1757年7月、フランスによるイギリス領ハノーファーへの侵攻が始まり、すぐにハノーファーはフランスへと占領されることとなった。





「・・・予想してたけど、イギリスって本当に役にたたねぇよな。」






 ギルベルトは手紙でその報せを受け取ってため息をつくしかなかった。

 とはいえプロイセンはプロイセンで6月18日コリンの戦いでオーストリア側に敗北しており、せっかく占領していたボヘミアのプラハを手放す羽目になっていた。




「・・・まったくアウグストは当てにならん。」




 フリードリヒは珍しく吐き捨てるように言った。

 アウグストとは、フリードリヒの年の離れた弟で、彼の失敗によってコリンの戦いは敗北に等しい状態となった。重要な局面であったため、この失敗は大きい。




「どこも弟はあてにならねえってか?」

「なんの話だ?」

「ハノーファーではイギリスのカンバーランド公が負けたらしい。」

「あぁ、あれも弟か。」




 フリードリヒは納得する。

 ハノーファーで指揮を任されていたのはイギリスのカンバーランド公ウィリアム・オーガスタス、ジョージ二世の三男である。




「フォンデンブロー公国側も困ったことになったな。」




 フリードリヒはちらりとギルベルトを見る。




「いや、どうやら結局密輸はばれてねぇらしい。」

「・・・そうか。不幸中の幸いだな。」




 ギルベルトの妃の率いるフォンデンブロー公国はハノーファーの隣に飛び地アイゼンを持っており、そこからイギリス本国に向けて鉄を輸出していた。

 現在フォンデンブロー公国は中立を旨としているため、もしことのことが発覚すれば大事だった。だがしかし、証拠は抹消されているらしい。

 そういう立ち回りがうまいのが、イギリスである。





「幸い飛び地のアイゼンの方も、占領はされていねぇらしい。」






 ギルベルトは報告書をひらひらさせてフリードリヒに言う。

 どうやらオーストリア側も、フランス側もフォンデンブロー公国の言う“中立”を犯す気はないらしい。





「・・・ひとまず、達に火の粉が飛ばねぇのは、ありがてぇ限りさ。」




 ギルベルトはひとまず安堵の息を吐く。




「あの・・・すこしよろしいですか?」




 テンペルホーフがギルベルトとフリードリヒのいるテントへと声を潜めてやってくる。




「なんだ?」




 フリードリヒが小首を傾げて入るように促せば、テンペルホーフは困ったような顔でやってきた。彼は前はギルベルトの部下であったが、現在では一軍を率いる立場にある。

 有名なプロイセンの軍人家系の出身でもあり、のこともよく知っている。





「ちょっとバイルシュミット将軍、よろしいですか?」




 彼はそう言ってギルベルトの方へとやってきて、あたりを気にした。




「安心しろ。人払いはしてある。」




 フリードリヒが言うと、やっとテンペルホーフは安心したのか、話し始める。




「ユリウス様が・・・」

「はぁ?ユリウス?」





 もう1年も会っていない息子の名前にギルベルトは訝しむ。

 彼はフォンデンブロー公国の跡取りであり、と共にフォンデンブロー公国の首都ヴァッヘンへと戻っているはずだ。確かにこの駐屯地はフォンデンブロー公国に近いが、ヴァッヘンまでは一週間近くかかるだろう。

 こんな戦場の駐屯地で聞くような名前ではない。




「あの・・・いらっしゃる、みたいで。」

「はぁ?どこに?」

「・・・・アガートラームに、です。」




 鉱山の街・アガートラームはプロイセン領とフォンデンブロー公国領の国境から非常に近く、山を越えた所にある。

 この駐屯地からかなり近い場所で、七年ほど前にアプブラウゼン侯爵領に攻められたが、今度復興式典がある。噂ではフォンデンブロー女公として現在多忙で、首都を離れられないの代理にシュベーアト議長が出席するという話だった。

 と言うのも、アガートラームの再開発はフォンデンブロー公国の一大事業の一つとされているからだ。





「で、あの・・・その・・・」

「なんだよ。」

「来られてる、みたいで。」

「・・・はぁああ!!??」

「ギルベルト!声が大きい。」




 フリードリヒが驚きのあまり大きな声を出したギルベルトに、注意をする。




「いや、来られてるって、どこに?」

「・・・だから、あちらに、です。」





 テンペルホーフは申し訳なさそうに言って、野営用の天幕の外を示した。慌ててギルベルトが天幕をめくると、そこには自分と似た容姿の幼い少年が物売りをしていた。


 自分が最後に見た時からもう一年近くたっているためか、彼の身長は随分伸びていたが、何よりも彼の格好にギルベルトは度肝を抜かれる。

 誰も彼が貴族の子息だなんて思わないだろう。

 破れてつぎはぎだらけ、ぼろぼろの農民が着るような服の上に長いフードをかぶり、近くの兵士達に果物を渡している。隣には不安そうな顔をしたクラウスがいて、彼もまたユリウスと同じような格好と慣れない手つきで兵士に野菜を売っていた。




「・・・信じられねぇ・・・」





 一体どこでそんな芸当を覚えたんだ。

 彼は公太子として育てられたわけで、父親であるギルベルトも彼を一般人として育てた覚えはない。言ってしまえば今時の貴族のぼんぼんである。むしろ慣れない手つきのクラウスの方が自然だろう。

 よく窺えば、少し向こうには別の女性が同じように髪を隠して汚らしいフードを被って野菜を売っていた。

 ちらりと見えた鮮やかな金髪から、ユリウスの乳母のルイーズだろう。




「・・・冗談だろう。あいつら。」




 信じられない、と言うのが正直なところで、ギルベルトは天幕を閉じて息を吐く。




「テンペルホーフ、おまえ、連れに行ってこい。」




 フリードリヒも眉を寄せて、テンペルホーフに目を向けた。




「はい。」




 テンペルホーフは国王からの命令に頭を深々と下げて、天幕の外へと裏口から出てくる。




「・・・」




 ギルベルトはこそっともう一度ユリウスの方を、天幕を上げて覗く。




「こちらにおいでください。」




 テンペルホーフはユリウスとクラウスの二人を人目から避けるように別の場所に連れて行った。そして回り道をしてから、フリードリヒのいる天幕の方へと二人を連れてくる。

 既に天幕の人払いはすんでいる。




「・・・すごい格好だな。」




 フリードリヒは改めて入ってきたユリウスとクラウスを見て、思わずそう呟いた。

 間近で見ればその格好のすごさがわかる。誰もユリウスがフォンデンブロー公国の公太子で、クラウスが貴族の子弟だなどを思うまい。

 本当に農民の服なのか、嫌なにおいもすれば、あちこちに砂が噛んでいるようで、ユリウスがぽんぽんと手で払うと、砂煙がふんわりと舞った。




「えへへ、すごいでしょー。」




 ユリウスは自慢げにえっへんと腰に手を当てる。




「馬鹿、」




 すごい格好をどうしてここに来たのだと、本当は怒らなければならないのに、ギルベルトはそんな言葉も思いつかず躊躇いもなく彼の体を抱きしめた。




「会いたかったぜ。」




 一年ほど前よりも大きくなった息子は酷いにおいがしたが、そんなことはギルベルトにとって些細なことだ。

 ただ胸の中に息子がいることだけが嬉しかった。




  Mein lieber Sohn 私の愛しい息子よ。