春が来るとすぐにギルベルトは戦場へと行き、フォンデンブロー公国を離れた。
1758年になると戦況はプロイセンにどんどん不利になり、6月にはダルムシュタットの戦いでオーストリアに敗北を喫し、次にロシア軍がベルリンへと迫る事態になっていた。
「…どうしましょうかね。」
プロイセンの宮廷貴族たちの多くが中立地帯になっているフォンデンブロー公国や、他に縁がある貴族の元へと身を寄せる中、は議会の話し合いの状況を見ながら、ため息をついた。
それは対英借款を秘密裏に勧めるための議会の出願書だった。
「アメリカ大陸での戦いはイギリスの有利に進んでいます。少なくとも今貸したとしても、貸し倒れになる事はありますまい。」
議会の議長でもあるシュベーアト将軍は、に淡々とした声音で申し出る。だがそれが彼の本心でも、議会の本心でもないことはとて百も承知だった。
フォンデンブロー公国本国はオーストリアとプロイセンの境にある。
だが継承権の関係上イギリスと同君連合であるハノーファー選帝侯国とフランス王国の間にも領地を持っている。現在既にハノーファー選帝侯国はフランス王国に占領されている。へたをすればフォンデンブロー公国の領地も、立地上は非常に危ない場所にある。
特にフランスなら、フォンデンブローの状況を考える事なく併合なんて事もあり得る。
だが絶対王制のフランスと、自由主義で市民の力の強いフォンデンブロー公国では国家体制が全く違う。無理矢理併合すれば公国民の反発は必至だろう。そうすれば沢山の死者が出ることになる。
ならばイギリスを支援した方が良いのでは無いかと議会は考えているのだ。
首都であるヴァッヘンから少し離れたノイエルーフェンの宮殿にいるにも、議会の考えや、他国からの借款の申し込みは沢山着ていた。
「どこも皆お金がないんですね。」
は沢山の手紙を見ながら、カウチに座ってため息をついた。
オーストリアやフランス、ロシアからはお金を貸して欲しいと言うだけでなく、こちらに協力しないならば、以降の関係に影響すると脅されている。
だが、の夫はプロイセンの将軍であり、同時にかつてオーストリア継承戦争の際にプロイセンに攻められるフォンデンブロー公国をオーストリアが見捨てたこともあり、オーストリアに対する感情は敵視以外の何物でもない。
そのため議会はオーストリアに協力するのに反対だった。
戦況はどんどん悪化しており、プロイセン、イギリスは不利だ。イギリスは何とかアメリカ大陸では得意の海戦を基軸に勝利を収めているが、陸上では役立たずで、ヨーロッパにおいては唯一のヨーロッパ大陸領土であるハノーファーをフランスにおとされ、芳しくない。
プロイセンもなんぼ賢い将軍と国王がいると言っても度重なる戦いにどんどん疲弊している。元々豊かな国ではないのだから、なおさらだ。
「どうすべきなのでしょうね。」
国の存亡を考えるのならば、オーストリアに協力すべきなのかも知れない。
だが議会は納得しないだろうし、の感情としてもそれは難しいし、同じく国民たちも、攻められると言われてもそれに素直に納得しようとはしないだろう。
元々独立心の強いフォンデンブロー公国は、フランスやオーストリアのような絶対的な君主を望んではいないし、軽蔑すらしている。特にが即位してから権力をほとんど振るわず議会に政治のほとんどを委託していることもあり、それは一層明確になった。
「…ゆっくり、お考えください。」
シュベーアト将軍は深く頭を下げ、部屋を辞する。残されたは渡された沢山の書類と手紙を見ながら目を伏せ、それを近くの机に置く。
増改築を繰り返したため、アルトルーフェン宮殿は中世の内装を残す部屋も沢山ある。
が今いる部屋もかつては、との婚約の内定していたカール・ヴィルヘルム公太子が住んでいた部屋でもある。
元々アルトルーフェン宮殿のあるノイエルーフェンは公太子の儀礼称号になる通り、公太子の領地である。とはいえ、彼が戦死し、の息子であるユリウスが生まれるまで公太子の地位は長らく不在だったし、今もユリウスがまだ幼いため、公爵である自身がこの宮殿を使うことが多い。
不利だと分かっていながらもプロイセン、イギリスを援助するのか、それとも国民感情を裏切り、オーストリアやフランスと同盟を結ぶのか。
何もしなければ事態はより悪化していくだろう。
「選ぶのは苦手なんだけどな。」
はどちらかというと優柔不断な方だ。幼い頃から公爵となるべく育ってきたのではなく、将来もただ何となく結婚して、生きていくのだろうと思っていた。
だから、今でも選ぶのは苦手だ。
それでも、君主であるが選択しなければ、誰も何もすることが出来ない。その選択も、そして選択が生み出す結果に対する責任も、すべてが持たねばならない。
「…」
はかつて自分の又従兄弟だったカール・ヴィルヘルム公子が使っていた机の引き出しを引っ張り出し、逆さに向ける。
その引き出しに板がしかれ、二重になっていることに気づいたのは前にユリウスとともに、この宮殿に滞在したときだ。
そこには、カール・ヴィルヘルム公子の日記と、いくつかの思い出の品があった。日々の事が淡々と書かれているだけの日記と言うより、歴史書みたいな書き方だったが、無表情で淡泊だった彼らしいものだ。
オーストリア継承戦争で死んだ、10歳も年上だったかつての婚約者。
彼が死ななければはこうしてフォンデンブロー公国の公爵として統治することも、ギルベルトと結婚することもなかっただろう。
きっと同族である彼と結婚して、それなりになんの不自由もなく何となく子どもを産んで、自信もなく何となく生きていたと思う。
そういう点では、彼の死は、の人生のすべての始まりだったのかも知れない。
ぱらりと綺麗な漆黒の拍子に金で装飾の施された表紙をめくり、ページをめくっていく。日付とびっしりと並んだ小さな字。
天才と言われ、大国であるプロイセン王国の侵攻をその身を張って止めて見せた、ギルベルトですらも称賛した彼は、戦死しなければ間違いなく歴史に名を残す統治者となっていただろう。
だからこそ、はいつも、彼ならどうしていただろうかと、どんな国にしたかったのだろうかと思うことがよくあった。
彼が、冒頭に書いているのは、格言のような固い言い回しだ。
「Was ist mein Land? Es ist alter Stein」
はその言葉を口に出す。
国とはなんぞや、それは古い石だ。
ドイツ語において、アルトaltとは古い、シュタインとは石を表す。国は古い石だとは、一体どういう意味なのか、それを聞く相手はもういない。
書かれている言葉はまだ続く。
「Wir sind kein alter Stein. Wir koennten leben, wenn alter Stein verrotten wurden」
わたしたちは、古き石ではない。わたしたちはもし古き石が朽ち果てたとしても、生きていられるだろう。
最初の文章で、自分たちの国は古い石だと書いてある。だからこの文章は彼の考え方を示しているのだろう。要するに自分たちは国ではない。だから国が朽ち果てたとしても、国民個人は生きていける、ということだ。
「Aber wenn wir verrotten wurden, koennte alter Stein nicht leben.」
でも、わたしたちが朽ち果てれば、古い石は生きていることが出来ない。
国民がいなくなれば、国はなくなってしまう。はその書かれた文字をなぞりながら、今の状況を思う。
国を守ろうとすればオーストリアを選ぶしかない。
国民の心を守ろうとするならば、プロイセンを選ぶのが妥当なのだろうか。
には彼がどうしてこんな事を書いたのか、何も分からない。古き石が本当に国のことを指しているのか、別の物なのかすらも、わからないし、もう彼に尋ねる術すらもないのだから、どうしようもない。
カール・ヴィルヘルム公子の残した日記の文言は、こう続く。
「Also wuerde Ich fuer alten Stein sterben, aber ich hoffe, dass ich leztes Opfer bin, weil ich mein Volk und meine Familie liebe」
故にわたしは、古き石のために死ぬのかも知れない。しかし、わたしはそれが最後の犠牲である事を望んでいる。
何故ならわたしはわたしの国民と、家族を愛しているから。
Ich liebe mein Land.
わたしは自分の国を愛している。