イギリスの駐フォンデンブロー大使であるモンマス公から献上されたのは、あまりにも明るい色合いの鮮やかな布地だった。
「まぁ、なんと綺麗、随分と軽い布地ですこと。」
薄いが丈夫そうな布地で、薄い黄色から鮮やかな赤への色合いもすばらしい。
「それは、インドからのものでございます。」
モンマス公は紫色の瞳を細め、の賞賛に恐縮して答えた。
舶来ものの中でも非常に美しいそれは、イギリス領インドの物品だった。先日インドにおけるフランスとの戦いに勝利したイギリスは、その報告と共に、にこの品を贈ってきた。
「カークランド卿から、こちらの青色の品はユリウス公太子殿下へと。」
モンマス公が持っているのは、また別の文様の鮮やかな薄水色から青色へと変わるグラデーションがかった布地に、の側で大人しく見ていたユリウスは目を輝かせた。
「ムッティ、良い?」
最近公の場ではあまり見せなかった甘えを見せるユリウスに、は笑ってしまった。
モンマス公は既にフォンデンブロー公国へとイギリスから大使としてやってきて、七年がたつ。既にユリウスも顔見知りで、気楽なものだ。
は笑いながらも息子の背中を押して、布地を直接受け取ることを許した。
「すごい薄いね。」
モンマス公から布地を受け取ったユリウスはそれを大きな窓から入る光にかざす。
「これはどうやって織られているの?インドの人たちの技術なの?」
「そうです。私が直接見たわけではございませんが、非常に美しい布地を作ると。」
モンマス公はユリウスの質問に穏やかな声音で答えた。
インドなど、とて行ったことがない。
アメリカもそうだが、インドは更に時間のかかる場所であり、イギリス人の中には一攫千金を夢見て訪れるものもいるそうだが、統治者であるや、後継者のユリウスがヨーロッパ大陸から出ることはないだろう。
だからこそ、興味をそそられるものだった。
「カークランド卿は忙しいの?」
アーサーと仲の良いユリウスは、最近あまり来ない彼に不満のようで、口を尖らせて尋ねる。
「これこれ、戦争ですよ。そのような我が儘は、」
「むー、だってー」
アーサーはなんだかんだ言っても、新たなる発明品を持ってきてはユリウスの心を捕らえている。
不器用なところも目立つ性格をしているが、素直なユリウスはあまり気にしていないらしい。
「おそらくあと数年で、戦争にも勝利することが出来るでしょう。そしたらもっとお持ちできることでしょう。」
モンマス公が自慢げに言う理由は、インドでの植民地争いに勝利しているからだ。
インドにおいて、イギリスはかなりうまくやっているようで、ヨーロッパ大陸においてはフランス軍に大陸で唯一の領地であるハノーファーをとられるなど、少し困った状況になっているが、未だに制海権はイギリスの手にあり、アメリカ、インドなどの植民地でも、イギリスは非常に優勢だった。
「・・・ヨーロッパ大陸での状況を、どうにか出来ませんかね。」
は小さく息を吐く。
プロイセン軍はどんどん消耗しており、6月頃にあったコリンの戦いでも敗北したと聞いた。ギルベルトは生きているが、次の戦いではどうなるか分からない。
フランスとイギリスの対立は、代理戦争のようにオーストリアとプロイセンの戦争をも生み出している。できる限りどういった形でも良いから、戦争を終わらすことは出来ないのだろうかと、は願っていた。
「大陸状況はプロイセンに依存している形ですので、なんとも言えません。」
モンマス公は苦しそうにそうに告げるしかなかった。
大陸状況に関しては、イギリスの議会も非常に懐疑的で、どうにかしなければ行けないとは思っているが、それ程の陸軍力は生憎ない。
プロイセンがフランスやロシアを打ち倒し、ハノーファーを開放することを願っているというわけだ。
他力本願この上ないが、植民地での戦いに精を出しているイギリスにとってはに正面戦争は不可能だった。
「ご夫君でしたら、国が無くならぬ限り、戻って来られるでしょう。心配はありますまい。」
モンマス公がを宥めるように言う。
「国が残っても、彼がいなくなるのでは、私にとっては一緒のことです。」
は目を伏せてため息をついた。だが、その途端、モンマス公は訝しんだ。
「貴方のご夫君は、死なないでしょう?」
「え?」
彼の言っている意味が分からず、は首を傾げる。ユリウスが顔を上げて、モンマス公をじっと見据える。
「人間なのですから、大砲に当たれば死にますよ。」
はモンマス公がまるでギルベルトを神様か何かのように考えている気がして、思わず笑ってしまった。
確かに彼は優秀な軍人だが、人間である限り銃に打たれて死ぬ可能性だってあるし、大けがをすることだってある。
「・・・そう、ですか。それはご心配でしょう。」
モンマス公はそれ以外の言葉が出なかった。
彼はカークランド卿であるアーサーが、そしてバイルシュミット将軍を名乗るギルベルトが人ではないことを知っている。
だが、はギルベルトと結婚しているというのに、彼が『国』だと知らない事実に、今気がついた。
それはある意味で酷なことだ。
確かに寿命の違いはなかなか超えられる差ではない。だが、はギルベルトが死ぬのではないかという恐れを抱いて、常に彼を心配している。
そのことばかりに心痛めている。
特に彼女はかつて婚約者となるはずだったカール・ヴィルヘルム公太子をオーストリア継承戦争で失っている。
だからこそその心配はトラウマのように彼女を苛み続けているはずだ。
「近いうちに、隠居しているアルトシュタイン元帥にもご足労頂く予定です。」
はため息と共に吐き出す。
市民出身で老齢の重鎮で、すでに隠居しているアルトシュタイン元帥を呼び戻すことにしたのはとしても心苦しい決断だったが、ハノーファーが占領された今、戦争は徐々にフォンデンブロー公国と関わりのないものとして扱うにも、限界が出てきている。
そのためにも、重鎮を呼び戻し、軍隊の配備も戦時と同様の配置にするべく議会と掛け合っているのだ。
「プロイセンの味方で参戦なさるおつもりですか?」
心配そうな表情でモンマス公が尋ねる。
「いいえ、それは・・・」
の心としてはもちろん、ギルベルトを助けるためにプロイセン側で参戦できればどれほどに良いだろうと、思っている。
だが、それはあくまで私情であり、国家のなすことではない。
「そういえば、マリア・テレジアが極秘で議会にやってきた、とか。」
モンマス公が疲れた様子のに尋ねる。
「えぇ、本当に気の重いことです。」
未だに彼女はお金とその他をちらつかせながら必死で自国のための便宜を図ってくれるようにフォンデンブロー公国の貴族に掛け合っているようだが、味方をする人間は少ないだろう。
もし味方をすれば、間違いなく、祖国から追放されるだろう。裏切り者として。
「少しお休みになるためにも、どうせ議会がすべてを担っているのです。しばらく、アルトルーフェン宮殿か、ベンラス宮殿で静かに過ごされてはどうですか?」
「でも・・・」
「先日体調を崩されたと聞いております。」
モンマス公は本当に心配そうな顔でに療養を勧める。
「最近借款の申し出ばかりで、大使とばかり会っておりましたからね。」
は笑ってカウチの肘当てに肘をつく。行儀の悪いことだとは分かっていたが、確かに最近疲れがとれず、体調が優れないのも事実だった。
「ベンラス宮殿はアガートラームに近いから、視察ついでに、戻ったら?」
ユリウスがぱっと顔を上げて嬉しそうに言う。
「あぁ、貴方今年行ったのでしたっけ?」
「良い猟場があるよね。」
ギルベルトに似て、狩猟大好きのユリウスとしては嬉しい話だろう。
は心配顔のモンマス公を見ながら、問題は山積みなのだが、と息を吐いた。
Mit Trauer
悲しみとともに