負傷した兵士や沢山の将校、兵士が運び出されたりと、人々がせわしなく動くのを見ながら、ギルベルトはぽつりと呟いた。




「ひっでぇな、こりゃ。」




 プロイセンはザクセン軍を降伏させ、援軍に来たオーストリアを撃退した。

 結果としては全く問題のないものだったが、戦争と言うのはどこであっても、終わってみれば酷いものだ。左翼を指揮していたベーヴェルンの活躍により勝利をおさめはしたが、悲惨だった。

 この時代、捕虜に対するきちんとした条項などありはしない。動くハンガリー兵にとどめを刺すベーヴェルン率いるプロイセン兵の姿があちこちで見られた。

 とはいえ、プロイセンの犠牲も甚大だ。他国の兵まで慮っている暇はない。だがそれでも、ギルベルトはふっと、彼らの家族のことに思いを馳せた。倒れ伏す彼らには、家族はいたのだろうか。いなかったのだろうか。

 頭の中に、と子供たちの笑顔が浮かぶ。

 今までになかった感覚だ。高揚する精神ばかりだった前回と違って、戦っても頭は随分と冷えていた。酷く冷静で、酷く落ち着いている。





「はぁ、」





 や息子に手紙を書こうかと思って適当な木の箱の上に羊皮紙を置いていたが、こんな場所で書くことは見つからず、ギルベルトは空を見上げた。






「なんだ殊勝なことをしてるじゃないか。」





 フリードリヒがやってきて、羊皮紙を見る。





「そういや、騎兵は見つかったのかよ。」

「…見つかったが、死んでいたよ。」

「そうか。」




 ギルベルトはあっさりと答えた。

 フリードリヒは戦闘が始まる前、怪我を負った騎兵に自らのハンカチを渡して手当をさせたのだ。戦闘が終わると、フリードリヒはその騎兵がどうなったのかが気になり、兵たちに探させた。彼は本格的な戦争が始まる前から既に手負いだったが、やはり死んでいたらしい。

 この激しい戦いの中では十分に予測できることで、前線に赴く危険を考えれば当然のことだと言えた。





「顔でも洗ってくるか…」





 ギルベルトはすっきりしない頭を抱えてそう言ったが、フリードリヒは首を振る。




「やめておけ。エルベ川沿いは今、酷い状態だ。」





 オーストリア兵は近くにあったロボッツと言う村からプロイセン軍によって放り出され、火をつけられた村から逃れるために川へと飛び込んだ。それ程寒い時期ではないが、多くのものが溺死したと言う。

 川縁は死体が浮かんでおり、顔を洗えるような状態ではなかった。





たちはフォンデンブローに無事ついたかね。」





 ギルベルトは妻と子供を思い出し、息を吐いた。





「ついたのではないか?秘密裏に穀物の輸出を拡大してくれたよ。ありがたい。」





 フォンデンブロー公国はザクセンとも国境を接している。今回プロイセンがザクセンを占領したことによって、フォンデンブロー公国の商人たちはあっさりとザクセンに駐屯するプロイセン軍の補給を秘密裏に担ってくれた。

 もともと取引があったため、あっさりとしたものだった。

 フォンデンブロー公国の議会は開戦と同時に一切の中立を宣言したが、裏ではしっかりプロイセンやイングランドと繋がっている。ここ数年経済的、政治的にプロイセンとフォンデンブローはお互いに依存を深めてきた。それを突然断絶することはなかなか出来ない。




「あんま無理しねぇと良いけどな。、あれで結構真面目だから。」






 ギルベルトは出産してまだ半年ほどしかたっていないを思い出す。前回ほど酷くはないようだが、産後は体調を崩すことが多かった。





「大丈夫だろう。議会はきちんと機能している。フォンデンブローは非常に優秀だ。」





 軍事的なこと以外は、と言うか、軍事的なことも含めて議会に掛け合うであるため、先代の公爵たちに比べればの決定することは目に見えて減っていた。





「随分と冷静だな。」





 フリードリヒはギルベルトを笑う。





「あぁ、なんかすっげー変な気分なんだ。」





 かつて感じた戦いに対する高揚感はなく、ただ何もない水面のように揺れることのない感情だけを抱えている。そのため冷静に判断できている部分もあり、ありがたい限りだった。少し慎重になったのかも知れない。

 突撃を自分の傷も考えずに繰り返していた時代もあったが、そういう気分には到底なれなかった。





「だが、それも正解だろうな。オーストリアは、強くなっているぞ。」





 前回ほど容易には勝てない、とフリードリヒは今回の交戦で結論づけていた。

 オーストリアの女帝マリア・テレジアの政策は、確かに一定の成功を見せているらしい。長年培ってきた技術のあるプロイセンほどではないが、しかし着実にその差を縮めてきている。





「これは、長引くかも知れんな。」




 フリードリヒは不吉な予言をして、ギルベルトの隣に腰を下ろす。






「おまえ、案外こまめだな。」

「うるせぇよ。」

「前から思っていたが、存外のことに関すると、本当に筆まめだ。」






 今までギルベルトには手紙を目立って送る相手がいなかった。そのためあまり手紙を書かず日記にばかり書いていたが、相手が出来ると黙々と暇があれば手紙を書いている。妃である宛だけではなく、きちんと息子宛のものまで書くのだから、本当にすばらしい。

 この分だと娘が読み書き出来る年になれば、娘へもこまめに書くのだろう。






「アーデルハイト・ヴィクトリアだったか。」

「あぁ、俺がつけた。」






 ギルベルトは赤子の娘を思い出す。





「またごつい名前をつけたものだな。勝利、か。」

「そうだ。勝利。だ。」





 ヴィクトリア、それは勝利の意だ。娘の名前はギルベルトにとっての願掛けだった。

 子供の性別が女なら、絶対に『勝利』と名付けようと思った。きっとこの赤子が勝利を運んでくれる女神になると、信じようと思った。そして、それはのための『勝利』でもあった。




「目がちょっとつり目でさ。ユリウスより俺似だって、が笑ってた。」

「確かに、ユリウスは目元が柔和だからな。」





 フリードリヒは納得して、ギルベルトの二人の子供を思い出す。




「おまえ、絶対娘を嫁にやれないタイプだろう。」

「うるせぇよ。」





 ギルベルトはフリードリヒの言葉に反応する。それをフリードリヒは面白そうに喉元で笑って、肩を竦めた。

 プロイセン有数の将軍であるギルベルトと、何よりフォンデンブロー公国の女公との第一公女だ。年頃になれば引く手は数多だろう。長らく続く名家の公女ともなれば、他国の王族に嫁ぐことだって十分に可能だ。






「もしも彼女が気に入る嫁ぎ先がなければ、我が王家におまえの公女がほしいよ。」







 フリードリヒは不機嫌そうにふてくされるギルベルトに言う。





「先の話だ。だが、娘は早いぞ。」 





 14,5歳で結婚が決まるのが常の時代だ。特に女性は結婚が早い。も14で結婚している。






「あー、考えたくねぇ。」





 ギルベルトは頭を抱える。確かに人間の成長は早い。






「とか言ってるとすぐに嫁ぎ先を選ばなければならなくなるぞ。イギリスとか、フランスが名乗りを上げてきたらどうする。」

「ぜってーやだ。」





 断言して、ギルベルトは顔を上げて空を見上げる。







「早く終わらせて、帰ろう。」







 ギルベルトが彼らといられるのはたった数十年だ。否、もっと短いのかも知れない。だから、心から早く帰りたいと思う。

 ギルベルトは未だ彼らに自分が国であると話したことはなかった。は少し疑問に思っているようだが、それは当然のことだろう。ギルベルトは年をとっていないのだ。

 だから、ギルベルトが彼らの傍にいられるのはもっと短いかも知れない。彼女が国である自分を受け入れてくれるとは、そしてよしんぼ彼女が受け入れてくれたとしても、子供たちは受け入れてくれないかもしれない。

 子供が出来て、ギルベルトは自分が国であることをもっとに話せなくなった。

 大切な者たちを、手放したくなくて、嘘に嘘を重ねた。それはもう限界なのかも知れない。でも、お願いだから少しでも長く、気づかないでほしかった。





  滅びの前で足踏みを