秋も深まれば徐々に外は寒くなり、することがなくなるのがこの時代の常だ。
「ふむ、フォンデンブローに代わりはありませんね。」
ベルリンに滞在しているは、祖国からの報告に満足げに頷く。
今年も幸い豊作なようで、目立って問題もないので、戻る必要もなさそうだった。来年の春過ぎれば戻る気ではいるが、議会にも別に論争はなく、公爵であるの出る幕は全くなさそうだった。
ここ数年、正直フォンデンブロー公国は穏やかそのものだった。女の公爵とはいえ、そもそも議会の権限が強いため、議会が基本的に一般の課税、政策の決定を行う。軍事以外に関しては、基本的に公爵が口を出すのは議会が収拾のつかないほどにもめた時だけだ。
アプブラウゼン侯爵領の一件以降、何ら問題のある事態はなかった。元々土地柄豊かであるため、不作の年はあっても、豊作の場所の農作物を回せば十分に飢える心配はない程度だ。しかしプロイセンは違う。
「…今年はいまいちだったからな。」
ギルベルトが後ろからの報告の書類を見て、渋い顔をする。
プロイセンは土地柄豊かではない。じゃがいもを育てるようになったのも、そのせいだ。土地がやせているため小麦などが沢山は収穫できないのだ。ジャガイモの方がやせた土地の割に収穫量が多い。
「あら、でしたら、しばらくしたらフリードリヒ陛下から、輸出の増加のお願いが来るかもですね。」
は頷いてから、報告書を隣の飾り棚に置いた。
「ふぅー、」
大きく息を吐いて、自分のお腹を撫でる。
少し膨らみ始めたお腹はまだそれ程重くはないが、の体調は最悪だった。つわり、である。最初の子供の時よりも遙かに酷く、コーヒーのにおいにまで吐き気がした。食事もままならない日が続いていたが、4ヶ月たった今では徐々に安定してきている。
お腹の子供は相変わらず順調で、も元々身体が強いため、子供の方は頗る順調だったし、二人目の子供と言うことでも大分落ち着いていたが、ギルベルトの方は変わっていなかった。
「なんだ、体調が悪いのか?大丈夫か?」
少しのことで不安そうに心配する。二度目とはいえ、彼の心持ちは全く変わっていない。は思わず笑ってしまった。
「昨日も飯、食えてなかっただろ?」
「大丈夫ですよ。つわりですから。それに4ヶ月過ぎて軽くなってきましたし、徐々になくなりますよ。」
前もそんな感じだった。
「でも今回は違うかも知れないだろ?あんまり続くようなら医者に診てもらえよ。呼ぶか?」
「大げさですよ。」
「でも、」
「ギル、」
はあまりに心配して不安そうな顔をするギルベルトの頬にそっと手を添える。
「大丈夫です。もぅ。」
「でもさ、」
「でもじゃありません。大丈夫です。」
のつわりは他人と比べても軽い。医師を呼ぶほどのことではなかった。
ギルベルトの頬を宥めるように撫でると、ギルベルトはやっと安心したのか、の手を取ってそっと手のひらに口づける。前の出産の時は、も不安で、彼も不安で、が不安におののくので、ギルベルトが不安を押し隠していつも宥めていた。でも今度は彼は心配性で、がそれを宥めることが多くなった。
「ユーリに笑われますよ。」
ギルベルトの心配ように、息子のユリウスも少し呆れていた。
とギルベルトの仲が良いことは彼も知っているが、流石にギルベルトの過保護っぷりは異常らしい。確かに出産は危険も伴うことだが、心配のしすぎの部分も多かった。
「だって心配なんだよ。仕方ねぇだろ。」
ギルベルトは頬を膨らませて、後ろからを抱きしめ、の肩にぐりぐりと額を押しつける。彼の様子はすねているようで、は思わず苦笑する。
「わかっています。でも、ユリウスにまた嫌な顔をされますよ。」
「わかってら。ユリウスは最近、不機嫌だからな。」
「そうですね。」
妊娠3ヶ月目に入った頃から、はつわりが始まり、体調が悪化していったため、ユリウスに構っている暇が無くなった。
もちろんユリウスはフォンデンブロー公子であるため、傅育官もついているし、乳母のルイーズもいるが、やはり母に構ってもらえなくなったというのは仕方ないとは分かっていてもショックだったらしい。
「あんなにおまえに文句たらたら言ってたのに、やっぱ構ってもらえねぇのは寂しいんだな。」
ギルベルトは呆れたように言って、がりがりと頭をかいた。
母であるに生意気な口をきいたり、心配性なを疎んじるようなことも言っていたユリウスだったが、母が自分に構わなくなると、やはり寂しいらしい。苛立ち紛れに傅育官に当たることも最近増えている。
「この間もアドルファスと殴り合い、したそうですしね。」
はふぅと息を吐く。
「あれはたたき合いだろ。」
ギルベルトはの言葉を訂正した。子供同士なので、大人のギルベルトから見れば「叩き合い」かもしれない。だがにとっては十分殴り合いだった。
ユリウスはギルベルトやに大きく不満を口に出すことはないが、苛立ちは積み上がっているらしい。それはこの間ルイーズの息子のアドルファスと殴り合いの喧嘩と言う形で表面化した。苛々していたところに、アドルファスが些細な喧嘩をふっかけたらしい。
アドルファスはユリウスと同い年だが、ユリウスが同年代の少年たちを嫌う傾向があるため、今までは遊び相手は大人ばかりだった。ユリウスの一番のお気に入りであるクラウスも12歳で、すでに幼年士官学校に行っているため、一応立場はわきまえている。
最近ギルベルトがそれは良くないのではないかと言い出して、手軽に乳母のルイーズの息子をと思ったのだが、まだお互い5歳。当然立場などわきまえておらず、我が儘だって言う。ユリウスが公子だとどれほど言い聞かせようと、そんなことわかるはずもない。
それに、アドルファスは少し乱暴な気が元々あった。ルイーズも心配していたのだが、その通りだった。
どちらから手を出したのかは知らないが、もめてるなとギルベルトが思っていると、突然殴り合いに発展したのだ。素手の、しかも子供の殴り合いなど、たかが知れている。止めようとする傅育官にギルベルトが放って置くように言った。殴り合いなど、公子として生まれたユリウスはやったことがない。良い経験だと思ったのだ。
意外なことに、ユリウスはアドルファスに勝った。もちろん叩かれて痛かったようだし、泣いてもいたが、ユリウスは傅育官やギルベルトに助けを求めることもなかった。
「少し、構うようにしてあげてくださいね。」
は体調も整わず、どうしても自分の部屋にこもりがちだ。ギルベルトもベルリンの駐屯地や宮殿に出仕していたため忙しかったが、冬になれば軍もやはり動かない。ギルベルトも少しは暇が出来る。
「そうだな。そうするさ。どうしてもに俺も心配でかかりきりだったからな。」
ギルベルトはの肩を撫でる。無骨な指先が素肌をなぞる感触にはぞくりとしたが、小さく笑う。
「あなたも気が紛れるかも知れませんしね。」
心配性なギルベルトも、構ってもらえなくてすねているユリウスも、お互い一緒にいれば不満払拭になるかも知れない。
「心配してるのは、本当だからな。身体を大事にしろよ。」
ギルベルトはの隣に座って、の頭を引き寄せる。も彼の肩に頭をもたせかけて、身体の力を抜いた。ギルベルトはの膨らんだ腹にそっとその大きな手を置いた。
こうして穏やかに話をする時間が、一番愛おしい。
二人でいる瞬間、子供を抱く瞬間。本当に本当に幸せだと思う。昔の自分の世界はとても小さかった。なのに、こうして自分でいろいろなことが出来る立場にあって、こうやって幸福に身を浸すことが出来る。
「ねぇ、ギル。」
「ん?」
「大好きですよ。」
心から、彼に感謝している。すべてを彼が与えてくれたのだから。
目を閉じて温もりに浸っているは、彼がまっすぐと別の方向を見ていたことに気づかなかった。
骨まで愛しても変わらないものだってある よ