまらない。
「あいつは、俺の息子だ。一番だとは言わないが、よくわかってるさ。」
怖がっているのは事実だろう。だが、ユリウスはそう言ったことを表に出すのが下手だし、感情を視野に入れて動くことが少ない。別に感情が些末な問題だと思っているのではないが、統治者として育てられているユリウスは、自分の判断に私情を入れることを嫌う。
案外、上手ではないのだ。賢い癖に。息子は。
まだ子供で、甘えたなくせに、ちゃんと我慢しているのも知っている。にわがままなことを言いながらも、ちゃんと尊敬していることも、彼女がユリウスを心配して卒倒した時も、驚いて泣き出すほど、母を心配したのだ。そう言うところも含めて、彼をいとおしいと思っている。
「・・・見つけたら殴ってやる。」
ギルベルトが呟くと、隣のフリードリヒが苦笑する。
「なんだよ。」
「そんなこと言って、どうせユーリに甘いのはおまえだろ。」
フリードリヒはギルベルトが息子をどれだけ甘やかしているかを知っている。それにぽつりとが文句を言うこともよく知っていた。
確かにギルベルトは息子をかわいがっている。
細かいことを心配しても仕方がないので気にしないようにしているが、それでもギルベルトは彼が生まれた日のことも、その感動も、愛しさも、忘れたことはない。はその心配を表に出すが、自分は出さない。だが同じくらい、息子を心配しているのだ。
「たり前だろ、あいつが目に入れても痛くないくらい、かわいいんだからな。」
涙が出そうなほど、嬉しかったのだ。彼が生まれた時。その彼をかわいがるのは当然だった。
「陛下、強盗が村から近い山小屋に・・・、」
村の近くを捜索に参加した兵を率いていた将校がやってきて、フリードリヒに報告する。
「それが・・・ユリウス公子とクラウスらしき子供を、見た、と。」
「何!?」
ギルベルトは思わず将校に詰め寄る。将校はギルベルトの様子に驚いたようだったが、口早に説明を始めた。
「馬に乗って逃げたみたいなのです。」
どうにか機転を利かせてユリウスたちは逃げたようだ。ギルベルトは訃報でないことを知ってほっとする。
「強盗が、アルトナインハルト少佐の部隊にいた傭兵みたいなんです。」
強盗たちを捕らえたのだろう。
傭兵はプロイセン軍にもたくさんいる。また、戦争になれば兵士が必要となり大量に雇われる半面、戦争が終われば解雇されるため、職をなくした傭兵が強盗を働くといった事例は多くあった。武器の使い方も知っているので強敵だ。
だが、20名以上の正規軍の兵士にやられてはひとたまりもなかったようだ。
「・・・馬ってことは、強盗に遭って、逃げたのか。」
その後、狼と遭遇しそうになって馬を捨てたのだろう。ユリウスの馬の死体は既に見つかっている。
「強盗は押さえたが、アルトナインハルト少佐がどう動いているのか、」
フリードリヒは眉を寄せる。彼がどんな目的で動いているのかが全くつかめない。元傭兵の強盗に村を襲わせる理由はない。だから偶然言わせて連絡を取ろうとして、アルトナインハルト少佐は一団を離れたのだろう。なら、ユリウスとは何の関係もないのか。
「わからないな、ひとまず彼を捜さないと、」
フリードリヒは顔を上げ、兵たちに捜索の継続を続けるよう命令するために、口を開いた。だが、言葉が出る前に、銃声が響き渡る。
全員が銃声の方向を見る。ばさりと、鳥が飛び立つ音がした気がした。
「・・・ユリウス・・・?」
ギルベルトの狼狽えた、酷く小さな声が沈黙する兵の間で響いた。
きみのひかりとぼくのひかり