「Juli ist Spatlung♪ Spatlung!」






 明るい、アーデルハイトの声音が響いている。

 拙いドイツ語で歌っているのは、ユーリは遅刻、遅刻、と言う旋律だ。アーデルハイトはどうやら兄であるユリウスが遅刻したことが大層不満だったらしい。





「ねー、アーディー。いい加減やめてよ。」




 ユリウスは不満そうに5つ年下の妹に言う。




「アーディ?もうそろそろやめてあげたらどうですか?」




 は揺れる馬車の中で楽しそうな娘を止めようとしたが、アーデルハイトが気にする様子はない。




「いーや、Nein! にーに、Spatlung!」

「まぁ、遅刻したわけですけど。」

「母様、どっちの味方なの?」

「え?今回は、貴方が悪いのでは?」

「しつこいよー。」





 馬車で出発してからずっとアーデルハイトはユリウスを責めるように歌を歌っているのだ。

 いい加減にしつこいとユリウスが不満を零すのは仕方がないが、そもそも彼が遅刻したことが悪いのであって、始まりを思えばも娘を諫めるのに精を出す気にはならなかった。

 最近、口が達者になってきたアーデルハイトは眠ってしまうまでずっと何か話している。

 寝付きのよい子なのはありがたいが少しうるさい。ユリウスも大概よく話すが、アーデルハイトはそれに輪をかけており、が閉口することもしばしばだった。しかもすばらしいほどのいらんことしいで、乳母のアウグステが困っている。

 まぁアウグステも実は昔は結構おてんばだったらしく、何とかアーデルハイトについて行っているわけだが。




「Woher gehen wir?」




 どこにいくの?とアーデルハイトは拙く尋ねる。




「ん?ベンラス宮殿ですよ。銀山の街、アガートラームの近くです。」




 は答えて、娘の頭を撫でる。

 8年前にオーストリアの援助を受けたアプブラウゼン侯爵の侵攻を受けた。

 アプブラウゼン侯爵は法律上の父だ。しかし、実際にはフォンデンブロー公女マリア・アマーリアとその思い人との間に生まれた不義の子供だった。

 血筋故にフォンデンブロー公国を継ぐことを不満としての、アプブラウゼン侯爵のアガートラーム侵攻だった。

 アプブラウゼン侯爵軍を追い出した後、話し合いと講話の条約で片をつけようとしたに立ちはだかったのは、父だった。

 イギリスのカークランド卿仲介、立ち会いの下、ベンラス宮殿にもうけられた話し合いの場で、とフォンデンブロー公国の政務官、軍はアプブラウゼン侯爵軍に容赦ない銃弾を浴びせられ、は辛くもカークランド卿の手助けで逃れたが、多くの人命を失った。

 その後再びアガートラームに侵攻してきたアプブラウゼン侯爵軍を、プロイセン軍の援助の元に破り、は父を処刑した。


 不義の子供とは分かっていても、は父に愛されることを望んでいた。

 母が自殺してから唯一と言える、血の繋がらないとはいえ、望み続けた父を、失った瞬間だった。

 ベンラス宮殿から数キロのベンラス市の市庁舎前広場で父を処刑した日のことを、は昨日のように覚えている。

 あの日、は過去のすべてを捨てても、フォンデンブロー公国の主として君臨しようと心に決めたのだ。





「・・・何もかも、楽しい思い出ばかりだったというのに。」





 はぼやくように呟く。

 母は夫のいるアプブラウゼン侯爵領に帰ることはほとんどなく、諸国を放浪する日々を続けていたが、一年の数ヶ月を実家であるフォンデンブロー公国で必ず過ごしていた。

 にとってフォンデンブロー公国での滞在は又従兄弟であり、婚約の内定していた10歳も年上のカール・ヴィルヘルム公太子に会うことを意味しており、大方の場合気楽で家族的な滞在だった。

 すでにフォンデンブロー公家は当時、老公爵と孫のカール・ヴィルヘルム公子、そしての母・マリア・アマーリアとしかいなかった。

 儀礼的なことなどまったくなく、アプブラウゼン侯爵領にいる時のように虐められることも、粗雑に扱われることもなく、幼いはフォンデンブロー公国に滞在するのが好きだった。


 彼がオーストリア継承戦争で戦死するまで、はフォンデンブロー公国での滞在は心の安らぎ以外の何物でもなかった。




「お母様?」




 黙り込んでいるを心配そうにユリウスが声をかける。





「え、あ、はい?」

「どうしたの?母様やっぱりベンラス宮殿に行きたくなかったの?」





 ユリウスはがあまりベンラス宮殿に行きたがらないことを分かっている。理由は戦争があったからだけだと解釈しているだろうが。





「まぁ、あまり好きな場所ではありませんが、アガートラームの視察も兼ねるのであれば良いと思います。銃や大砲の製作所を回っても良いかも知れないですし。」




 アガートラームは完全に復興したと聞いている。

 国の事業の一つとして、鉱山地帯に資金を投入して商人を誘致したり、鉱山の鉄などを使った銃製作所をギルドと相談して作ったりしたため、今かなり栄えているという。





「げう゛ぇーあ?げしゅっつ?」




 銃?大砲?とアーデルハイトはぱっと顔を上げての膝を叩く。




「なぁに?貴方見たいの?」

「Nein! Aber, Ich weiss!」





 が首を傾げると、みたくないよ、でも、わたししってる!と楽しそうな声を上げて、兄であるユリウスを指さす。




「Juli hat mir gezeigt




 ユーリがみせてくれたよ、とアーデルハイトはあっさり言う。





「・・・ユリウス。」





 アーデルハイトを連れていったいどこに行っていたのだ、とは細い目でユリウスを睨む。

 ヴァッヘン宮殿の中で銃は衛兵達も持っているが、大砲があるのは城壁と、兵舎だけだ。

 乳母達が幼いアーデルハイトを連れてそんなところにユリウスが行くことを許すとは思えない。要するに、勝手にアーデルハイトを連れ出したのだ。




「最近、アーデルハイトがよくいなくなると思ったら、貴方が連れて出てたんですか?まったく。」





 アーデルハイトの乳母のアウグステはよく探し回っていたはずだ。

 その苦労を考えればユリウスの行為は認められるものではない。が諫めると、ユリウスはえへ、と肩を竦めて舌を出した。




「笑い事ではありませんよ。何かあったらどうするのです。」





 アーデルハイトは興味に忠実で、よくいらないこともする。

 ユリウスが目を離したすきに銃を持って危ないことをする可能性もあり、注意しなければ行けないことだった。

 少なくとも8歳足らずのユリウスが2歳にならないよちよち歩きのアーデルハイトを管理できるとは思えない。

 大人の目が必要なのは当然だった。





「ギルベルトが帰ってきたら、拳骨じゃすみませんよ。」




 はため息をついた。

 だんだん一人で動くようになっているユリウスをが押さえられる時期に限界が来ているのかも知れない。

 どうしてもはきつく言うことが苦手だ。

 なんだかんだでが許してしまうことが、乳母や侍従達に負担をかける。ユリウスの我が儘はと言うよりは、乳母や侍従達、しいては臣下に迷惑がかかるのだ。






「母様、ごめんっていってるじゃない。」





 ユリウスは少し頬を膨らませて、ギルベルトと似た顔で嫌そうな声で言った。





「・・・・・・」

「Juli ist Eigensinnige.」





 が黙り込んでいると、アーデルハイトがあっさり「ユーリわがまま。」と口にする。




「え?」

「Juli ist sehr eigen!」




 ユーリすごくわがまま!とに言いつのる。





「アーディ!」




 ユリウスは不快そうに妹の名前を呼んで諫めるが、アーデルハイトはの影に隠れて、兄を指さして「わがまま、わがまま。」と繰り返す。

 は怒る息子と兄を叱責する娘の間に挟まれて困るしかなかった。






  ich bin verwirt 困惑する