ユリウスはホットミルクをもらうと、やっと安心したのか安堵した様子を見せたが、カウチに座るギルベルトとの側から離れようとはしなかった。
やはりショックが抜けないのだろう。
怪我の手当が終わってやってきたクラウスを見て、ますます表情を硬くしての方にしがみついた。は小さく息を吐く。おそらく怒られることも分かっているから、ギルベルトの傍にいたいけれどしがみつくようなまねをしないのだろう。
ギルベルトにこっぴどく怒られ、のドレスの裾に隠れ、顔を押しつけてギルベルトを見ないと言ったことが、何度か前にもあった。それは決まって重大ないたずらをしでかした時と、決まっていた。がきつく怒れないから、それを利用しているのかもしれないと困ってもいたが、今はかなり傷ついているのが分かったので、も黙っておくことにした。
「アルトナインハルト少佐はギルベルト疎ましさにユリウスを殺そうとしたと言うことか。」
クラウスから事情を聞いたフリードリヒは確認するように尋ねる。
オーストリア継承戦争の折、フォンデンブローは跡取りのカール・ヴィルヘルム公子を失った。その痛手は大きかったため、とギルベルトの結婚は融和の象徴であり、ユリウスの存在は和解の証だった。
「はい。私が先に少佐に会って木の上にいたユリウス公子に下に下りてくるよう促すために、銃を私に向けたのです。ユリウス公子が木から下りてらっしゃって、持っていた銃を発砲なさったのです。」
だから決して悪いのはユリウス公子ではないとクラウスはすがるように言った。
ユリウスはじっとにしがみついてのドレスに顔を埋めているので表情は窺えない。は息子の背中を軽く叩きながらクラウスの話を聞いていた。
「よく頑張ったのですね。」
小さくが声をかければ、ユリウスはびくりと肩をふるわせた。
銃の使い方はギルベルトの銃をばらした時に教えてはいたが、実際に撃たせたことはなかったのだ。は同時にユリウスに銃が人を奪える武器であることを教えていたから、罪悪感がなかったわけではないだろう。腹とはいえ、アルトナインハルト少佐に傷を負わせたことは賞賛すべきことだし、何よりも殴られているクラウスを守ろうとしたのならば、責められることではなかった。
「ち、ちがうよっ、」
ユリウスは涙で濡れた瞳でを見上げる。
「だって、クラウスが危ない目にあったのも、全部、ぼくが、その、カラスを追って、一団をはなれたから、だから、」
「カラス…、」
はなるほど、とユリウスの頭を撫でた。が見つけた上空のカラスを、彼もまた見つけていたのだろう。興味が勝つユリウスのことだから、それを追って一団を離れたのだ。
「クラウスはぼくが行くって言ったから、一緒に来たんだ、だから、クラウスが悪いんじゃないよ。」
ユリウスの訴えに、はゆっくりと首を傾げてフリードリヒの方を見る。
一応彼も予想はしていたのだろう。身分の高いユリウスを身分の低いクラウスが止めることはむずかしい。だから、ユリウスがクラウスを引っ張っていったと考えるのが自然だった。
「アルトナインハルト少佐の裁判に関してはまた、証言してもらうことになるだろうが、ひとまず無事で良かった。」
フリードリヒは穏やかな青い瞳をユリウスに向ける。
ギルベルトの息子であるユリウスを何かと好ましく思っていろいろと援助してくれているフリードリヒだ。親であるたちと同じように心配したことだろう。
「ごめんなさい。」
ユリウスは俯きがちになってのドレスを握りしめた。
自分の非はよく理解できているらしい。がちらりとギルベルトを見ると、彼も物言いたそうだったが、息子の反省の色に我慢しているようだった。憤りが影を潜め、ただ心配の色だけが映る。
「本当に、クラウスにも申し訳ないことをしましたね。」
はユリウスと同じように俯いているクラウスに笑う。
クラウスの頬は未だ自分で冷やしているし、体中に痣や傷があり、また足はひびが入っているのか酷く腫れていて、しばらくは安静と言うことだった。
「ありがとう、あなたのおかげでユリウスは無事だったのでしょう。」
がお礼を言うと、クラウスはやりきれない表情でますます俯いてしまった。
「それは…逆です、様。私がいたからユリウス公子は危険な思いをしたんです。ユリウス公子が止めたのに、勝手に別行動をして、アルトナインハルト少佐にユリウス公子のことを。」
もっと慎重になるべきだったと、クラウスは言う。
成り行きを考えれば、ユリウスの傍を些細な諍いで離れ、アルトナインハルト少佐にユリウスが一緒にいることを話し、連れてきてしまったあげく、人質とされてしまったことに関しては、クラウスが責められる理由があるだろう。そもそももし大人であれば、君主の元を離れるなどと言うのは考えられない。
とはいえまだクラウスとて12歳だ。そう思えば、些細な判断ミスを責めることはできないし、諍いも抑えられない感情も当然とも言えた。
「…どちらにしろ、ユリウスは無鉄砲なところがありますから、迷惑をかけました。これからも、よろしくお願いします。…あ、ただ、嫌でなければ、ですが、」
こんなことがあったのだ、流石にユリウスについて行くことは難しいと考えているかもしれない。彼は今、プロイセンの士官学校で勉強しているし、将来プロイセンに仕官することも可能だろう。が語尾を濁すと、クラウスが顔を上げた。
「それは、もう、私はだめと言うことですか?」
「だめ?」
はクラウスの言うことがよく分からず、首を傾げる。するとの肩をギルベルトが抱き寄せて、言葉を換えた。
「違う、おまえが、ユリウスに仕えることに納得しているかという問題だ。もしこのままユリウスに仕えるなら、おまえは命までこいつに預けることになる。今回のことも、その気持ちが変わる要因にならなかったか?」
ギルベルトが言うと、今度はユリウスの方がのドレスを掴んでいた手を離し、顔を上げる。
ユリウスはいつかフォンデンブロー公爵として、公国を治めるのだ。臣下であるクラウスはいつかユリウスに命を預ける存在となるだろう。今回ユリウスは彼を見捨てなかったが、愚かな行動に出たのは事実だ。そしてクラウスをそれに巻き込んだ。その浅慮が重大な事実になることだってあるし、これから君主と臣下になればそれによって見捨てられる可能性だって出てくるのだ。それでも命をかける価値があると思うから、皆君主に従う。
愚かな君主に従う臣下は、少ない。君主が臣下を選ぶ権利があるように、臣下も君主を選ぶ権利がある。
「ユリウスがいて言いにくいなら、外に出す。」
ギルベルトははっきりと言ったが、それは息子のためだ。
覚悟のない臣下が息子の傍にいても、意味はない。信頼に足るものが必要なのだ。甘言を用いる人間はいくらでもユリウスの側に寄ってくる。だが、常に信頼に足る人間なのかどうかを試し、足らないと判断すれば切り捨てろと、ユリウスに教えたのはギルベルトだ。
子供として以上に、君主として必要なことを。そう思うギルベルトの教育はの言うことよりもおおざっぱだが、おそらく将来何よりも役に立つだろう。
過ごす時間は決して長かったわけではない。それでもにいろいろなことを教えたカール公子のように。
「ユリウス公子の方が、おいやだと思います。だって、にげた、から」
クラウスは初めて鼻をすすってそう言った。青色の瞳があっという間に潤み、ぐっと唇を噛む。
「そ、そんなこと。別に…ただの、喧嘩だし、」
クラウスはユリウスを見捨てるような心地だったようだが、おいて行かれた当のユリウスはただの喧嘩のように考えていたらしい。
「私は、一度逃げた身です。だから、罰を受けるべきだと、思います。」
こらえきれなくなったのか、俯いて握りしめた拳にぽたぽたと水滴が落ちる。ずっと心の中で責めていたのだろう。
クラウスは元々フォンデンブロー公国に長らく存在する貴族の家系で、父親が取り立てられてからはの側で勉強し、ユリウスが生まれてからはずっと傍にいた。父親であるアルフレートはいつもクラウスに将来ユリウスに仕えるのだと言い聞かせていたから、なおさらだったのだ。
喧嘩をしたとはいえ、少しでもユリウスから離れ、挙げ句彼の命を危険にさらした自分が許せない。だが、それでも、彼はユリウスを大切に思い、使えることに疑問を抱いていない。
ギルベルトは静かにクラウスの言葉を聞いていたが、にやりと笑う。
「…二度目はない、だな?」
問えば、クラウスは涙でいっぱいの目のまま口を開いたが言葉が出てこず、こくこくと何度も頷いた。
だから、も若い少年の小さな裏切りは目をつぶることにした。
あなたが守りたいものを 見つめて