ユリウスが行方不明になるなどハプニングはあったが、狩猟はおおむね好評だった。他国の大使や君主の接待もかねているので失礼があっては困るのでフリードリヒも気を張っていたようだが、大丈夫だった。
最後の日、シューネン離宮では宴が行われ、その席でユリウスはと共にピアノを弾くことになった。連弾であるがたくさんの人の前と言うこともあってユリウスは酷く緊張していたようだったが、が笑って宥めると笑みを返して弾き始めた。
「終わった…」
拍手が響き渡る中、ユリウスは安堵の表情で息を吐いて呟く。
間違いもなく、が庇うようなこともなく、いつも通りの演奏だった。5歳とはいえ、ユリウスは幼い頃からにくっつく形でピアノを習ってきた。狩猟の初日にはゾフィー王太后に謁見してピアノを披露したが、今回は彼女からの依頼でピアノを弾くことになった。
流石に表情を凍り付かせたので連弾と言うことになったが、ユリウスは幸いの隣で上手に弾きこなして見せた。
「上手でしたよ。」
は柔らかに微笑んでユリウスの背中を撫でる。
「うん。よかった。」
ユリウスは何度も頷いて、ぴょんっと椅子からおりた。
とはいえ子供のユリウスの演奏は小さな余興だ。すばらしいと言っても、プロや大人とは比べものにならない。ただ、才能を示すには十分だったようだ。
「ユリウス様、良かったですよ。」
近くにいた傅育官を兼任しているフォンデンブロー公国の将軍がユリウスを誉める。その表情は安堵が大きいユリウスに対して、酷く嬉しそうだった。
こういった他国の人々の集まる場で、自らの国の公太子が称えられ、誇らしいのだろう。
「うん。ありがとう。」
ユリウスは彼に向けて、やっと笑みと礼を返した。
周りから向けられる羨望、期待、それに伴うプレッシャー。息子の表情を見ながら、は幼いと思っていたユリウスがそう言ったものを感じ始めていると言うことに気づいた。無邪気で、自分のやること以外に目の向かなかった彼が、周りの反応を窺いだしている。
狩猟で行方不明になったユリウスはクラウスと二人だった。そこで、クラウスの反応を間近で見たのかもしれない。自分が起こすことが他人にどういう影響を及ぼすのか。ユリウスは今まで考えていなかった。
だが、先日の一件で理解し、そして周りに目を向けた。
それは彼の成長であり、良い面ではあったが、には同時にあまりにも早い成長に思えた。
彼は先へ先へと人より早く行ってしまう。もう少しゆっくりでも良いよと思うのに、賢い故か、それとも性格なのか、彼はこちらが教えなければならないことを教えぬうちに知り、考え、進んでいく。
にとっては嬉しいことでもあり、少し寂しいことのように思えた。
「ユーリ、本当に良い演奏だったぞ。」
ギルベルトと共にやってきたフリードリヒがユリウスに笑いかける。
「ありがとうございます。」
プロイセン国王に誉められて、ユリウスはぺこりと頭を下げた。フリードリヒはユリウスの頭を撫で、軽く肩を叩く。
「本当におまえの成長はこちらが見ていて面白いよ。」
青い瞳を細めるフリードリヒの目には柔らかな光があった。
フリードリヒとギルベルトは国王と将軍という立場の違いはあるが、非常に仲が良い。またフリードリヒには子供がないため、近しい側近の子供と言うことで、生まれた時から何かとユリウスに構っていたし、誕生日となれば忘れることなく祝いを贈ってくる。
親であるやギルベルトと同じように、ユリウスの成長は喜びなのかもしれない。フリードリヒは王妃とは不仲で、子供もないからなおさらだろう。はフリードリヒとユリウスを温かい目で見つめる。
「だが、間違ってくれないとこちらが正すところがない。」
フリードリヒもフルートをたしなみ、音楽には長けている。だがそれだけでなく、ユリウスに気楽でいてほしいと願っているのだろう。
フリードリヒは幼い頃から王太子として育ち、重責やプレッシャーも理解している。国の大きさは違えど、失敗してはならないという重圧の中に置かれるユリウスの立場を誰よりも理解しているのかもしれない。
だから、失敗しても良いよと笑うのだ。
「えへへ、ありがとうございます。でも大丈夫。」
ユリウスは嬉しそうに笑って、偉そうにフリードリヒに答えた。
人々がユリウスに賞賛の声を贈る。それを見ながらは目を閉じた。
本来なら、ある程度手元から離して育てるのが貴族の通例だ。母親と会うために頭を下げて部屋に入るような他人行儀な親子も普通にある。だがは息子を手元で育てた。それを甘いと言う人々もいたが、決して悔やんではいない。
は、母の愛情しか得られなかった。だから自分の息子には二親からの愛情をふんだんに与えてやりたかった。が父からの愛情を望み続けたように、子供が望む愛情をいつでも親の手で与えてやりたかったのだ。
人に囲まれて人々の賞賛に危なげなく応える息子を見ながら、は少しだけ寂しい気がした。まるでユリウスが自分の手から離れて行ってしまうようだ。今までなんだかんだいっても、ユリウスは母であるにべったりだった。
の方が、ユリウスが手元から離れるのが寂しかったのかもしれない。
「わたしも、子供離れの時期なのかもですね。」
「かもな。」
いつの間にか隣にいたギルベルトが肩を竦めてみせる。お互い傅育官や臣下に言われているが、多分ユリウスに甘いのだ。二人とも子離れできていない。
傅育官たちはやはり君主であり地位も持つやギルベルトがいるとユリウスに厳しく言うことが出来ない。そのために、ユリウスがわがままに育ったのではと言う懸念は元々あった。だからこそ、ギルベルトはいたずらなどには厳しく叱っていたのだ。
「あら、貴方も子離れなさるのですか?」
「そうすべきかなって思ってな。」
の肩を撫でながら、ギルベルトも同じように頷いて見せた。思い当たる節は一緒らしい。
「それに、ユリウスに手がかからなくなれば、おまえとゆっくりする時間も出来るし。」
ギルベルトはにやりと笑う。何となく嫌な笑みだったが、は気づかないふりをすることにした。
「かあさま、とうさま!」
ユリウスが赤みがかった紫色の瞳を輝かせてやってくる。
「見て、国王陛下からもらったぁ、」
小さな手に持っているのは、軍人が持つ長い望遠鏡だった。綺麗な金の装飾と、宝石が埋め込まれ、外を覆う象牙にも彫刻が施されているそれは、一目で高いものだと分かる。中の望遠鏡自体もかなり質の良いものだろう。
「よろしいのですか?」
はフリードリヒを見やる。
「もちろんだ。そのために持ってきたのだから。」
こんなものを音楽会に持ってくる必要はない。フリードリヒはユリウスのためにとわざわざ用意したのだろう。
「大切にするのですよ。」
ユリウスに言い聞かせるように言うと、目を輝かせて息子は頷いた。
「これで遠くが見えるね!」
傅育官からもらった双眼鏡を楽しそうにのぞき込んでいたユリウスだ。それに新しい最新鋭の機械や製造品に目がない。美しく性能が良いとなれば望遠鏡はユリウスのお気に入りとなるだろうことは間違いなかった。
「いつか彼は軍隊を指揮する日がくるかもしれないからな。今からいろいろなものをよく見ておくんだぞ。」
フリードリヒはユリウスの肩を優しく叩く。
「いろいろな物事を知るのが、早いという人もいるかもしれない。だが、おまえはおまえのペースで歩けば良い。」
人と違うからと言ってそれを負い目に思うことはないし、期待に焦る必要もない。自分のペースで。
ユリウスは一瞬目を丸くしてフリードリヒを見上げた。
「おまえには、失敗しても愛してくれる両親がいるのだから、」
フリードリヒが青色の瞳を優しく細める。すると、ユリウスはくすぐったそうに笑った。
そしての方に駆け寄ってぎゅっと腰に抱きついて、頭をぐりぐりとすりつける。ギルベルトが笑いながらぐしゃぐしゃにユリウスの頭を撫でた。
英傑と孤独