が心配のあまり熱を出したという報告を受けたのは、帰り道の馬の上だった。
馬に乗っているギルベルトは兵の報告に仕方ないなと肩を竦めたが、ギルベルトの腰にしがみつくようにひっついているユリウスはその報告を聞いて目を見張ってびくりとした。
は基本的に体は強いが、精神的に弱いところがある。ユリウスの行方不明を聞いて、さぞかし震えたことだろう。特に彼女は幼い頃に肉親を自殺と戦死でなくし、17歳になる頃には家族は夫であるギルベルト以外にいなくなっていた。
ユリウスはにとっては大切な、自分が作ったたった一人の家族だ。そのユリウスがいなくなったと聞いて、心落ち着かせることなど、できるはずがない。
「おまえ、わかってんのか。はおまえを心配したんだぜ。」
ギルベルトは軽くユリウスの背中を叩く。だが、反応は薄かった。親指を加えて、ギルベルトの腰にしがみついている。泣いている風はないが、やはりそれなりにショックだっただろうし、怖かったのだろう。
ギルベルトは結局、それ以上ユリウスを責める気にはなれなかった。
「かあさま、だいじょうぶ?」
ユリウスが震える声で問う。小さな嫌がらせの意味でも、ギルベルトは肩を竦めて見せた。
「さぁな。は心臓が小さいからな。」
心配のあまり泣きじゃくっているかもしれない。いざとなればゾフィー王太后が宥めてくれるだろうし、も気丈に振る舞うだろうと期待していたが、流石に我が子となれば強がりは続かなかったらしい。
「帰ったらちゃんと慰めてやるんだぜ。」
ユリウスの頭をくしゃくしゃとかき回す。銀色の髪はギルベルト譲りだが、円形の眉などはによく似ている。
「悪かったな。クラウス。」
将校の馬に乗せてもらっているクラウスは酷い状態で、傷だらけだった。青あざや泥で酷い顔になっているが、それは多分ユリウスのせいでもあるのだろう。父親である自分が謝らなければならないと思ったのだが、クラウスは首を振った。
「謝るのは俺の方です。」
クラウスは目を伏せる。
「俺、・・・本当は、公子を守らなきゃいけなかったのに、結局守られて、俺、逃げたのに。」
ユリウスを信じられなくて逃げたと、クラウスは泣きそうな顔で言った。
「ごめんなさい。」
彼の謝罪に、ユリウスは別段反応を返さなかった。やはりいろいろとショックがきいているらしい。正直に疲れたというのもあるのだろう。
ユリウスが助けたという幼女は、別の将校の馬に乗せてもらっている。酷く怯えた様子を見せていた幼女は2,3歳で村の生き残りだという。村の生き残りは麓にたどり着けた数人だけで、幼女を知る人間はいたが、元々孤児だったらしい。こちらで引き取り先を捜さざる得ない様子だった。
シューネン離宮に戻ればあたりはもう真っ暗だったが、白い薄手のドレスの上に、厚手の毛皮を羽織ったが真っ先に出てきた。彼女の顔は赤みを失っており、長い間玄関で待っていたのかもしれない。
彼女の隣にはテンペルホーフが立って、困ったような顔をして何かを言っている。おそらくとともに待っていたのだろう。まさか護衛役としてついている彼だけが暖かい部屋で待つわけにもいくまい。
「ユリウス!」
が息子の名前を呼ぶ。するとユリウスははじかれたように顔を上げた。
「かあさま!」
馬から下ろすと、全速力で母親の方に駆けていく。足下は暗くて見えにくいが、それでもこけずに走って母親に思い切り抱きついた。
生意気な口調も聞くが、まだ甘えたな年頃だ。普通の反応だと言える。
「あぁ、ユーリ、本当に無事で良かった。」
も息子を抱き留め、安心したように大きく息を吐いた。
泣きはらした目が痛々しい。心配でいても立ってもいられなかったのだろう。ギルベルトだって、同じ立場に立たされれば同じ心地がしたと思う。
「本当に、どれほど心配したか、」
「ごめん、ごめんなさい、」
につられたのか、ユリウスも泣き止んでいたのに、目に涙をためていた。
「かあさま、熱、出したって・・・」
「大丈夫です。あなたが無事なことが私にとっては何よりの喜びなのですから。」
は首を振って、ユリウスの頬を撫でる。そして肩についた血を見てはっとした。
「・・・どうしたのです?これ?」
慌てた様子でハンカチを取り出して傷口に当てる。もう血は止まっているように見えたが、はかなり驚いた様子だった。
「アルトナインハルト少佐が裏切ってな。その銃がかすめたらしい。」
ギルベルトはちらりと後ろで紐につながれて引っ張られている男を一瞥した。
同僚であったが、仲が良かったわけではないし、ユリウスを傷つけたという点では万死に値すると言っても良い。強盗たちも軍隊の名簿から元傭兵であるというのが確認できた。だが、人を殺しての強盗は重罪であり、死刑を免れない。アルトナインハルト少佐と共に、死刑になるだろう。
とはいえ、アルトナインハルト少佐は正式な裁判をへて死刑になる前に、傷で死にそうだった。ユリウスが撃った銃弾は二発、命中している。あげく面倒だったので縛ったまま馬の後ろに乗せるという荒々しい方法での運搬であったため、なおさらあとどれくらい生きるかはわからなかったし、死刑になるもののための治療を軍医が本気で行うかどうかも怪しかった。
「銃、・・・大変・・・」
は医者を呼ぶように女官に命じる。ユリウスは大げさだと主張したが、泣き腫らした母の目に振り返られれば言葉を失ったようだった。
「ひとまず無事で良かったさ。」
フリードリヒがユリウスを抱きしめるにそう笑う。
「はい。本当に・・・・」
は涙ぐんだ状態のまま、神妙な面持ちで頷いた。
「本当にご迷惑をおかけしました。」
ユリウスを抱いたまま深々と頭を下げる。
確かに今回の事件は完璧にユリウスの浅慮が招いた。国王であるフリードリヒを始め、クラウスや兵たちにも多大な迷惑をかけたことを、も理解していた。
「いや、ユーリは私にとってもかわいい息子のようなものだからな。」
フリードリヒは不機嫌な顔一つせず、軽く笑った。
「体調を崩したそうだが、大丈夫だろうか?道すがら報告があった。」
「そうだ。おまえだよ、おまえ。大丈夫か、。おまえ熱を出したって。」
フリードリヒの心配にギルベルトはが体調を崩していたことを思い出して、駆け寄ってユリウスを抱き取ろうとする。
熱が出たと聞いたので、もうだいぶ重くなっているユリウスを抱くのは辛いのではないだろうか。そう思ったが、は首を振ってを抱きしめた。
「えぇ、大丈夫です。軽い熱で、お薬をいただきましたから。」
「そうか、」
ギルベルトはの目尻の涙をぬぐってやる。
は基本的に健康だが、精神的に弱いところがある。体調を崩すのは基本的に精神的な負荷がかかった時だけだった。
「ごめんね、かあさま。」
ユリウスがの首元にぎゅっと抱きつく。
「良いんですよ。わたしはあなたが無事なだけで、本当に」
はそう言って、ユリウスを抱きしめて涙ぐむ。
兵たちが徐々に解散していく中、ギルベルトたちもシューネン離宮の中に入っていく。シューネン離宮の客間にある暖炉の前にはゾフィー王太后がいた。
「大丈夫でしたの?」
犬を抱いて、入ってきたギルベルトや、フリードリヒに尋ねる。
「はい。少し怪我をしておりましたが、幸い。」
が答えると、彼女もゆったりと頷いて見せた。どうやらユリウスの帰りを待っていたらしい。
「怪我の手当をせねばなりませんね。マリアンヌ、」
ゾフィー王太后は女官を呼び、医師を呼びに行かせた。
しばらくすると医師が訪れ、に抱かれているユリウスを椅子に座らせてから、腕の手当を始めた。
ギルベルトがちらりとフリードリヒを窺うと、同じ表情をしている。
ユリウスから何があったかを細かく聞き出さなくてはならない。アルトナインハルト少佐の罪を問うために。
あなたにいのる せめてものやすらかなるいざないを