ユリウスはカウチに寝転がりながら、ギルベルトからの手紙を見つめる。






「とうさまって本当に筆まめ。」





 言いながらも、彼の表情は酷く嬉しそうだ。は思わず笑って、近くの書類をめくる。

 議会からの報告書。たちがノイエルーフェンの近くにあるアルトルーフェン宮殿で療養していても、相変わらず議会は首都のヴァッヘンにある。何ら問題はないが、随時報告書が来ていた。

 中にはオーストリアなどに滞在しているフォンデンブロー公国大使からの報告だ。各国の動向が記されている。特に軍事動向に関してはもきちんと目を通しているし、時にはプロイセン軍への横流しもしていた。

 中立を保っているが、それでも攻められる可能性は否定できない。フォンデンブロー公国内でも軍隊の動員は始まっており、退役軍人などまで招集されていた。要塞の兵士の増員もされている。そういった書類を見ながら、は小さく息を吐いた。





「失礼します。」

「はい。どうぞ。」








 が返事をすると、シュベーアト将軍が入ってくる。

 議会の議長でもあるシュベーアト将軍は、定期的に議会の動向の報告にアルトルーフェン宮殿へと訪れていた。




「あ、シュベーアト議長だ。」




 ユリウスはぱっと顔を上げて、寝転がっていた体勢をきちんと正す。





「秋の収穫は例年通りですね。」





 シュベーアトは柔らかに笑んでに報告をした。

 隣国のザクセン、フォンデンブロー一帯は一大穀倉地帯である。川が流れているため水が豊かで、山もあるため豊かな土壌がある。じゃがいもしか育たないほど痩せた土地の多いプロイセンと違い、フォンデンブローは莫大な農作物の収穫がある。






「戦争でやはり通商経路は阻害されがちですが、ザクセンがプロイセンに占領されたおかげで、ザクセン側からの農作物の輸入などは増えました。」

「そうですか。そりゃ良い話ですね。」






 はあっさりと言った。

 基本的に軍事行動というのは莫大な農作物、飼い葉、そして大砲などの鉄を必要とする。当然それを供給する場所が必要だ。そのためにプロイセンのフリードリヒは穀倉地帯として豊かなザクセンをまずはじめに占領したのだろう。

 フォンデンブロー公国では目立って何もない。

 戦争がヨーロッパの各地で行われていると言うのに、驚くほどに何もないのだ。穏やかに過ぎていく時間が嘘のようだ。けれど、ギルベルトは帰ってこない。





「ねぇ、ぼく、秋の収穫祭の軍の行進に参加しても良い?」






 ユリウスが突然にそう言った。






「え?貴方が?」





 は思わず目をぱちくりされたが、考えられない話ではなかった。

 収穫祭では、軍の行進が行われ、フォンデンブロー公による閲兵式、叙勲なども行われる。カール公子がいた頃は軍の行進に公太子である彼が参加していたが、彼が亡くなり、先代のフォンデンブロー公も既に老齢で、後を継いだも女性であったため、行進に参加したことはない。

 もうおそらく10年ほど、公太子による軍の行進は行われていないだろう。





「少し、早くないですか?」






 フォンデンブロー公太子が秋の軍の行進に先頭で参加するのは恒例であったが、ユリウスはまだ6,7歳の子供である。

 公務をこなすにはまだ早くないだろうかとは感じた。だがシュベーアト将軍の考えは違うようだった。






「確かにまだお早いとは思いますが、軍の将校たちとの関係は重要だと思います。」







 父親がプロイセンの将軍であるため、どうしてもユリウスはプロイセンの首都であるベルリンにいることが多かった。この時代別にそれ自体は珍しいことではないが、将来的に軍隊を指揮するのはユリウスだ。特に今の公爵であるが女のため、軍の指揮は早い段階でユリウスが行うことになるだろう。

 将軍などと会う機会は多いが、これからの軍隊を担う将校たちとの意見交換の場は少ない。幼いうちからそう言ったことを知っていた方が楽だろうというのがシュベーアト将軍の考えだった。





「それにユリウス公太子は優秀ですから、」






 年の割に聡いことをシュベーアト将軍はよく知っている。

 は一度ユリウスの成長が早いことについてシュベーアト将軍に相談したことがある。彼の意見は『花が同じ花でも花びらの形がそれぞれに違うように、子供も皆それぞれに違います。成長が早かったとしてもそれは自然なのです。』だった。要するに、他の子供たちなど気にせず、彼の成長に合わせた教育をすべきだと言うことだ。





「ね。ちゃんとぼくがんばるよ。だから良いでしょ?」





 ユリウスはの手を引っ張る。





「そうですね…、わかりました。手配をしてください。」







 あまりに息子が熱心に頼んでくるので、はとうとう折れた。シュベーアト将軍は頭を下げて、手配に関して了承の意を伝える。





「無理は、しなくて良いですよ。」






 は息子の様子が気になって、思わずシュベーアト将軍が部屋を辞すると同時に彼に言う。






「ギルベルトがいなくなったからといって、貴方の立場は全く変わらないのです。」






 フォンデンブローに帰ってきてから、ユリウスは軍と積極的に関わろうとしている。

 この間は士官学校に視察だとクラウスト一緒に出かけ、意見交換をしたり、軍人たちのサロンに将軍と一緒に顔を出したりと、が生まれたばかりのアーデルハイトにかかり切りになっている間によく出かけている。

 ギルベルトは確かに一部フォンデンブロー公国の軍隊を担うことがあった。

 だがそれはあくまで臨時的な措置であり、通常ギルベルトはあくまで君主の配偶者で、すべての決定権はにあった。ギルベルトがいなくなったとは言え、常に決定権はにあったのだ。それが動くことはない。





「うん。でも、ぼくはぼくのできることをしたいんだ。」






 ユリウスは足をぶらぶらさせる。





「まぁ、確かに軍と貴方が仲良くなってくれることはありがたいですけどね。」






 は肩を竦める。

 ギルベルトは案外フォンデンブロー公国軍と仲が良かった。対しては女であることもあり、軍隊の制度、政治や政策に関して議会と話し合うことはあっても、軍と直接会話することは議会に議席を持つ軍人以外とはあまりない。

 軍の情勢を知るためにも、確かにユリウスが軍と仲良くなってくれるのはありがたいことでもあった。





「でしょ?ぼくってかしこい。」

「あら、調子に乗った。」






 えっへんと椅子から飛び降りて偉そうに反り返るユリウスに、は口元を押さえて呆れて見せた。






「それに、とうさまと約束したんだ。おかあさまとアーディを守るって。」






 強い眼差しは、少し紫がかっているけれど緋色に近く、面立ちは柔和だけれどギルベルトに似ている。

 もう、七つになるのか。


 は一回り逞しくなった息子に、目を細める。





「少し寂しい気もしますけどね。」






 いつもいつも手がかかって仕方なかった息子だ。

 歩けるようになった途端に誰もが追いかけるのが大変なぐらい、なんにでも興味を持って、周りのことなんて何も考えずに行ってしまう。その一途さはギルベルトに似ていて、よく困りながらも笑ったものだ。

 振り回されて、でもそれが依存されているようで心地よかったとも今は思える。





「きっとギルベルトが帰ってきたら、貴方の姿にびっくりするでしょうね。」

「かもね。」




 ユリウスの身長は本当によく伸びている。数ヶ月離れただけで、成長はめざましいものだろう。ましてや今度は社会的な活動にも参加しようとしている。





「まぁ、でもギルベルトももしかしたら老けて帰って来るかも知れないですけど。」





 もうギルベルトも30を優に過ぎている。と言うのも元々よりいくつも年上だったのだ。年齢がきちんと分からないことはこの時代にはないことはない話だった。ただ、ギルベルトは未だに若々しかった。




「それは、ないと思うけどね。」





 ユリウスは軽く小首を傾げて、けらけらと笑って見せた。



  支え続けてくれるから