渋い顔ではアルフレート・フォン・シェンクの顔を見つめた。
鮮やかな金髪と、青色の瞳。彼はベルリンの屋敷に滞在するクラウスの父であり、フォンデンブロー公国の貴族で、現在は議会の議員の一人でもある。忠誠心に厚く、アガートラームの鉱山の一件から、が信頼を置く貴族の一人だった。
「ご懐妊、議会議員一同、最大の祝福と喜びを表明いたします。」
形通りの言葉だが、祝いの品などからも議会の喜びは十分に窺える。
第一公子のユリウスに続く第二子。後継者の問題から考えて、喜ばしいことだろう。なんと言っても未だに、後継者はが死ねばたった一人の不安定なもの。女児であれ、男児であれ、もう一人保険がほしいというのは、後継者問題でもめたことを考えれば、当然のことだった。
「長旅、ご苦労でしたでしょう。お座りください。」
はアルフレートに席を勧める。
連日降り続くこの雪だ。足をとどめられることもあっただろう。ベルリンまでの道は、決して平坦ではない。
「クラウスの方はいかがですかな。」
アルフレートは長男の様子が気になるのか、すぐにに尋ねた。
「ふふ、元気です。しばらくすれば帰って来るでしょう。」
彼の長男のクラウスはベルリン士官学校に通っている。のいるバイルシュミット邸の屋敷からだ。それはの申し出だった。功のあった忠臣の息子がベルリンの遠縁の元で寂しくしているのは気の毒だと思い、出世の機会も考えて、君主であるが預かることにしたのだ。
もちろん、同時期に生まれたの息子、ユリウスの側近候補としての意味もあった。
「ユリウスはクラウスを随分に気に入っていますよ。」
はアルフレートに言いながら、思わず苦笑した。
最近の体調が悪く、ユリウスに構っていないことから、ユリウスの機嫌は頗る悪い。同年のアドルファスと叩き合いの喧嘩をしたり、女官や傅育官を部屋から放り出したりといろいろ鬱憤がたまっているようだが、それでもクラウスだけは側に置いている。
彼は彼なりに、クラウスを気に入っているのだろう。同年のアドルファスなどを一緒につけてから、その気持ちはなおのこと大きくなったようだ。
「それは良かった。あの子は生意気ですから、公太子殿下にどう受け止められるか、心配だったのです。」
アルフレートは安堵の息を吐く。
「フリードリヒ陛下も、忠誠心の強い良い少年だとおっしゃっておられましたよ。」
「そんな、恐れ多いお言葉です。」
深々と頭を下げて、彼は謙遜した。学業の方も優秀、君主であるの覚えも良いとなればこれからしばしは安泰だろう。父であるアルフレートは心配していたようで、深々と息を吐いて見せた。
「して、何か用事ですか?」
は穏やかに、紅茶のカップを持ち上げて尋ねる。
この時期に議会からの議員が来るなど珍しい。有事が無ければ雪の時期にさしかかるこの時期に人をやることはまずない。議会で難しい状況があったか、それとも何か。
が思案していると、アルフレートは躊躇う様子を見せたが、大きく頷いた。
「…シュレジェンのことはお聞きですかな。」
「聞いてはいます。オーストリアとフランスのことも。」
フランスとプロイセンの同盟条約は来年失効する。それに伴っての外交交渉は常に行われていた。特にオーストリアはシュレジェン奪還に動いており、どうやらフランスとの同盟を画策しているらしい。フランスもそれに乗り気では無いかと言う情報は、とて知っていた。
そうなればプロイセンとオーストリアに挟まれ、かつてオーストリア継承戦争の際にプロイセンの侵攻を受けたフォンデンブロー公国はどうするのか。今はプロイセンの友好国であるが、外交交渉において徐々にプロイセンが不利になっているのは、も感じていた。
既にフランスと仲の悪いイギリスとの戦争はアメリカ大陸で始まっており、フランスがオーストリアと同盟し、仮にプロイセンがイギリスと同盟すれば、オーストリアとプロイセンの戦争も開始されるだろう。
とて、その危険性を理解していないわけではなかった。
小国であるフォンデンブロー公国は、どういった立場をとるのか。それは国運を握る決定であり、議会でも意見が分かれていた。議会が真っ二つに割れた時、求められるのは上に立つ公爵の判断だ。
「そうですね、来年の夏には帰還しようと思っていますが。」
は困った顔でそう答えた。
妊娠しているため、馬や馬車に乗るのは危険だ。そのため長いフォンデンブロー公国までの旅路を今変えるわけにはいかない。出産は5月か6月と言われている。それを終えて、体調を整えてからすぐにフォンデンブロー公国に戻らなければならない。
「子供が生まれ、落ち着いた、来年の秋頃には帰ろうと思っています。」
「わかりました。」
アルフレートは深くに頭を下げる。そして、顔を上げて、彼はに率直な質問を投げかけた。
「…戦争が始まれば、どうなさるおつもりですが、」
は口を噤む。
どうすれば良いのか。君主としての答えは、おそらくオーストリアに味方をした方が良いと理解していた。だがイギリスとの防衛協定のこともあり、最低でも中立が当然だろう。
しかしの夫はプロイセンの将軍である。ギルベルトは、戦いに出る。ぐっとは組んだ自分の腕を強く握った。
と、大きなノックの音が響く。
「どうぞ。」
ははっと顔を上げて、座ったまま扉に向けて声をかけた。入ってきたのは、ギルベルトだった。
「おぅ、来てるって聞いてたぜ。」
ギルベルトは当たり前のように中へと入ってきて、の隣に座る。そしての肩を撫でた。
「体調は?」
「大丈夫ですよ。」
「とか言って、昨日は体調崩してた癖に。」
軽口を叩いてから、ギルベルトはアルフレートを見据えた。その緋色の瞳が細められる。
「なんの話だ?」
軽い、口調だった。けれどその言葉には表情を凍り付かせる。
基本的に彼はフォンデンブロー公国を尊重しているし、決定には関わらない。だが、彼の国に関わる事柄を、彼が不利になる可能性のあることを、は彼の前で面と向かって口に出すことが出来なかった。
は口を噤むが、アルフレートは青色の瞳で彼をまっすぐに見つめた。
「もしも戦争になれば、どうなさるかと言うことです。」
「戦争?」
「情勢は、ご存じでしょう。」
今の情勢など、当然ギルベルトは承知している。たとえ揶揄であっても、彼は意図をはっきりと理解できる。は俯くことしかできず、黙り込んだ。組んだ腕を掴む手に、ますます力が入る。
「あぁ、そのことか。」
ギルベルトはの予想と反して軽い口調を変えることなく羽毛のように軽く言った。
「。おまえは絶対こっちの味方に回るなよ。」
「え?」
あまりのあっけない言葉に、は自分の耳を疑った。アルフレートですら目を点にしてギルベルトを凝視している。
「おまえら、なんだよその顔。」
ギルベルトは少し唇を尖らせて、の頬をふにっと指でつついた。
「な、なにって、貴方、」
彼が言った言葉は、十分驚愕に値する。
彼は今、自分の味方をするなと言った。敵に回っても良いと宣言したのだ。確かにプロイセンは不利な状況にある。だが、そんな簡単なものではないだろうに。
「おまえは、子供たちのことを、一番に考えてりゃ良いんだ。」
ギルベルトは今の話題に不釣り合いなほどに酷く愛おしそうに微笑んで、を抱きしめる。少し膨らみ始めたお腹に、大きな手が触れる。
「ん。」
何に対しての返事なのか。それともすべてに対するあきらめなのか。
は穏やかすぎる彼の表情が気になって仕方がなかった。
その為ならば何でも出来る だから 俺は 望んだんだ