この状況はいったい何だろう。
は小首を傾げながら、ふくれっ面ながらのベッドの近くのカウチで遊ぶユリウスと、ベッドの端に座って新聞を読むギルベルト。
最近の情勢は芳しくない。それはアルフレート・フォン・シェンクがフォンデンブロー公国の議会から派遣されたことを見ても分かる。だが、どうにもこの部屋の情勢も芳しくないようだ。
「…何か、ありました?」
がおそるおそる尋ねると、ユリウスとギルベルトの両方がの方を同時に向いた。
「別に、何もねぇけど?」
「何もないよ。」
そう言う二人の顔はそっくりだ。
銀色の少し硬そうな髪に、精悍な顔立ち。面白い、笑ってしまうほどに彼らはそっくりだ。そしてそっくりの少し不機嫌そうな顔でを見ている。
「気にすんな。おまえは自分の身体だけ気にしとけ、」
ギルベルトはそう言って、ベッドに座るの額に口づけて、優しく髪を掻き上げる。
「いや、流石に気になりますけど。自分の息子と夫のことですし。」
は誤魔化そうとするギルベルトに唇の端を引きつらせて、ユリウスを見る。
「ユーリ、おいで。」
ユリウスは母親の呼びかけにじっとの方を見たが、ぷいっと違う方向を向いた。何やらすねているらしい。
「どうしたのですか?」
はいつもと違うユリウスの態度にベッドから下りて彼の元に歩み寄ろうとする。だが、それをギルベルトに止められた。
「ギル、」
「放っておけ。おまえの方が体調が悪いんだからな。」
「そりゃ、そうですけど…、」
だったとしても、ユリウスは大切な自分の息子なのだ。はギルベルトの手を振り切って、起き上がってユリウスの座るカウチへと歩み寄る。
「どうしたのです?」
「別に。」
完全にすねているユリウスには困った。
あまりに口うるさく言うと、ユリウスがすねることは良くあった。だがこういった何が原因か分からない状態ですねることなど無かったのだ。今まで。
「ユーリ?」
銀色の髪にはユリウスの前にしゃがみ、そっと手を伸ばす。ギルベルトと同じ、きらきら光る髪。それはの一番好きな色だ。ほっとする。
「どうしたの?」
完全にすねてしまっている息子に優しく尋ねる。
「うるさい!」
ユリウスが近くにあったクッションで、の手を振り払う。
「ユリウス!!」
ギルベルトが怒鳴った。
の手は振り払われ、行き場を無くしてふわつく。だが、それだけではすまなかった。しゃがんでいたため、クッションが胸元に当たって、後ろ向きには押される形になってしまう。
「わっ、」
小さな悲鳴を上げて、は後ろ向きにバランスを崩す。ユリウスが赤みがかった紫色の瞳を丸く、まん丸にしてを見ている。
「!」
ギルベルトの酷く焦った声が聞こえたと思った瞬間、はベッドサイドの木の彫刻に頭をぶつけていた。
声にならない痛みに、はぐっと唇を噛む。
じんとした痛みが頭に広がって、熱いような感触が広がる。身を起こそうとする前に、ギルベルトが血相を変えて駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?」
背中を支え、そっと抱き起こされる。は痛みに額を抑えたが、視線がまだ平衡感覚を失ったように揺れている。ふらふらする。打ち付けた後頭部が痛いなと手を伸ばして、何かがついたのが分かった。
「ぇ、」
いまいち焦点のはっきりしなかった目が手についたものを確認して、口からは驚きの声が勝手に出ていた。事態を理解するのはギルベルトの方が早い。
「誰か!誰かいないのか!!」
ギルベルトが外に向けて叫ぶと、慌てて衛兵とおぼしき兵士が部屋に入ってくる。
「どうなさいました!」
「医者、医者を呼べ!早く!」
「わ、わかりました!」
ギルベルトのただ事ではない様子に、衛兵がすぐに医師を呼ぶため走っていく。その間にギルベルトはポケットからハンカチを取り出し、の頭を押さえた。
「あら、血、」
は思わず手についた血を見て、渋い顔した。場違いながら、血が手についた、気持ち悪いなどと考えていると、ギルベルトがユリウスの方に顔を向ける。
「大馬鹿野郎!!」
鋭い怒声に、近くにいたは鼓膜が震えるのを感じた。時々彼は声を荒げるが、これほどに大きな怒声を今までに聞いたことはなかったのだ。が肩を震わせ、ユリウスを見ると、彼の顔色は真っ青で、呆然とした面持ちでを凝視していた。
「ぁ、」
色のない小さな唇から意味のない声が漏れる。信じられない、事態が理解できないと言った、顔だった。
「大丈夫ですかな。」
老齢の医師が慌てての元に走ってきて、を支えて傷の具合を見るため膝をつく。
「お腹に何か変わったことはございますか?」
女官のエミーリエもやってきて、の様子を確認する。ギルベルトは彼と場所を交代して、ユリウスに歩み寄った。
ユリウスは動けない。動かない。
「傷は、」
尋ねてくる医師の言葉よりも、ユリウスの様子の方が気になってそちらに目を向ける。医師や女官の間からユリウスを捜す。ふっと、ギルベルトが手を振り上げたのが視界の端に見えた。
ぱんっと、鋭い音があたりに響き渡る。
「ひっ、」
同時に、ユリウスの泣き声が響いて、や女官、医師までもがギルベルトとユリウスの方を振り向いた。ギルベルトは構うことなくユリウスの胸ぐらを掴むと、引っ張り上げる。
「おまえ、何したかわかってんのか!?」
ギルベルトが怒鳴ると、ひぅっと喉を鳴らして泣き声が止まる。
「慎重になれって、言っただろが!」
「ぁ、そ、」
そんなつもりじゃなかった、とユリウスはふるりと頭を振った。
幼いユリウスにとっては構ってくれない母に対する小さな仕返しのつもりだったのだろう。は本気で怒っているギルベルトを止めようと手を伸ばして、違和感に言葉を途切れさせた。
「様?」
女官のエミーリエが心配そうにを見上げる。
「つっ、」
は痛む腹を押さえて蹲った。じわじわと領域を占領していくように、痛みが広がっていく。痛みのあまりに身体を丸めたに、医師が冷静な態度を崩さずに尋ねる。
「痛みはどのあたりで?」
「おへその、奥・・・。」
それを聞くと、医師は初めて顔色を変えた。
は広がる腹の痛みにもう蹲ることしかできず、うっすらと紫色の瞳を開く。ユリウスは酷く泣きじゃくっており、顔を真っ赤にしていた。
「だ、」
わたしは、大丈夫だから。
そう言おうとしても、痛みに喉が詰まって声が出ない。結局女官や医師の声を聞きながらも、は痛みに耐えるために、きつく目を閉じた。
傷が名を持つ