が目を覚ましたのは次の日の朝だった。
「ユリウス!」
慌てて身体をベッドから起こすと、軽い頭痛がした。頭の後ろを触れてみると、何かが巻かれている。お腹の痛みは既に無く、お腹の子供が動く気配はなかったが、それでも痛みは嘘のように消えていた。
「なんだよ…・・」
少し寝ぼけた顔で、隣に眠っていたギルベルトが寝返りを打つ。がベッドの毛布を跳ね上げたため寒くて起きたらしい。既に雪も降り出している時期で、寒さが厳しい。ギルベルトは毛布をかぶってもそもそと動く。
「え、あ、えっと、ゆ、ユリウス!ユリウスは?」
は思わず寝ぼけているギルベルトに尋ねる。最後の瞬間に見たユリウスは酷く怯えたような、驚愕したような表情でを見ていた。大丈夫だと言ってやりたかったのに、痛みで声すら出なかったのだ。
ギルベルトは眠たいのか少しうざったそうな顔をしながらも、起き上がる。そして目を擦りながらを見た。
「大丈夫だよ。あいつは眠ったらしい。」
「え、ぁ、あぁ、まぁそりゃそうですよね。」
もう朝。が気を失ったのは昨日の昼頃だったから、は随分と眠っていたことになる。夜になれば子供なのだ。どれだけのことがあっても眠るだろう。
「一応ルイーズとクラウスがついてる。」
「…本当にクラウスに給金を出さなければなりませんね。」
クラウスはベルリン士官学校に通っているだけで、乳母のルイーズと違って雇っているわけではない。ベルリンの士官学校でもらえるだけの給金のみで、当然たちからの給金はないわけだが、本当にユリウスのために良くやってくれている。今も夜通しユリウスについてくれていることを考えれば、本当に申し訳ない気持ちになった。
最近もごねるユリウスを良く宥めてくれていると聞いている。傅育官たちもまだ12歳そこそこのクラウスを随分頼りにしている節がある。大人の傅育官が手間取るのだ。クラウスの苦労は並大抵ではないだろう。
「おまえは大丈夫か。腹は痛まねぇか?頭は?」
ギルベルトはの頬をそっと撫でる。起きたばかりで体温の高い手に安心しながらは首を振った。
「大丈夫です。なんだか、気分もはっきりしています。ちょっと頭痛しますけど。」
気分はすっきりしていて、何も問題はなかった。体調も悪くない。
「軽い脳しんとう起こしたかもな。後で、医師を呼ぼう。」
ギルベルトは心配そうにそう言って、少し膨らんだの腹を撫でる。
「おはよう。」
腹の中の子供に挨拶をするように軽くぽんぽんと叩く。すると腹の中で子供が動いたような気がした。
「しっかりしろよー。おまえ。強くなれよ。腹にしがみつけよ。お願いだから。」
ギルベルトはお腹の子供に話しかける。昨日のことがあるからだろう。だが、強くなれなんて、ユリウスの予想通り女の子だったらどうするのだろうとは息を吐いた。
「今何時ですか?」
「9時過ぎ、」
「…貴方、出勤は?」
「んー、しばらく休み。自宅勤務だぜ。」
要するに冬期休暇と言うことだろう。軍隊は冬期も動かないのが基本である。はベッドから下りて、近くの鏡の前に座る。
「なんだ起きんのか?昨日の今日だぜ。ゆっくりしろよ。どうせなんもねぇんだから。」
ギルベルトはもう一度ベッドに沈みたいのか、枕を抱きしめて言った。
「最近ゆっくりしすぎていたような気がします。それにユリウスが気になります。」
本当は軽い頭痛がするのでもう少し横になっていたい気もしたが、ユリウスがどうしても気になるのだ。最近きちんと話してもいなかったし、の怪我はどうもたいしたことがなさそうだが、ショックを受けていると可哀想だ。
きちんと話す時間をとりたかった。
「そうか、でも医師の診察を受けてからな。」
ギルベルトは仕方なしといった感じでベッドから下りて、の所に来て軽くの肩を叩いた。そして近くにあった手頃な上着を羽織ると、部屋のベルを鳴らしてメイドを呼んだ。医師を呼ぶつもりだろう。きちんとした服を着る気はないらしい。
休みだから良いかともあっさりと納得して自分の髪の毛を解く。細くて絡まりやすい亜麻色の髪も、昔はコンプレックスの固まりだった。金髪に憧れたりもしたものだが、今は自分が自分だし、もう仕方がないと思える。
自分も成長したのだなと、鏡の中の自分を見て思った。胸も大きくなったし、少し大人っぽくなった。前の妊娠の時よりも、今はかなり落ち着いている。成長したのだという手応えは自分の中にもあって、は鏡の中の自分に柔らかに微笑みかけた。
「よろしいですか?」
ギルベルトに呼び出されたのか、老齢の医師がやってくる。白髪の医師はの様子を事細かに聞いて、息を吐いた。
「1週間は、様子を見てください。安静にお願いしますよ。」
痛みが無くなったとは言え、流産の危険がないわけではない。一日ではまだ様子が分からないというのが実情のようだ。
「頭の方は大丈夫そうですが、そちらも様子を見ましょう。」
頭というのは数日たってから症状がやってくると言うのがあるらしい。医師はギルベルトにも、数日はから目を離さないようにと注意した。何かあって倒れた時に、知らせる人間がいないと困るからだ。
「それにしても良かったな。俺が休みで。」
ギルベルトは心配そうな顔をしながらも、からりと笑ってみせる。
「そうですね。」
も思わず頷いた。
妊娠というのはやはり不安なものだ。は母も既に無いため、世話をしてくれるのは女官と、ギルベルトだけだ。二人目とはいえ、彼らの助けはにとっては不可欠のものだった。
「カウチでゆっくりします。」
は医師に笑うと、「身体を冷やさないようにしてください。」と医師は心配そうな顔をした。に何かあれば大事だ。
「失礼します。お呼びと窺いましたので。」
医師と入れ替わるようにして、女官のエミーリエが部屋へと入ってくる。
「えぇ、ユリウスを呼んでください。」
はエミーリエに笑いかける。
エミーリエは目をぱちくりさせて、「今ですか?」と聞き返した。昨日倒れたばかりのを心配しているのだろう。彼女の心遣いはありがたかったが、はどうしてもユリウスが気になっていた。
「朝の用意がすんだら、朝食を一緒に食べましょうと言ってください。」
最近は朝起きられなかった。体調が優れなかったり、食事自体が出来ない体調だったり、寝たままだったりで一緒に食事をすることも少なくなっていたのだ。数週間ぶりだろう。昼や夜は公務や忙しさもあり、最近時間がずれていた。
「かしこまりました。」
エミーリエはに恭しく頭を下げて、部屋を辞する。
ギルベルトは何かもの言いたげな顔をしていたが、カウチに座ったに後ろから抱きついてきた。は少し驚いて、首筋に当たるギルベルトの髪をそっと撫でる。
「どうなさったんです?」
は穏やかな声音で尋ねた。するとギルベルトは大きく息を吐く。
「なぁ、おまえはユリウスを愛してるよな。」
「何馬鹿なことを言ってるんですか?わたしの息子ですよ。」
彼の確認のような質問に、は少し怒った。
愛していないように見えたのだろうか。それならば心外だった。生んだ時はそりゃ痛かったし苦しかったし、沢山泣いた記憶があるが、目に入れても痛くない自分の初めての子供である。
何を言っているのだろうか、この人は。
「だよなぁ。」
ギルベルトは子供のように目を細めて、の肩に頭をすり寄せる。
「俺も、死んでも良いくらい、あいつを愛してる。」
「まぁ、」
は目を丸くして呆れた風を装ったが、同じ思いだった。子供を愛している。その気持ちは、きっと互いに疑いようのない程に、変わりない。
愛って殺伐