冬になれば軍隊のすべては止まる。それでも将軍のギルベルトがベンラス宮殿にいられるのはたった一ヶ月ほどだろうが、それでも家族にとっては幸せな休暇と言えた。
「超つり目、だな。」
ギルベルトは嘆きとも喜びとも判別しがたい声音で呟いた。彼の目の前にいるのは、歩きだしたばかりの娘。彼女ははじっとその赤みがかった紫色の瞳で父親を見返している。
確かに子どもであるため目が大きいが、それでもその顔はギルベルトによく似ていた。
ギルベルトが戦争に行ったのは彼女が生まれてまだ数ヶ月もたたぬ頃で、赤ん坊の頃はよく分からなかったが、1歳を越すと誰に似ているか何となく分かるものだ。だが、それは“何となく”が普通で、こんなに誰に似ているかはっきり分かるのはどうなのだろう。
今は冬の宮殿で来年の軍の準備をしているフリードリヒが見たら、笑い出すのは間違いない。
紫色の瞳は少しつり上がっている。眉も細く、顔立ちは綺麗に整っているがどちらかというと精悍で、気品のある顔立ちながらもきっと唇を引き結んだりすると、ギルベルトとそっくりだった。
「父様の方が結局血が濃いってことでしょ?納得−。」
カウチで寝転がりながらユリウスが足をぱたぱたさせながら頷く。
ギルベルトの息子である彼もまた、目元は少し柔和だが容姿はギルベルトによく似ていた。銀髪も同じだ。
「納得ってどういう意味だよこら。」
「母様、血まで弱いんだって。」
ユリウスは父親の反論に適当に返答して、ぱらぱらと本のページをめくった。
確かには比較的気弱で、統治者のくせに偉そうな所は全くない。基本的に身分が高いのはだが、家庭内での決定権は基本的にギルベルトにあり、性格的にもどう考えてもギルベルトはよりも気が強いし、言いたいこともはっきり言う。
その上に、遺伝子的にも強いとなれば、には勝てるところが全くなかった。
「納得ってな。おまえも俺似じゃねぇか。」
ギルベルトは息子の額を指で軽く弾く。
「まぁね。でもみんな目元はかあさまにそっくりだっていうし。」
ユリウスはにっこりと、その特徴的な穏やかな瞳を細めてみせる。
ギルベルトとユリウスは確かに似ているが、ユリウスは若干目元が柔和で、そこだけはに似ている。
特に笑うとますます優しく見えるところが、ギルベルトとは全く違った。
「でも女の子ですのに。」
母親であるは困ったように苦笑して、まだ柔らかくて沢山ない娘の銀糸の髪を撫でつけた。ギルベルトはハンサムなので顔立ちとしては問題ないだろうが、それでもつり目はどうなのだろう。
「それにすごいやんちゃなんですよ。乳母のアウグステが、どれだけ追いかけ回しているか。」
は小さくため息をつく。
貴族の子どもには乳母がつくのが通例で、手元から子どもをあまり手放さないも、子どもたちには乳母をつけている。とはいえ、それがアーデルハイトの場合は功を奏したと言っても良い。
幸い昔はお転婆だったと言われるアウグステは精一杯アーデルハイトの面倒を見てくれている。
「本当に大変なんですよ。」
今は冬なので宮殿の中くらいしか動くことはないが、春になればまた外に出たいと言いだし、追いかけるのが大変になるだろう。
だが、ギルベルトにとっては気にするべき所では無いらしく、娘の頬に口づける。
「良いじゃん。可愛いもんな。」
ギルベルトにとってはどれほどやんちゃだろうが、可愛い初めての娘だ。
「父様、アーディにめろめろだね。」
ユリウスは呆れたように目を細くしてギルベルトを見る。
「だって初女の子だぜ!けせせせ」
ギルベルトは腕にいたアーデルハイトを絨毯の上に下ろす。幼い彼女はやはり母が恋しいのか、次は母親であるの元へと駆け寄った。危ない足下が酷く可愛くて、ギルベルトは目を細める。
はそのままアーデルハイトを抱き上げると、近くにいた乳母のアウグステに娘を預けた。もうそろそろ昼寝の時間だ。
「おまえも勉強の時間じゃねぇのかよ。」
朝からゆっくりしているユリウスを一瞥する。
「うん。そうだね。」
カウチに転がって本を読んでいる彼は、口ではそう言ったが動く様子は全くなかった。
「明後日は狩猟の約束だからね。」
「忘れてねぇよ。銃は扱えるようになったのか?」
ギルベルトが1年ほど前に戦争へと出かけた頃、彼はまだ馬に乗れるようになったばかりで、馬上で銃を使うことが出来なかった。
狩猟は基本的には獲物を追いかける馬術と、銃を扱う腕にかかっているので、一緒に狩猟へ出かけることが出来ても、ユリウスは実際には狩猟が始まってしまえば一緒に追うことしか出来ず、実際に獲物を仕留めることは出来なかった。
「あぁ、それなら大丈夫だよ。上手になったし、銃もとうさまほどじゃないけど、 使える。」
ユリウスは本から顔を上げて、にっと笑って見せる。
「この秋には狐を仕留めてきましたから。」
も嬉しそうに息子の成長に言葉を添えた。
どうやら一年の間にユリウスはかなり成長したらしい。特に狐は捕まえるのが難しいので、それを捕まえたのならば冬場に出来る鳥打ちなどはお手の物だろう。
「ちなみにその狐は母様のマフラーになったんだよ。」
「袖にもなりましたよ。」
この時代寒さを防ぐのは基本的に毛皮だ。
暖房ももちろんあるが、木炭であるためうまく暖まらない時も多い。毛皮は貴族にとって権力を示すものでもあり、冬用の毛皮だけではなく、各国の君主は即位式用の毛皮も当然持っている。
はあまり服を含めて新調することは何か行事ごとが無い限りは基本的にない。だから、ユリウスが持って帰ってきた狐は実用的に寒さを防ぐための装備になったらしい。
彼女らしくて、ギルベルトは笑うしか無かった。
フォンデンブロー公国は元々非常に豊かだ。小さな国ではあるが鉱山資源を豊富に持ち、各国と国境を接しているため交通の要衝でもある。山近くにあるため土地も非常に肥沃で、平野や川にも恵まれている。宮殿なども複数あり、その内装や代々受け継がれてきた宝石を見ればその豊かさは一目瞭然だ。
だが、の生活は実に質素だ。彼女が即位してから既に6年の月日が過ぎたが、彼女が宮殿を増設したことは一度も無く、唯一建築したのは市民で初めて元帥にまで昇進したアルトシュタイン元帥の名を冠した公共劇場だけ。議会が像やレリーフを作りたいと言っても全くそれを受け入れない。
彼女付きの女官も数えるほどしかおらず、寧ろ子ども達の侍従や教育係の数の方が多いほどだ。
昔から議会権限の強いフォンデンブロー公国では、長らく公爵と議会の対立が問題となっていた。宮殿の増設などの予算は、公爵の個人財産だけでは出来ない。金銭問題は常に公爵と議会の争いへと発展した。だが、彼女が即位してから、公爵の個人財産以上を望むことは皆無で、もめ事もほとんどない。
そういう点ではフォンデンブロー公国の議会も女で強硬な姿勢を全く見せないの即位によって争いが減ったことを歓迎していた。
現在は各国絶対王制の時代で、君主の権力が非常に強い時代だが、フォンデンブローはそれに反して早くもイギリス式の議会委託の政治に傾きつつあった。
「冬の毛皮ぐらい、買えよ。」
何年も同じ毛皮を使っている彼女がやっと作った新しいそれが、息子が狩ってきた狐だとは少し酷い話だ。
だが、としては寒くなければ良い程度の認識しかないらしい。
「良いじゃ無いですか。良い話題ですよ。」
立派な毛皮、しかも息子が狩ったものだという誇らしいエピソードつき。
「最近では、とってきた鴨の羽がクッションになったり、色々素敵なことが多いのですよ。」
は柔らかに笑って、ぽんぽんと自分の背中にある新調されたクッションを撫でる。
「まぁ後はきちんと勉強さえしてくれればいいんですがね。」
最近ユリウスは勉強よりも士官学校に行ったり、狩りに出かけることに熱中していた。
「おら、もうそろそろ家庭教師の来る時間だろ、行け。」
ギルベルトはカウチに寝転がっているユリウスのおしりを叩く。
「はぁい。」
ユリウスは仕方ないとでも言うような嫌そうな顔をして、部屋を出て行った。
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