狩りの成果を一番に持って帰ってきたのはギルベルトだった。大きな牡鹿で、角が凄くては驚いたが
ギルベルトは慣れたものだった。

 エリーザベトに言われて花冠と口づけの祝福をギルベルトに贈っただが、あまりの恥ずかしさに顔を
まっ赤にしたため、皆から笑われていた。しかし笑いと言っても嘲るような物では決してなく、まだうぶな花嫁
をはやしただけだ。誰だってそう言う時期もあったのだから。





「・・・・は、恥ずかしい、」






 は赤くなった頬を手で押えて俯く。彼女にとっては人前で自分の婚約者であれ口付けるなんて事は考
えられなかったようだ。





「なんだ、この間した、だろ?」






 ギルベルトは恥ずかしがるが面白くて、意地悪を言う。






「そ、そんな、あれは、」






 遠乗りの時に、キスはした。それもさっきのように触れるだけのキスではないのもした。でもにとっ
ては酷く恥ずかしいことだったのだろう。ふるふると泣きそうな顔で首を振っていた。






「嫁入りまえに、そんな、の、」

「どうせ嫁にくるんだから、いいじゃねぇか。」






 ギルベルトがおどけてみせると、にどんどんと胸を叩かれた。

 周囲の人々は穏やかに笑って若い2人のやりとりを見ている。女官の中には近くにいる貴族の師弟と仲良く
なって遊んでいる者もいた。





「駄目よ。あまりさんを虐めては。」





 の恥ずかしがりようを見るに見かねたエリーザベトが穏やかにギルベルトを諫める。王妃に言われれ
ば立つ瀬がないと、ギルベルトもをおちょくるのをやめて近くにあったブルストをもらって口にした。






「それにしても凄かったなぁ。バイルシュミット将軍の銃の腕は。外さないんだから。」






 一緒に狩猟に出かけていた貴族の青年が笑う。






「そうか?普通だろ?」

「普通ではないよ。さすがは今をときめく将軍閣下だ。」






 ギルベルトをほめて、青年はの方に笑いかける。






「プロイセン一番の将軍の奥方となられるレディはどう思われます?」







 彼は随分酔っているようだった。ビールは確かに我らの友だが、少し飲みすぎだ。






「え、ぁ、えっと、」







 は答えに窮したようで、おどおどとギルベルトと青年の様子を伺ってから俯く。

 その問いにギルベルトは舌打ちをしたくなった。は先の戦いで攻め込まれたフォンデンブロー公国
の縁者だ。フォンデンブロー公国は長らくオーストリアの旧臣であり、プロイセン王国と戦って勝利したが
多数の死者を出し、跡取りであったカール公子すら亡くした。フォンデンブローの経緯を考えれば、“プロイ
セン一番の将軍”なんて嫌みでしかない。彼らにとっては憎むべきプロイセンだ。

 これは早めに話を打ち切った方が良いかとギルベルトが考えたとき、は顔を上げた。





「あ、はい。誇らしく、思います。」






 少し俯いたまま、頬を染めて答えた。ギルベルトは目を丸くするが、の表情に嘘はない。






「馬鹿、」






 照れ隠しに、ギルベルトは軽くの頭を叩く。はきょとんとした顔で叩かれた自分の頭を押えて
振り返った。






「あははは!素直でよろしい。」







 酔っぱらいの青年は満足したように笑って離れていく。






「なに、ですか?」






 は恨みがましそうに叩かれた頭をまだ撫でている。






「そう言えば、狩りに戻らないんですか?」







 今気付いたというようにが尋ねる。






「面倒くせぇから良いや。」






 ギルベルトはかりかりと頭を掻いて言ったが、本当は別に理由があった。

 の父であるアプブラウゼン侯爵を始め、の姉のヒルダ、兄のヨーゼフなどがどうやら二度目の
狩猟には参加しないようだったからだ。エリーザベト王妃からヒルダなどはへの敵意むき出しなので
気をつけてやれと言うご達しが来たのだ。

 エリーザベト王妃も気にしてくれていたようだが、それでもは穏やかで呼び出されたらついて行って
しまいそうなので、二度目の狩猟に出かけない人も多くエリーザベト王妃が目を離す機会も増えるため、ギ
ルベルトに傍にいてやって欲しいと言われたのだ。




 実を言うとアプブラウゼン侯爵はオーストリア継承戦争以後から、オーストリア側へと連絡を取っている節
がある。対して、フォンデンブロー公国はオーストリア継承戦争の時はプロイセンの敵となったが、講和条
約を結んで以降は父に疎まれたを公爵が保護しておりそのがギルベルトに嫁ぐのが決まった
こともあって、関係としては良好だった。

 はアプブラウゼン侯爵家の娘としてではなく、フォンデンブロー公爵の縁者として国王やギルベルト
が皆に紹介した由縁もそこにあった。

 要するに国王もギルベルトも、にアプブラウゼン侯爵家に関わって欲しくないのだ。幸い彼女は父に
疎まれており、その上の母と父の不仲も手伝ってほとんどアプブラウゼンで育ったことはない。関係が
希薄であることは、ギルベルトにとっては良いことだった。





「俺様はもう牡鹿をとったわけだし、他の奴にもわけてやらねぇとな。」





 ギルベルトはの手を握って笑う。は少し俯いたが嬉しそうに笑い返した。傍にいると少しは安
心してくれているのかも知れない。





「こんにちは、」






 のんびりとした低くしわがれた声をかけられ、ギルベルトははっと顔を上げる。そこにはもう老齢の白髪を
うなじでとめた老人がいた。





「あ、おじいさま、」





 が惚けたように呟いた。





「久しぶりです。フォンデンブロー公爵フランツと申します。」





 老人はギルベルトに頭を下げる。ギルベルトは慌てての手を取って立ち上がった。






「いえ、ご挨拶は婚約のお話の時以来ですね。」






 ギルベルトは公国をすべる老公爵に敬意を表して頭を下げる。






「今日は国王陛下からのお誘いでこちらに来させて頂いたが素晴らしい狩猟だ。技術に優れた若者も多い。」

「国王陛下もお喜びになると思います。」






 ギルベルトは当たり障りのない言葉を返すと彼は柔らかに微笑んで、それからに目を向けた。
はギルベルトの手をぎゅっと握る。






、暮らしに不自由はないか?」






 機嫌良く、老公爵はに尋ねる。






「はい。よくしていただいているので、」






 彼女は優しさに戸惑いながら穏やかに頷いた。老公爵は安堵の吐息をついて、改めてギルベルトを見た。






の幸せそうな様子にほっとしております。」






 本当に穏やかな声音で老公爵はそう言った。優しい目を向けられて、は目を丸くしたが、すぐに頬を
染めて俯く。






「あなたにを預けるときは心配しましたが、仲良さげで本当によかったです。」

「それは良かった。」






 ギルベルトはに目を向けてから老公爵にそう返した。

 彼は決してのことを粗雑に思っているわけではないことは、最初に話した時に知っていた。孫である
カール公子と婚約予定であったが、カール公子が死んだ今、父からもうとまれ、後ろ盾となるべき人も
なくどうなるのかを、老い先短い身である公爵は非常に心配していた。

 だからこそ、ギルベルトからへの婚約の申し入れを、憎き孫の敵であるのに受け入れたのだ。






「アプブラウゼン侯爵は、相変わらずですかな。」






 ふと遠くを見て老公爵は小首を傾げた。その意図を読み切れずは首をかしげたが、ギルベルトは理解
し、頷いた。






「そうですね。期待してはいませんが。」

「わかりました。でしたら私がの婚資を用意いたしましょう。」






 老公爵は優しくしわだらけの目元を細める。は目を点にして驚いて何かを言おうとしたが、老公爵に
肩をたたかれて口をつぐんだ。






、幸せになりなさい。」






 そういった老公爵の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。彼にはもう孫もなく近しい親族はだけだ。

 彼女に対する思いは、おそらく実父であるアプブラウゼン侯爵よりも大きく、深いだろう。


 ギルベルトはの腰をそっと自分のほうに引き寄せた。

 は感極まって泣いているようだった。










 
地を這うように低かった視線の先