「それならそうと早く言ってくれれば良かったのに。」







 ギルベルトががアプブラウゼン侯爵の娘ではないという件をフリードリヒに報告すると、フリードリ
ヒも同じような反応を返した。

 彼女の性格からして、母親の醜聞でもあり、母の行った諸行への申し訳なさもあって父親にうとまれようが
黙っていたみたいだが、正直このご時世浮気相手の子供を認知するなんて醜聞ではあるがある話だ。

 父親もイギリスの貴族らしいが、今ギルベルトたちがの血筋で重要視しているのはあくまでフォンデ
ンブロー公爵家の血筋を引く母親のほうで、別段父親のほうは言い方を悪くすれば誰でもよかった。むしろア
プブラウゼン侯爵が彼女の父でなかったほうがすっきりくる。






「せいせいしたぜ。これで俺たちは遠慮なくアプブラウゼン侯爵を攻められるわけだ。」





 ギルベルトは万歳をして喜ぶ。

 最近アプブラウゼン侯爵領はオーストリア派に傾きつつある。アプブラウゼン侯爵領はフォンデンブロー
公国と同じくオーストリアとプロイセン王国のはざまにあり、先の戦争ではアプブラウゼン侯爵はプロイセ
ン王国につき、臣下となったが、これからもそうだとは限らない。


 だが、臣下となった限りはプロイセン王国領でなければ困る。

 ましてやオーストリアのマリア・テレジアはシュレジェン奪還を諦めていないから、警戒すべきだろう。
そういう意味で、最近のアプブラウゼン侯爵はきな臭かった。






「ただ嬢はアプブラウゼン侯爵と君が敵同士になれば心を痛めるだろうね。」






 フリードリヒは小さく息を吐く。

 母の醜聞をおそらくは本当に申し訳なく思っていたのだろう。だからこそ母親の違う姉や兄にでもひ
どく扱われて何も言わなかったのだ。






「わっかんねぇな。他人だろ?」







 ギルベルトは近くの椅子にどさりと腰をかけて言う。





「他人でも、うとまれていても、彼女の居場所だったのだよ。」






 フリードリヒはギルベルトに穏やかに言う。

 プロイセンそのものであり、土地と結びつくギルベルトでも、居場所がほしいというその感情はわかるだろ
う。彼とて流浪の騎士団だったのだから。





「まぁ、関係ねぇよ。今は俺があいつの居場所さ。だったら元がどこでも関係ねぇだろ。」






 ギルベルトはニッと笑う。

 たとえがその冷たい居場所を、ほかの居場所がない故に保持し続けていたとしても、ギルベルトは少
なくとも彼女に絶対的な居場所を与えてやることができる。どちらを選ぶかはもう決定されている。彼女はこの
時代の中ではギルベルトのもとで生きていくことしかできない。

 だったら、何を思っていようが、たとえアプブラウゼン侯爵を庇おうが、関係ない。の居場所はギルベル
トのもとしかないのだから。






「おまえのそういうはっきりした性格は美徳だと思うよ。」






 フリードリヒは苦笑して、それから書類に目を向けた。





「ただ、馬鹿なのがたまに傷かな。」

「フリッツ、俺に恨みでもあんのか?」

「多数記憶しているがな。」







 軽い言い争いを二人で楽しんでいると、ノックの音が聞こえた。

 フリードリヒが声をかけると副官が入ってきて、ギルベルトに書類を渡す。分厚い束は昨日までギルベルト
が必死になって書いていたものだ。







「あぁ、忘れていたやつだ。」






 家に忘れてきていた書類に目を通して、ギルベルトは小首を傾げた。







さまがもってらっしゃいましたよ?」

「は?!が!?」

「はい。直接渡されてはどうかと尋ねたのですが、おじゃましてはいけないからと仰せになりまして。」






 副官は「歩いてこられたのでお疲れで、少し控えの間で休んでいらっしゃいますよ。」とギルベルトにニヤ
ニヤしながら言った。

 どうやら徒歩で来て疲れたので休憩してから帰ろうと思っているらしい。

 メイドか誰かが付いてきているだろうが、それでもはあまり家から出ないし、馬も上手ではないから
歩いてきたのだろう。






「なぁフリッツ・・・」

「あぁ、もう帰っていいぞ。この書類が必要だったわけだからな。」






 フリードリヒは少し意地悪く笑ってギルベルトに退出を命じる。






「どーも。」






 ギルベルトは帽子をとって頭を下げながら部屋を出て廊下へと足を踏み出した。


 副官の案内で控えの間に行くと、疲れのせいか椅子に座ってぐったりしていたが、人の気配にあわて
て立とうとしているところだった。

 副官はギルベルトを案内すると気を利かせてすぐに出ていった。






「あ、あの、ご、ごめんなさい、勝手に来て、」






 はあわてて俯いて、謝罪する。

 正直書類をほったらかしで家を出たのはギルベルトで、なぜ謝られているのかわからないが、最近はこれは
言葉が出ないからだと気付いた。あわてるにギルベルトは笑う。






「助かったぜ。あの書類なけりゃ、誰かに取りに行かせる予定だったからな。」

「あ、はい。」






 は礼を言うギルベルトにこくりと頷いた。

 昨日必死でギルベルトが机にかじりついている姿はも知っている。そのため寝ぼけ眼の彼がその資料
を置いて行ったときは、届けなければとすぐに理解できたのだ。






「それにしても歩いてきたのか?」

「あ、はい。」

「誰も連れずに?」

「だ、だめでしたか?」






 は不安そうにギルベルトに尋ねる。

 よく考えるとがギルベルトの屋敷から出るのは、ギルベルトと一緒以外では初めてだったかもしれ
ない。はあまり外に出たがるタイプでもないし、境遇が複雑なだけに外に出るのははばかられただろ
う。 だから、外が危ないという感覚もないのかもしれない。






「泥棒とかもいるし、一応人と一緒に来いよ。」






 これからも一人で来られても困るので言うと、叱られた子犬か何かのように彼女はしゅんとした。





「ごめんなさい、」

「いや、でもな。まぁ、書類を持ってきてくれたのはありがたかったから。」






 慰めるように言って、ギルベルトは息を吐く。





「大丈夫か?」






 少し汗ばんだ彼女の額の亜麻色の髪をなでてやると、は目を細めた。






「帰りは馬で帰るが、もう少し休憩するか。」





 もうフリードリヒから帰るように言われているし、問題なさそうだが、は歩いてきたばかりなので少
し辛そうだ。馬で帰るとしてもぐらぐら揺らすのはかわいそうかもしれない。







「あ、大丈夫ですよ、帰ります。」







 ははじかれたように顔をあげて立ち上がるが、案の定ふらついた。あわててギルベルトは彼女の体を
支える。





「ほら、もう少しじっとしてろよ。」





 カウチにを支えながら腰を落ち着けると、は本当につらいのか、もたれかかってきた。日ごろ
では絶対にあり得ない行動にどきりとする。






「そんなにしんどいなら、これからは人を使えよ。」






 ギルベルトはを思いやるように言う。すると目を閉じていたが目を開けて、潤んだ菫色の瞳で
彼を見上げた。





「ご、ごめんな、さい。」





 うなだれた様子に、ギルベルトがあわてる。






「いや、あのな。迷惑だって言ってんじゃねぇンだ。ただ、ほら、つらいと困るだろ?俺は来てくれてうれし
いけど。」






 なだめるようにつらつらと適当なせりふをなだめる。は大きな瞳をくるくるさせて、不思議そうにこ
ちらを見ていた。





「いや、あの、もういい。」






 ギルベルトは馬鹿らしくなって顔をそむける。

 外で国王と副官がのぞき見て笑いをこらえていたことを、ギルベルトは知らない










 
きみにふりそそぐうた