「やばいんでしょ。」
花咲く季節も終わり、初夏に近づく頃、屋敷に戻ったギルベルトを迎えたユリウスはあっさりと言った。
年の割に聡いところのある息子だが、我が儘は最近の妊娠から影を潜めた。それでもいたずらっ子であることに変わりはなく、頭も回る。
「おまえ、また盗み聞きを・・・」
ギルベルトがあきれた調子で言うと、彼はむっとした表情で頬を膨らませた。
「ちがうよー。将軍の話をきいてると、どうかんがえてもあぶなそうだもん。もうすぐ、なんでしょ。戦争。」
子供が口に出すにはあまりに複雑な話題だ。
だが、ユリウスの危惧は、実際の話だった。ユリウスは不安なのか眉を寄せる。
確かに、近いうちに戦争になるだろう。一月にイギリスと結んだ防衛協定は十分な圧力としてフランスとオーストリアを刺激している。オーストリアも、フランスも、そしてロシアまでもがプロイセンの敵として兵を集めている。攻められるのを待っていれば、袋だたきに遭うのは明白だ。ならば攻められる前に、先手を打って叩かなければならない。
戦争は明らかに秒読みの状態だった。
「おまえ、たまに6歳とは思えねぇくらい、頭がまわるな。」
どうやらの様子と将軍たちの会話を照らし合わせて、もうすぐ戦争になるという答えを導き出したらしい。ギルベルトは呆れを通り越して感動した。6歳の癖に。
ユリウスは酷く賢い。
フリードリヒもそれは認めていた。ギルベルトはユリウスが初めての子供であるため、子供はこんなものだと思っていたが、どうやら違うらしい。フリードリヒは自分の甥や姪とユリウスを比べて、彼が非常に賢いことを早くから見抜いていた。
事実、ユリウスはすでにフランス語、ドイツ語、英語、ラテン語を正しく読み書きし、話すことができる上、乗馬やピアノにも優れていた。何よりもその融通が利き、快活な性格は臣下たちからも好かれ、将来を渇望されている。
彼に適当な言葉で誤魔化してもすぐに気づいてしまうだろう。
「ちょっと来い、ユリウス。真面目な話だ。」
ギルベルトはユリウスを抱きかかえて、前にある椅子に座らせ、自分も向かい側にあるカウチに腰掛ける。
「なに?」
ユリウスが可愛らしく首を傾げる。ちゃかすような雰囲気にギルベルトは息を吐いて、真面目な顔をした。
「これから、多分プロイセンとオーストリアは戦争になる。大きな戦争だ。」
プロイセンとオーストリアの戦争におそらく大国であるイギリス、フランスも関わり、戦火はヨーロッパを飲み込むだろう。ロシア、スウェーデンなども参加すれば泥沼化する。勝敗は、下手をすれば見えている。ギルベルトもフリードリヒも既に不利なのは承知の上だった。
「だが、フォンデンブロー公国は中立を保つ。に必ずそうさせる。」
ギルベルトはそっとユリウスの頬を撫でる。
本当に、今は心からが人間で、その上他国の統治者で良かったと思う。もしもプロイセンの民や一般人なら争いで命を落としたかもしれない。だが彼女は統治者という高貴な身分であり、他国の人間だ。中立を選び、争いに巻き込まれない道を模索することもできる。
そして、息子もまた、争いに巻き込まれずにすむ。
「とうさまは、どうするの?」
「戦う。俺は、プロイセンから離れられないからな。」
ギルベルトは国だ。逃れることは絶対にできない。だから、戦うしかないのだ。己が己であるために、
「これから、あえなくなる?」
ユリウスはじっと赤みがかった紫色の瞳でギルベルトを見上げる。その瞳の色合いはギルベルトにも似ているし、またにも似ていた。不安そうな様子は可哀想になるが、ギルベルトは行かなくてはならない。国王のためではない。自分のために。
「あぁ、でも、どこにいても、とおまえを愛してる。」
会えない日が続いたとしても、国が滅びない限り、いつか愛する妻と子供たちに会える日が来るだろう。その日を信じて、戦い続ける。そして戦い続ける間、思いはきっとギルベルトを強くする。
それができないなら、この思いを抱えたまま、滅びた方がずっと良い。
「は妊婦だ。おまえはお兄さんになる。と、子供を、頼むぞ。」
ギルベルトは息子の頭を撫でつけた。自分に似た少し堅い手触りの銀髪は、手に酷くなじむ気がした。
6歳の息子に、彼女とお腹の子供のことを頼むのは酷なのかもしれないが、誰にも頼めない。そしてギルベルトがいなくなれば、家族の中で彼は唯一の男なのだ。
ユリウスはじっと黙ってギルベルトの話を聞いていたが、こくりと一つ頷いた。
「わかった。大丈夫。ぼくがかあさまとお腹のあかちゃんを守るから。」
「あぁ、」
つらいだろう。けれど、泣かずに言う息子にギルベルトは目を細めた。
数年前の彼は赤ん坊で、泣くだけだったというのに、こうして話をし、わかり合えるまでになった。そして今また、別の人を守ろうと言う意志を持っている。不思議だなと思う。数年前に抱いた赤子はあれほどに小さかったというのに。人の成長は早い。
それをギルベルトは、酷く喜ばしく思う。
ユリウスが生まれた時のことを、ギルベルトは昨日のことのように覚えている。焦りと不安と、がいてくれたら、子供なんていらないと思っていた。その考えを吹き飛ばすほど、泣きそうなほどに抱いた彼は重くて、愛おしかったのだ。
「ありがとう、ユリウス。」
ギルベルトはユリウスを抱きしめる。
まだ小さな体だ。だが、多分しばらくすれば驚くほどあっという間に大きくなるだろう。そうしてを守れるようになるだろう。自分がいなくても、自分の代わりに。
腕に力を込めれば、ユリウスが抗議するようにギルベルトの腕を叩く。少し体を離して彼を見ると、ユリウスはこちらを睨み付けていた。挙げ句の果て、彼はギルベルトの頬をふにっと引っ張った。
「でも、約束してよ。とうさまも、帰ってくるって。」
頬を膨らませる様は、怒っているようだ。
「ぼくだってがんばるんだから、とうさまだけ逃げるなんてぜったいにゆるさないから。」
言い切られてギルベルトは目をぱちくりさせる。
「これでぽっくりいったら、地獄のはてまでおいかけて息の根とめてやるから」
「・・・俺は地獄行き決定かよ。」
「あたりまえでしょ!?息子と妃ほっぽって死ぬなんて神様だってゆるしてくれないから。」
ユリウスの言葉はなかなか酷い。だが、ギルベルトに帰ってきてほしいと願っているのは、本当だろう。ギルベルトは思わず笑ってしまった。しんみりした話をしていたのに、話の終着点が酷すぎる。
まさか、息子にそんなことを言われるとは思わなかった。
「あぁ、必ず帰ってくるさ。」
ギルベルトはユリウスを抱きしめる。
「どんな姿になっても、必ず戻ってくる。だから、たちを頼むぞ。」
頼りにしている。
子供らしくないほど賢いユリウスに戸惑ったこともあるが、彼はギルベルトに神がくれた宝物だ。その能力で、彼はきっとを守ってくれるだろう。
「ごめんな。俺は、俺だから。」
国だから、国から離れられない。ギルベルトが困ったように笑うと、ユリウスは紫色の瞳を瞬く。そこには子供とは思えない大人びた光がある。
「とうさま、たまに変だよね。」
けろりとユリウスは言って見せた。
「どういう意味だよ。それ。」
「別に。」
ギルベルトは不安が混在する心うちを押し隠して尋ねたが、ユリウスはと言うと肩を竦めただけだ。
「どっちにしろ。ぼく、とうさまの子だしね。顔そっくりだし。」
「そりゃ俺の子だからな。」
「そ。それにぼくは生まれながら公太子。そういう変わらない事実はきにしないことにしたんだ。」
あっさりとした言い方だったが、多分その小さな胸の中には何か葛藤があったのだろう。大きな重荷を背負っているのはユリウスだってそうだ。国。国家。その重みに悩み続けた後継者たちを、ギルベルトはずっと見てきた。
「ユリウス、俺は…」
幼い息子を前にして、ギルベルトは続きを口に出すことは出来ない。ユリウスはギルベルトとそっくりの顔で軽く笑って、赤紫色の瞳を細める。
「待ってるから。」
ギルベルトにひたむきに向けられる、言葉。
「あぁ、待っていてくれ。」
必ず、帰るから。
辛くても、苦しくても、何度も心の中で繰り返して、夢見て、戦い続けるから。
待つものを思い、戦うこと