ユリウスは焦っていた。

 アルトナインハルト少佐は軍人で、銃の狙いを外すとは思えなかった。対してユリウスは一度も銃を撃ったことがない。母であるは、ユリウスが父であるギルベルトの銃を分解して遊んだ時に、ユリウスに銃の使い方を教えるように傅育官やギルベルトに言った。ユリウスは銃の使い方を知っている。だが、学習と実際が違うことも、ユリウスはわかっていた。

 だから、焦ったし、失敗すればクラウスが撃たれるかもしれない。クラウスから銃口が離れて自分に向けられようとする瞬間でなければならないし、自分は撃たれたくない。クラウスから銃口が離れ、自分が撃たれるまでの微妙な間。それが、ユリウスに与えられた時間だった。




『命は、大切なものですよ。』



 母のは銃を持つことを覚えたユリウスを注意するように優しくそう言った。宮殿の湖でカラスを撃とうとしたのだが、それはどうやら法律違反である上に、父の逆鱗に触れたらしい。やはり父の銃をばらしてもう一度組み立てたのが徒になったようだった。




『この武器は命を奪いますが、その半面、あなたの大切なものを救うものでもあります。使う時はよく考えてくださいね。』





 命を奪うことは、重大なことだ。銃という武器は、それを簡単にしてしまえる。だが、それは同時に、誰かを守ることに繋がる行為にもなるのだ。その選択をするのは、統治者だという。ユリウスは統治者ではないが、クラウスは自分の臣下になると教えられた。

 集団のリーダーがすべきことも、多分同じだろう。




「・・・」




 ユリウスはこっそりと背中に持っている銃の最初のレバーを引く。手で探っているだけなので、ちゃんとできているのかよくわからない。かちりと言う音は、遠くから聞こえる狼の声にかき消された。

 太陽が真っ赤に染まって山に隠れていく。その緋色に、父の瞳を見た。

 彼が教えてくれたのだ。銃の使い方を。だから、大丈夫だと早鐘を打つ胸を必死で落ち着ける。自分はプロイセン有数の将軍の息子だ。きっと誰よりも上手にできるはずだと、自分に何度も言い聞かせた。




「さて、終わりだな。」




 アルトナインハルト少佐は木から下りたユリウスに向かって満足げに笑い、クラウスから目を離した。




「ユリウス公子!」





 クラウスが大きな声で叫ぶ。それに意識を向けないようにして、ユリウスは敵の動きだけを注視した。

 アルトナインハルト少佐はクラウスからユリウスに銃口を向けようとする。クラウスの口が悲鳴の形を作った。ユリウスは手の震えを必死で押さえながら、まっすぐ敵から目を離さず、銃口を向けた。

 声すらもかけなかった。

 銃声が響き渡る。ユリウスの撃った銃は彼の胸に向けられていたが、狙いはそれて腹に当たった。鈍い音が響き渡って、アルトナインハルト少佐は腹を押さえてうずくまった。




「ぐっ、う、」




 だが、彼も軍人だ。耐えてそのままの体勢を保ち、ユリウスを狙う。その体に、クラウスが体当たりした。





「逃げてください!!」




 クラウスは叫んで、アルトナインハルト少佐の銃を奪おうとする。ユリウスははっと我に返って、銃を装填すべく膝をついた。




「何してるんですか!速く逃げて・・・!」

「クラウスがいるのに、にげられないよ!」




 ユリウスは必死の思いで叫んで、クラウスがアルトナインハルト少佐を抑えている間に、銃を装填する。もう一度アルトナインハルト少佐に向けた。だがクラウスと取っ組み合っているため、狙いがつけられない。アルトナインハルト少佐が、ユリウスに銃を向けようとするのをクラウスは必死で縋り付いて止めていたが、大人と子供だ。大きな体力の差があり、すぐにクラウスははね飛ばされた。

 ユリウスがもう一度弾を撃つ。だがその弾はそれてアルトナインハルト少佐の左腕に命中した。彼の手に持った銃がユリウスに向けられ、銃が放たれる。痛みのせいか、アルトナインハルト少佐の銃はユリウスの肩をかすっただけで、左に抜けていった。

 血が出てて、痛みが肩に走ったが、それをユリウスは無視した。





「こいつ!」




 アルトナインハルト少佐がユリウスに掴みかかろうとする。だがその体を、横から来た何かがはね飛ばした。




「ぇ、」




 ユリウスはあまりの状況について行けず、きょとんとする。何かが過ぎていった場所を見れば、それは馬だった。馬には当然人が乗っている。




「ユリウス!!」




 聞き慣れた父の声が憤りを含んでいて、ユリウスはびくりと肩を震わせた。




「と、とうさま、」




 敵に対して一歩も引かなかったユリウスだが、思わず一歩後ずさる。

 ギルベルトは馬から慌てて下りてくると、はね飛ばした人物など全く気にもせず、ユリウスに走り寄った。そして膝をつくとユリウスの体を手で触りながら、肩の傷を見て表情をゆがめ、ユリウスの頬に確かめるように触れると、ユリウスの体を力一杯抱きしめた。




「馬鹿野郎、どれだけ心配したか。」




 ユリウスは父親に抱きしめられ、ふらりと力を抜く。

 温もりに張り詰めていたものが、全部なくなってしまったようだ。ギルベルトに会えれば、もう自分が決断することもないし、何もかも大丈夫だ。そう思えば、怖いとか、どうしようとか、不安に思ったことのすべてが一気にこみ上げてきて、ユリウスは父親の肩に頬を押しつけた。





「ユーリは無事か?」




 国王であるフリードリヒや他の兵士たちが見ているのに、ギルベルトはユリウスを抱きしめて離さない。そしてユリウスももうこみ上げてくる涙をどうして良いかわからなかった。




「う。ぅ、・・・えぇ、」




 父の服をぎゅっと握って、顔を押しつけて声を殺す。するとそのまま抱き上げられて、幼い頃にしてもらったように優しく揺すられた。





「・・・泣いて、しまいましたね。」




 将校や兵士たちが苦笑してユリウスを見つめるが、それが子供としては当然だったし、ユリウスとしても、不安でなかったわけではないのだ。むしろ不安を見ないようにして、現実の処理を必死で考えていただけ。




「馬鹿、泣くんならそもそも離れたりするんじゃねぇ。」




 軽くこづかれて、それでも声音は優しいし、ユリウスを離そうとはしない。




「こっちはどれだけ捜したと思ってんだ。まったく。」

「父親に心配をかけるんじゃないぞ。」




 フリードリヒも馬から下りて、ギルベルトに抱かれるユリウスの頭をそっと撫でつける。父と同じ銀色の髪はふわふわ揺れる癖に、堅い。




「それにしても、大丈夫か。クラウス・フォン・シェンク。」




 フリードリヒが泥だらけで膝をついているクラウスに手をさしのべる。先ほど殴られ、取っ組み合っていたためぼろぼろだ。クラウスは躊躇いながらフリードリヒの手を取った。どろどろの上に、あちこち青あざや擦り傷がついている。手当が必要だろう。




「シューネン離宮に帰れば医師もいるからな。馬には乗れそうか?」

「・・・大丈夫です。」




 クラウスは国王に気丈にそう答えたが、片足を引きずっており、そもそも馬上に乗るのが難しそうだった。




「無理そうだな。ふむ、誰かの馬に乗せてもらうと良い。さて、犯人の方はどうだか・・・」

「アルトナインハルト少佐は・・・虫の息です。」





 ギルベルトの馬にはね飛ばされたアルトナインハルト少佐は、首か、腰の骨を折ったのか重傷の状態だった。おそらく寝たきりになるか、どちらにしても処刑されるのは目に見えている。他国の公子であるユリウスを殺そうとした罪は重い。




「それにしても良かったですね。」





 将校の一人が、縋り付くユリウスを見てギルベルトに言う。




「本当に良かったぜ。心臓が縮むかと思った。」




 心配を隠そうともせず、ギルベルトは言って、ユリウスの背中をぽん、ぽんと叩く。

 ユリウスは酷く安心した心地だった。泣いたのもあるのだろうが、ひとまず疲れと眠気が意識を支配していく。張り詰めていた気分がなくなったからと言うのもあるだろう。だが何よりも、父親の腕の中は心地よい。温かくて優しくて、自分を必ず守ってくれるとわかる。

 ここに、危険はない。





「とうさま、」




 ユリウスは父親の胸に顔を埋めた。

 肩はまだ痛むけれど、父がいれば大丈夫だと心から安心した。





  体温に近い声色