「嫌だ、と?」





 ギルベルトはルイーズの報告に眉を寄せる。




「体調が優れないと言うことで、朝食をご一緒することは出来ないとおおせでした。」





 ルイーズは頬に手を当てて困り顔で言う。

 それを言ってしまえば、昨日の今日だ。の方が体調は優れないだろう。要するに、ただの言い訳。ユリウスはそれ程にギルベルトとに会いたくないらしい。ショックを受けているのだろうかとも思う。




「引きずり出してくるか。」




 ギルベルトはため息をついて、髪を掻き上げる。

 そんなに愛情を疑われるほど、自分たちはユリウスに構っていなかっただろうかと思い返してみる。確かに最近ユリウスも手がかからなくなってきて、も体調が悪いし、仕事も忙しいしで、ユリウスの所に行く時間は減っていたかも知れない。その割に、妊娠を理由にと共にいる時間は増えている気がする。

 難しい年頃なのだろう。これが反抗期という奴なのだろうかと、ギルベルトは華やかな木の彫刻で満たされている天井を見上げた。





「・・仕方ありませんね。」





 はカウチに座っていたが、大きく息を吐いて立ち上がる。




「おいおい、どこに行くんだよ。」

「ユリウスを見に行きます。」

「だめだ。暖房を入れてから。」





 この部屋はのために暖炉に火が入れられ、特別温かいが、廊下などは違う。ユリウスの部屋に向かうにしても、暖房の入っていないいくつかの部屋を通るので、ギルベルトはを止めた。

 だが彼女はギルベルトを見て、また先ほどと同じように大きなため息をついた。





「大丈夫です。」

「大丈夫じゃねぇ。もしも何かあったら、腹の子供に関わるんだぜ。」





 ギルベルトはの腕を掴んで彼女を宥めた。




「昨日の今日なんだ。明日でも構わねぇだろ?」





 心配でたまらない。

 まだ頭の傷は包帯が巻かれているし、の顔色はど素人のギルベルトの目から見てもあまり良いとは思えなかった。は困った顔でギルベルトを見て、そっと椅子に座るギルベルトの額に口づける。




「きっとあの子は、今、わたしの愛情がほしいんですよ。」




 はふわりと柔らかく笑う。




「い、ま?」

「そう、今が良いんですよ。明日じゃ駄目なんです。」





 ギルベルトを諭すように優しく、の細い手がそっとギルベルトの髪を撫でる。





「きっと、タイミングを逃してはだめなのですよ。」





 今、ユリウスは泣いているのだから、今でないといけない、とは笑う。そして、ギルベルトの手を取った。




「でも勇気がわたしもちょっといるので、ギルベルトがついてきてください。」





 彼女も最近ユリウスに会っていなかったため、少し緊張しているらしい。昨日のことがあったから、ユリウスにどう受け入れられるのか、心配だというのもあるのだろう。

 少し気弱なところが彼女らしくて、ギルベルトは思わず笑ってしまった。




「そうだな。行くか。」




 ギルベルトも椅子から重い腰を上げて、の手を取る。

 ユリウスの部屋はいくつかの部屋を隔てて直接の寝室と繋がっている。途中遊び部屋があるが、どうやらユリウスはそこにはおらず、自分の寝室にこもりきりらしい。寝室の前には、困り顔のクラウスが椅子に座ってぐったりしていた。





「クラウス、ユリウスはどうですか?」




 の呼びかけにぱっと顔を上げたクラウスは、慌てて姿勢を正し立ち上がる。




「良いですよ。座ったままで。」




 は疲れているであろう彼に言ったが、君主の前で流石に自分だけ座りっぱなしと言うのは心苦しかったのだろう。遠慮して座らない。




、」




 ギルベルトが椅子を引きずってきてに座るように促す。




「あ、ありがとうございます。」




 が大人しく座ると、やっとクラウスも「失礼します」と小さく言って席に着いた。クラウスの顔色はあまり良くない。おそらくユリウスに先ほどまでついていたからだろう。





「すいませんね。貴方にばかり迷惑をかけて。」

「いえ、そんな。」





 クラウスは謙遜して首を振ったが、まさにその通りだろう。

 昼は士官学校で勉強をし、夕刻になればユリウスに引っ張り回される。それでいて成績もきちんととっているというのだから、その苦労は並大抵ではないはずだ。





「貴方にばかり任せてしまって、本当に申し訳ないと思っています。わたしも体調を見ながらではありますが気にするようにしますから、貴方も何かあったら遠慮無く言ってください。」




 はそう言って、クラウスの肩を軽く叩く。すると、クラウスはじっとを見上げて、頷いて見せた。





「ユリウス様に呼びかけ、しましょうか?」





 不安そうにルイーズが尋ねるが、は首を振った。




「大丈夫です。それにルイーズにも随分と迷惑をかけたことでしょう。」

「いえ、もったいないお言葉です。」





 の言葉を受けてルイーズは深々と頭を下げる。

 だが実際に彼女はユリウスが我が儘を言う時は矢面に立たされる立場であり、やギルベルトの命令とユリウスの命令との間で苦しい思いをする。乳母であるルイーズには彼女なりの苦労があるのだ。それを初めて理解して、ギルベルトは少しだけ彼女を偉いと思った。

 ユリウスのためにと、ルイーズはギルベルトに意見までしたのだ。

 ギルベルトは軽くルイーズに頭を下げて、の肩を抱く。は1つ頷いて見せてから立ち上がり、隣にあったユリウスの扉のドアノブに手をかけた。





「ユリウス?」




 小さく声をかけて、がユリウスの寝室の扉を開ける。

 開くと、ベッドの近くのカウチで寝転がってユリウスは本を読んでいた。突然のの来訪に目を丸くした彼は、言葉もないようだ。





「あら、寝転がりながら本を読んで、目が悪くなりますよ。」





 は腰に手を当ててユリウスを諫める。前に見た時より、明らかにユリウスの寝室は汚くなっていた。散乱した本。服。

 最近傅育官や女官を部屋に入れることを嫌っていたユリウスだ。掃除が行き届かないのは仕方ないかもしれない。もちろん自業自得の面が大きいのだが。




「それに本もきちんと整理していない。いつも整理するように言っているでしょう?」




 彼女は存外細かい。近くにあった本をはきちんと本棚に並べていく。それを見て、ユリウスは慌てた調子を見せた。




「だ、だめだよ、かあさま!重いもの、持っちゃだめなんでしょう?」




 慌ててカウチから身を起こして立ち上がり、の本を取り上げる。しかしユリウスは本を取り上げてから、ふと途方に暮れた顔をして黙り込み、項垂れた。

 やはり、昨日のことを気にしているらしい。


 落ち込んでいる息子に、ギルベルトはかける言葉が思いつかなかった。なんてことないよ、とギルベルトはどうしても言うことが出来ない。笑うことも、だからといって落ち込んでいる息子に拍車をかけて怒ることも出来ず、ギルベルトは口をへの字にしてユリウスの頭のてっぺんの渦を見ていた。自分とよく似た銀色の髪。




「あら、どうしたの?」




 は前と同じようにしゃがんでユリウスの顔をのぞき込む。

 あまりに変わらぬ様子に不自然さを感じながらも、ユリウスは不安そうにを見る。赤みがかった紫色の瞳。少し垂れたその目の形はに似ているし、色合いはギルベルトにも似ている。



「わたしも会いたかったんですよ。」





 はユリウスの頭を撫でて、自分の方へと引き寄せる。そして祝福をするように、そっとユリウスの額に口づけた。




「ぼ、く、僕、も。」





 ユリウスは震える声で言葉にならない嗚咽を漏らす。

 そして力一杯に抱きついた。が妊娠をしてから、遠慮していたのだろう。ギルベルトは仕方ないなと思いながら、ユリウスの頭をぐしゃぐしゃにした。

  愛しているから愛してほしい