夜中過ぎに、ギルベルトは突然に起こされた。




「陣痛が始まったみたいなので、あと1時間ほどしたら、産婆を呼んでください。」





 あまりに悠長な指示だが、本人のは痛みが激しいのかうずくまって息も絶え絶え。

 結局ギルベルトは一時間も待てず10分で産婆を呼びに走ってしまった。その後は人や女官が集まる中、痛みに震えるの手を握りしめることしか出来ない。前回と同じだったが、それでも前回と違って彼女の汗を拭いてやったり、声をかけることが出来るようになっただけ、成長だと自分の冷静な部分で思った。

 前回は本当に手を握って、戸惑って、凍り付いているうちに終わってしまった感じだったから。





「おかあさま、だいじょうぶ?」





 騒がしさに起きてきたのか、ユリウスは父親と母親が取り込み中であるのを見て取り、近くにいた女官を捕まえて尋ねる。




「大丈夫ですわ。」




 女官は公太子の質問になんと答えて良いのか迷ったようだが、近くにいた乳母のフェージリアーズ伯爵夫人ルイーズが柔らかに微笑んで言った。




「でも、おかあさま、くるしそう。」





 の姿を垣間見たからだろう。泣きそうな声音でユリウスが訴える。だがギルベルトも不安がるユリウスになんと言えばよいのか分からず、目をぱちくりさせた。だが、子供を三人も持つルイーズの答えは絶妙だった。




「えぇ、子供を神様から授かるというのは、大変なことなのですよ。」





 神妙な顔つきで彼女はそう言って、の近くにユリウスを連れてくる。ギルベルトは驚いたが、辛そうな顔ながらはユリウスに笑って見せた。




「もう、すこし、お利口にまっていて、ください。弟、か、妹。たのしみに、」




 優しく、ギルベルトに握られていない方の手でユリウスの頬を撫でる。




「大丈夫?」





 ユリウスはに心細そうに尋ねた。はそれに深く頷いてみせる。





「さぁ、わたくしと一緒に、お待ちしましょうね。」






 ルイーズがゆったりと落ち着いた様子でユリウスを連れて部屋から出る。

 しばらくするとも陣痛が酷くなったのか、言葉も出ないような状態で黙り込んでただ痛みに耐えるようになった。結局出産には時間がかかり、赤子が生まれたのは明け方も過ぎて日も高くなった7時過ぎのことだった。





「女の子ですな。」




 産婆は柔らかに笑って泣き叫ぶ赤子を産湯につけてから、ギルベルトに渡した。は前回と同じようにぐったりとしていたが、意識はしっかりしているようで、細く目を開けていた。





「また、銀髪、」





 ぽつりと小さく呟いて、赤子の髪を触れる。今度は女の子だったが、やはり銀髪だ。生まれたばかりで真っ赤なので、顔立ちがどちらに似ているかはわからない。だが、何となく、又自分に似ている気がして、ギルベルトは笑った。




「…ギルの方が、遺伝子的に強いの、ですかね?何となく納得。」




 は銀髪の赤子の頭を手で撫でながら言う。




「どういう意味だよ。」





 ギルベルトは軽く抗議の声を上げて、赤子の顔をのぞき込む。




「女の子だ。ユリウスの言うとおりだったな。」




 初めての女の赤子は、最初の子であるユリウスよりも少し重いらしい。産婆は、女児はそんなものだと言っていたが、ギルベルトにはよく分からない。





「抱かせて!抱かせて!!」




 女官に連れられて部屋に入ってきたユリウスは生臭いにおいに一瞬顔をしかめたが、すぐにギルベルトの腕に抱かれている赤子を見て、嬉しそうに叫んだ。





「気をつけろよ。首を腕に乗せて…。」





 初めて赤子を抱くユリウスに、ギルベルトは最初に赤子を抱いた時に教わったそのままのことを教える。




「う、うん。」




 ユリウスは戸惑いながらも4キロある赤子を慎重に抱いた。隣では女官や乳母のルイーズが心配そうな顔で初めての赤子との対面をするユリウスを見つめている。




「かわいい?」




 がベッドの上から穏やかな表情でユリウスに尋ねる。




「んー、わかんないよ。真っ赤だもん。」




 ユリウスの言葉はあまりに素直で、張り詰めていた空気が一気に和み、女官たちもくすくすと笑う。一般的な基準から言えば、生まれたばかりの赤ん坊はしわくちゃで、真っ赤でよくわからない。

 かわいいかどうかも、顔立ちという点では判断できないだろう。





「でも、きっとかわいいと思うよ。ぼくにとってはね。」





 ユリウスは眠っている赤子に、それでも満足感を得たらしく、額にそっと口づけて笑った。




「ぼくの、妹だ。」

「そうだぜ。」





 ギルベルトも笑って、ユリウスの肩を抱いて、の横たわるベッドの近くの椅子に座る。そしての頬を優しく撫でた。




「ゆっくり休めよ。」 





 疲労の色の濃いにそう言うと、は頷いて目を閉じた。やはり疲れていたらしい。を起こさないように寝室から出る。女官のエミーリエだけが部屋に残り、それ以外の人間はを休ませるために全員外に出た。

 赤子はユリウスの腕に抱かれたまま幸せそうに目を閉じている。ギルベルトの自室にユリウスと赤子と共に入ってから、ギルベルトは少し疲れを感じて椅子に崩れ落ちるように座った。

 やはり子供の出産は何度立ち会っても慣れない。心配だし、心臓は凍り付きそうだし、でも酷く興奮している。変な感覚だ。それでも、ユリウスが抱く赤子を見れば酷く穏やかな気持ちになれた。




「おとうさま、おなまえはなににするの?」





 ユリウスは赤紫色の瞳をくるくるさせて、ギルベルトを見上げる。




「アーデルハイト・ヴィクトリアにしようかと思ってる。」




 古いドイツ語で《高貴なもの》を意味する名だ。誇り高く、美しい女性になってほしいという願いを込めて、古いドイツ語をとった。




「アーディ・ヴィッキー、だね。」




 ユリウスは楽しそうに笑って、赤子を見た。




「そうだな。」




 顔はまだ赤くてくしゃくしゃだが、これほどに愛おしいものはないとギルベルトは思う。子供を見る度に、本当に涙が出そうなほど、幸せだ。まさか二人目の子供を抱けるなんて、10年前の自分では考えられなかった話だ。


 この極上の幸せを味わった国が、一体何人いるのだろうか。





「本当に、かわいいな。」





 親ばかともとられかねない発言だが、親ばかでも何でも良いと思ったのは、ユリウスが生まれた時だ。なんだって良い。世界にこれほどに愛おしいものがあるだろうかと思った。その気持ちは今も変わっていない。

 戦争が始まるかも知れない。きっとあと数ヶ月で。

 でも、この子供たちに会うためならば、自分は何でも出来る気がする。



「本当に、愛してるさ。」




 ギルベルトは隣にいるユリウスと、そして赤子を抱きしめる。

 を愛している。同時に子供たちを心から愛おしいと思う。子供たちを守りたいし、子供たちとともにいたい。寄り添っていたい。




「おまえたちは、俺の宝物だ。」



 臆面もなくそう言えば、ユリウスは少し恥じらったように笑った。

 ギルベルトは多分自分が消える瞬間まで、この愛おしい存在を忘れないと言い切れる。涙が出るほどに愛おしい、小さな命。自分と愛おしい人との間にある命は、これからも脈々と続いていくんだろう。続いていってほしいと思う。




「世界で一番愛おしい。宝物だ。」



 涙出るほど、愛おしいと思うものをこの腕に抱ける。この感動を、ギルベルトは忘れない。

 真っ赤な女の赤子はくしゃくしゃの顔で、うっすらと目を開けている。その小さな額に口づけて、ギルベルトは心から笑った。


  心から愛する者たちのために 帰って来ることを誓うから