ローデリヒが初めてフォンデンブロー公太子である第一公子フリードリヒ・ユリウス・フォン・フォンデンブロー=バイルシュミットに謁見したのは、雪も深くなった冬のことだった。
と言っても正式なものではない。
まだ8歳の公子に謁見することを、フォンデンブロー女公であるは許しはしなかったし、同席も幼い故になかった。そのため、ローデリヒは数度遠目でユリウスを見ることはあったが、間近で見ることになったのは、視察に訪れた士官学校でのことだった。
フォンデンブロー公国の士官学校がどうなっているのかとローデリヒとエリザベータが訪ねた折に、たまたまユリウスがお忍びでやってきていたのだ。応接間に通された際、先に将校たちと談笑していたのが、公子だった。
「あれがフォンデンブロー公太子フリードリヒ・ユリウス様です。」
案内役であるバインホーフがローデリヒとエリザベータに言う。
15,6歳のまだ若い将校たちに囲まれて話すユリウス公子は、銀色の髪で後ろ姿だけを見るならば幼い頃のギルベルトを彷彿とさせるものがあり、ローデリヒとエリザベータは揃って顔を見合わせた。
「8歳、でしたか?」
「はい。非常に賢い聡明な公太子殿下で、皆期待しております。」
バインホーフは誇らしげに胸を叩いてそう言った。
オーストリアの女帝マリア・テレジアも、フォンデンブロー公子の噂を聞いてオーストリアの宮廷に呼び寄せようとしたことがあったが、常に年齢が若いと言うことを理由に彼の母であるフォンデンブロー女公が拒否していた。
また、オーストリア継承戦争で跡取りであったカール公子を失ってから、フォンデンブロー公国は明らかにオーストリアから距離を置く動きをするようになった。そのため、関係は酷く希薄だ。
「バインホーフ大尉?」
ふっと高い子供らしい声音が響いて、ローデリヒの隣にいたバインホーフが弾かれたように顔を上げて、頭を下げる。
「ユリウス公太子殿下。お久しぶりです。」
「うん。ひさしぶりだね。お仕事中?」
ユリウス公子は軽くバインホーフに声をかける。バインホーフの父親は議会の議員の一人だからだろう。
「はい。オーストリアとハンガリーの特使の案内を任されております。」
そう言ってバインホーフはローデリヒとエリザベータに目で合図をする。
「ふうん。オーストリアとハンガリーの?」
ユリウスは近づいてきて、ローデリヒとエリザベータをまっすぐ見上げる。
近くで見れば、ユリウスはギルベルトに似ているとはローデリヒには思えなかった。目元が柔和すぎるせいだろう。精悍さはギルベルトと同じものだが、穏やかできつさのない顔立ちをしている。
「遠いところからご苦労様。おかあさまへの謁見にこられたの?」
ユリウスは初めてのローデリヒたちに全く臆することなく話しかけた。逆にローデリヒの方が戸惑ったが、尋ねられて慌てて口を開く。
「はい。」
「色よい返事はもらえた?」
「え、」
「駄目だったんだ。残念だったね。」
あっさりとした口調で言って、ユリウスは近くの椅子に座る。そして、ローデリヒとエリザベータにも席を勧めた。
母であるフォンデンブロー女公の心配と謁見の拒否から、ユリウスはそういった公の場に幼いが故に出ていないのかと思っていたが、そうではないようだ。明らかにユリウスは大使を迎えたり、謁見したりと言った行為になれているようだった。
「失礼します。」
一声かけてからローデリヒは向かい側の椅子へと腰を下ろした。同じようにエリザベータも席に着く。
「こんにちは。改めてはじめまして。ぼくはフォンデンブロー公太子フリードリヒ・ユリウスフォン・フォンデンブロー=バイルシュミットだよ。おなまえを聞いても良い?」
ユリウスは子供っぽく小首を傾げてみせる。
「私はオーストリアから特使として来ましたローデリヒ・フォン・エーデルシュタイン公爵。隣は随行してきたエリザベータ・フォン・ヘーデルバーリです。」
ローデリヒは口早に自分の名前を言った。
ギルベルトによく似た顔の、でも全く違う少年が目の前にいる。その違和感は酷く大きなもので、落ち着かない。ましてや今、ギルベルトは自分の敵だ。そして、ギルベルトはこの少年の、父でもあるのだ。その違和感と言えばローデリヒが想像していたよりも遙かに大きなものだった。
「そう、オーストリアか。ぼくはいったことがないな。おかあさまとおとうさまは何度かあるって言ってたけど。」
「綺麗な所ですよ。特に王宮はすばらしい。」
近くにいた将校がユリウスに説明する。本来ならこれはかなり無礼なことだったが、ユリウスは気にした様子なく笑った。
「へぇ、そうか…ぼくもちょっといきたいかな。」
非常に明るく、人見知りのない少年だ。年の割に聡いと言うことだけではなく、明るい。ギルベルトの底抜けの明るさを思い出させるものがある。
「随分と、将校たちと仲がよろしいのですね。」
ローデリヒは思わずそう言った。
下々と関わらないことが多いのが統治者だ。将軍たちと話すことはあっても、若い将校たちとの気軽な意見交換など、本来ならあり得ない。だが、ユリウスは随分とこの士官学校に遊びに来ているようだった。
「うん。やっぱり会ってないと、信頼ってむずかしいでしょ?」
ユリウスは明るく屈託なく笑って見せた。憂いのない、曇りのない笑みは、ギルベルトによく似ている。
「それに、ほら、おかあさまが女だから。ぼくは、じょうずに立ち回らないと。」
紫色の瞳には明確な大人の静かな色合いがある。その冷静さも、酷くギルベルトに似る。
彼もそうだ。熱くなりながらも、冷静に戦況を見ている。自分たちの置かれた状態を見ながら、狡猾に自分のつくべき場所を考えている。
少年の姿が、ローデリヒにギルベルトを思い出させる。
疎ましいほどにまっすぐで、情熱的で、そのくせに冷静な色合い。
「安心してください。俺らがお守りしますよ。」
士官学校の少年が、楽しそうに幼いユリウスを見て言う。
「そうですよ。」
口々に他の少年たちも頷きあう。その瞳には明確な信頼と大きな決意があった。
ギルベルトもそうだった。突拍子もない性格をしているくせに、周りのものに慕われていた。気さくな性格が、兵士たちを引き寄せるのだ。国民を魅了して離さない。
17,8だろうか。少し年かさの少年が、柔らかに笑ってユリウスの肩に手を置く。
「我らが公太子殿下、今度こそ、我らは貴方をお守りします。」
少年の瞳を見た時、ローデリヒはぞっとする。彼だけではない、将校たちも含めて、彼らの瞳には明らかなローデリヒたちに対する敵意があった。
―――――――――お忘れ召されるな、フォンデンブローは、未だに彼を忘れられない。
が会談の最後に言った言葉を思い出す。
10年ほど前に失われた命、フォンデンブロー公国の正当な後継者であり、の又従兄弟でもあったカール・ヴィルヘルム公太子。
才能ある公太子を奪ったのは、プロイセンだった。
しかしそれはオーストリアでもある。特に援軍を一切送らず、フォンデンブロー公国を捨て駒にしたことを、将校たちは10年たった今でも忘れていない。
今の若い将校達、彼らは当時、7、8歳だったはずだ。
その後、カール公太子を失ったために後継者として今のフォンデンブロー女公であるが名を上げると、国は継承権を主張する他国に攻められた。プロイセンに助けられ、それを何とか乗り切ったフォンデンブロー公国だが、その争いの原因を、誰も忘れていない。
幼かった彼らでも明確に覚えているのだ。戦いに参加した将軍たちが、その恨みを忘れるはずがない。仕官たちが、幼いユリウスがローデリヒと会談するのにわざわざついてきたのは、ローデリヒを警戒していたのだ。
「命に代えても。」
幼い公太子は気づいていない。将校や士官が、死にものぐるいで守ろうとしている誇りと、宝を。そして、憎しみも。ローデリヒはそれを目の当たりにして目を閉じるしかなかった。
Vergessen Sie nie.
Never forget!( 忘れない )