ロイテンの戦いは1757年12月5日に起こった。

 シュレジェンのブレスラウ西方ロイテンでの戦いは、プロイセン軍の完全勝利で終わり、ギルベルトが、達がいるベンラス宮殿を訪れたのは、12月も末になった頃だった。





「父様!」





 早馬で秘密裏に父が帰ってくると連絡を受けた途端にユリウスは宮殿の厩舎前から離れず、3時間もその場所で待っていたため、ギルベルトが到着する頃には手足も冷たくなっていた。

 雪も深く、厩舎の周りは除雪されているが、寒いのに変わりない。

 昨日も雪が降っただろうが、ギルベルトが帰って来ると言うことで、おそらく皆急いで除雪をしてくれたのだろう。





「ユリウス、また背が伸びたじゃねぇか!」





 8月頃にも駐屯地で会っているが、それでも3ヶ月ぶりだ。

 ギルベルトは待っていたであろうユリウスの頭をくしゃくしゃと撫でてからぎゅっと抱きしめた。

 それから、と彼女の腕に抱かれている娘のアーデルハイトに目を向ける。


 1年半ぶり、だ。


 生まれたばかりの赤ん坊だった娘はいつの間にか銀色の髪も伸び、立ち上がれるようになって、ギルベルトと似た赤紫色の瞳をまん丸にしてぽかんと口を開けてこちらを見ている。

 アーデルハイトにとっては、記憶にある初めての父親との対面だろう。






「ギル、」






 アーデルハイトよりも、母親であるは既に涙ぐんでいた。





「ばーか。何泣いてんだよ。」





 ギルベルトはそっとの目尻を親指で拭う。

 頬は外で待っていたためか冷たく、だからこそ涙が酷く温かいもののように思えた。






「ご無事で、・・・」





 言葉が続かず、はそのまま俯いて肩をふるわせた。





「むってぃ?」






 アーデルハイトは心配そうに自分を抱いている母を見上げる。






「泣くなよ。」





 ギルベルトはが抱いている娘ごと、を抱きしめる。

 この二年近くの間、は一生懸命一人で子供達と共に頑張ってきたのだろう。苦労もあっただろうから、泣く理由は十分に分かったが、が泣くのがギルベルトは苦手だった。

 笑っておいて欲しい。





「Mein Vati?」





 アーデルハイトは「わたしのおとうさま?」とギルベルトに拙い言葉で尋ねる。






「あぁそうだぜ。会いたかったよ。おまえにも。」







 ギルベルトはから娘を抱きとり、頬にキスをする。

 初めての子供であるユリウスが息子だったから、ギルベルトにとってアーデルハイトは初めての娘だ。

 アーデルハイトは恥ずかしそうにきゃーと声を上げて、嬉しそうにギルベルトに抱きついた。

 ギルベルトは娘が生まれてすぐに戦争に行ってしまったため、アーデルハイトの記憶にギルベルトはないだろうが、それは親子の絆を隔てることはなかったようだ。





「冬の間は、一緒にいられるから。」





 ギルベルトはまだ泣いているの肩を抱く。

 冬の間は軍隊は動けないし、ベンラス宮殿からプロイセン領は非常に近い。だから春になるまでは家族と一緒にいることをフリードリヒは許してくれた。

 ロイテンとロスバッハでの勝利で、戦況が安定しているからだ。





「やった!」






 ユリウスは手を振り上げて喜んだが、はまだ肩をふるわせていた。





「ユリウス、アーデルハイトを連れて先に戻っとけ。寒いからな。」





 ギルベルトはユリウスにアーデルハイトを連れて宮殿に戻るように言う。

 早馬が来てから随分とユリウスは待っていたようで、躯が冷え切っている。1年半ぶりに帰ってきた父親に会いたいという気合いは分かるが、風邪を引いてしまっては意味がない。





「ん。わかったよ。一緒に狩猟いこうよ。」





 アーデルハイトを抱いて、ユリウスはギルベルトを見上げて言った。雪は既に深いが近くに湖もあるため狩猟に出かけることも十分出来るだろう。






「わかってる。」








 ユリウスがねだるのに笑って答えながら、ギルベルトはユリウスの背中を軽く叩く。二人が宮殿に戻っていくのを見送ってから、ギルベルトはに向き直った。





「大丈夫か?」





 そっと肩を抱き寄せて、の長い亜麻色の髪を掻き上げる。抱きしめると、淡い香りがして、ふわりとの躯はギルベルトの胸に倒れ込んできた。

 安堵で力が抜けたのだろう。





「ごめんな。一人にして。」

「そんな、そんな、貴方が帰ってきてくださっただけで、わたしは、」






 それだけで良いんです、とは首を振って繰り返した。

 ギルベルトは彼女の様子を見て、可哀想なことをしていると分かっていた。

 元々は婚約者となるはずだったカール・ヴィルヘルム公子を戦争で亡くしており、それが大きなトラウマとなり血も大嫌いだった。

 今は大分緩和されているが、喪失は決して忘れられるものではなく、今でもの心を蝕んでいる。

 そんな彼女を置いてギルベルトは戦場にいるのだから、酷い話だ。






、俺は死なない。だから、大丈夫だ。」

「そんな、嘘ばっかり。」





 慰めだと、は首を振るが、違う。

 ギルベルトは国が滅びない限り死なない。だから本質的に死ぬ時は、国が滅びた時だけだ。だから、簡単には死なない。国が滅びるには時間がいるから、彼女が生きている時間くらいは、何とか生きていることが出来るだろう。




「いつでも、俺はおまえの元に戻るさ。」




 ギルベルトはの額に口づけて、を強く抱きしめる。その体は少し痩せていて、長い間外で待っていたせいか冷たかった。




「宮殿に戻ろう。おまえが風邪を引いたら意味ない。」




 帰ってきたのに、が体調を崩して一日中ベッドの上では面白くないに決まっている。おそらく雪がとけるまで2,3ヶ月ある。

 クリスマスまであと数日だが、それでもクリスマスに去年は一緒に過ごせなかったので、嬉しい限りだ。

 戦場にいることも良くあるし、それを嫌っているわけではないが、それでも子供達やに勝てる喜びはなかなかない。





「お母様!お父様、遅い!!」





 宮殿の入り口辺りで、ユリウスが不満そうに叫んで、こちらに手を振ってくる。





「ラブラブするのも良いけど、風邪引いちゃうよ!!」






 ユリウスの言葉に、ギルベルトは吹き出しそうになった。

 も目に相変わらず涙をためていたが、それでも息子の言葉が面白かったのか、涙は止まったらしく、小さく笑っている。

 ラブラブするなんて単語が出てくるぐらい、ここ1年半のうちにユリウスは大人になったらしい。




「子供に言われちゃ世話ねぇな。」






 ギルベルトは頭を掻いて、の背中を軽く叩く。





「ユリウスのやんちゃにも疲れだした頃だろ。」





 大人になったと言うことは、元々を悩ませていたいたずらも、パワーアップしたことだろう。いつもそれを規制していたギルベルトがいないならなおさら。





「・・・まさにその通りですけど。」





 は頬に手を当てて、息子を見やる。

 早く中に入ろうとぷりぷり怒っている息子は最近我が儘が過ぎる時がある。ギルベルトがいなくなったことによって自分の重要性が増して良い気になっているところもあるのだろう。

 公太子だからと言って、我が儘が許されることは悪いことだ。






「まだ、俺がいないとだめか。」






 ギルベルトはいつもの屈託のない明るい笑顔を浮かべてに言う。




「もちろんですよ。」





 まだschon、なんて言葉ではかたづけられない。 

 いつでもギルベルトがいなくてはだめなのだ。それはユリウスが最近我が儘だからでも何でもない。

 自身が彼を必要としているからだ。

 はそっと彼の手を握って、心の中で呟いた。



  Dein Leben

貴方の命