ギルベルトとは、始まりこそ政略的ではあったが、関係としては誰が見ても良好だった。




「本当に仲が良いな。」





 フリードリヒは演奏会の席でギルベルトとともにカウチに座り談笑するを見て、ぽつりと呟いた。





「あ、国王陛下、」





 が先にフリードリヒに気付き、立ち上がる。それに続いてギルベルトも国王の存在に気付いたが、彼は
不遜にも座ったままだった。





「こんにちは。」





 はのんびりとした調子で言って、頭を下げる。俯く癖は相変わらずのようだが、前のように“暗い”と
いう印象が影を潜め、控えめだと映った。

 彼女はピアノに関して類い希なる才能があるとギルベルトから聞いている。彼の話はフリードリヒにとっては
頗る当てにならない話だったが、を長年預かり続けていたフォンデンブロー公爵も太鼓判を押していた
から間違いないだろう。そしてたまたまギルベルトの屋敷で彼女の演奏を聴き、その技術に驚いた。





「それにしても珍しいなギルベルト。おまえが演奏会なんぞに足を踏み入れるとは。」





 フリードリヒはギルベルトの性質を隠そうともせず皮肉る。

 演奏会は大きな物ではなく、フリードリヒが近臣を招いて開く小さなもので、時にはフリードリヒもフルー
トを奏でることがあった。ギルベルトはフリードリヒのフルートを聞くこと自体は好きだったが、演奏会など
には自分は軍事的なことしか分からないし、聞いて綺麗だというそれしか理解できないので大方誘っても
参加しなかった。

 それが何故今日に限ってきたのか。





が行きたいって言い出したんだ。俺じゃねぇよ。」





 ギルベルトは顎でを示す。





「あ、はい。あの、今日はバッハもいらっしゃるとお聞きして是非とも一度拝聴願いたいと思ったのです。」






 は本当に申し訳なさそうに俯きながら言った。なるほどとフリードリヒは頷く。

 今日の演奏者は有名なカール・フィリップ・エマヌエル・バッハだ。ピアノ、チェンバロの演奏者として非
常に定評のある人物でプロイセン宮廷に仕えている。





「なるほど。それは楽しみにしたまえ、」

「はい。」





 は今までに見たことのないほどの嬉しそうな笑みを見せる。

 そう言えば彼女は母親に連れ回されていた時期もあるが、ほとんど屋敷かフォンデンブロー公国からでない
日々が続いていたため、あまり知らないのかも知れない。もちろんフォンデンブロー公国もプロイセン王国など
比べられない程文化的に優れている。それでもやはり、年老いた公爵とカール公子の2人では文化を花開か
せるには足らなかっただろう。名のある音楽家の音楽を聴く機会などあまり恵まれなかったはずだ。





「そう言えばフォンデンブロー公爵が今回は来られているな。こちらとしては仲良くして頂けるのは非常に有
り難いのだが。」





 フリードリヒはちらりと部屋の一角のカウチに腰掛けている老人を見やる。最近フォンデンブロー公爵はよ
くプロイセン王国に足を運ぶ。唯一近しい親族であるがプロイセン王国の将軍に嫁いだ為もあるだろう
が、オーストリア継承戦争の時にオーストリアに着いたにもかかわらず、今や完全なる親プロイセンに傾きつ
つあった。

 その由縁が、いまいちフリードリヒには分からないが、彼女は理解しているようだった。





「約束、ですから、」





 は少し寂しそうな笑みを浮かべた。





「やく、そく?」





 ギルベルトの方が訝しむようにの言葉を繰り返して口にする。






「はい。カール公子との約束なんです。」






 は振り向いてギルベルトに頷いてみせる。






「それは、私たちが詳しく聞いても構わないことかい?」 

「はい。問題ないと、思います。」







 の答えを受けて、ギルベルトもやっと椅子から立ち上がる。

 まだ演奏会が始まるまでには時間があるので、別室で話を聞いても問題はないだろう。周りに挨拶をしなが
ら音楽室の隣にある小部屋へと入る。も大人しく従った。


 小部屋に入ってから、改めてフリードリヒはを見る。は少し俯いたが、一度目を閉じてから意を決
するように目を開いた。






「カール公子の、遺言みたいなものなんです。」






 オーストリア継承戦争で、フォンデンブロー公国の跡取りであったカール公子は死んだ。はフォンデンブ
ロー公爵の近しい縁者でもあると同時に、カール公子が無事であれば彼と婚約する予定だった。彼が死んだ
からこそ、プロイセン国王からのギルベルトとの結婚の申し入れを受け入れた。

 フォンデンブロー公爵自身もとギルベルトの縁談を歓迎した。それは不思議な話だ。ギルベルトは直接
的に将軍としてカール公子が死んだオーストリア継承戦争の際にフォンデンブローを攻めており、公爵にとって
は孫の仇である。にもかかわらず彼はとギルベルトの結婚に難色を示さなかった。それは前からあった
フリードリヒとギルベルトの疑問だった。





「元々、公爵はオーストリアにつくと言っていたんですが、カール公子はプロイセン王国につくべきだとお
っしゃっていたんです。」





 オーストリア継承戦争の頃の2人の口論を、は知っている。

 昔からの慣例を重んじた公爵と、新たなる大国を奉じようとしたカール公子。そして何の対策も打てぬうち
にオーストリアへの有益な通り道として、プロイセン王国はフォンデンブローに攻めてきてしまった。







「結局おじいさまの意見が変わらず、カール公子も不満はたくさんあったんですが、フォンデンブローを戦火
に巻き込むわけにはいかないと仰せでした。」






 は俯いて、ぐっと胸元を自分の手で握りしめる。






「わたしへの言葉は、自分に何かあれば、プロイセンの軍人に嫁げと言う物でした。時代はもうローマにも、
オーストリアにもない、と。」






 カール公子はフォンデンブローを守るためにプロイセン王国と戦ったが、もうオーストリアにこちらへの援軍
を送る技量がないことも、どんどん国が疲弊し、弱くなっていっていることも理解していた。だからこそ、フォ
ンデンブローのためにプロイセンを選ぶべきだと思ったのだ。

 ギルベルトはなるほどと頷く。ギルベルトが出会った死に際の彼は、完全にへと未来をかけており、
その未来にはフォンデンブローも含まれていた。彼はオーストリアにが嫁ぐよりも、プロイセンの軍人
に 嫁いだ方が後の栄達を望めると考えたのだ。





「おじいさまは、本当に憔悴しきっていらっしゃいましたから。」





 フォンデンブロー公爵がオーストリアにこだわった代償は、跡取りであるカール公子の死だった。それは
もう老齢の公爵にとっては悔やまれることだっただろう。国のためだと思った決断は、国のためではなく、
後継者の死だけをもたらした。





「だから、もしもおじいさまが今プロイセンに優しいのならば、そのせいだと思います。」





 跡取りを殺したプロイセン王国が憎くないわけでもない。でもおそらく一番憎いのは、自分なのだろう。意
見を無視し、誤った決断をした自分。老齢の公爵にはあまりに酷な現実だ。

 その苦しみは、軍隊を率いるギルベルトにも、国を率いるフリードリヒにも容易に理解できるものだった。





「君は、嫌ではないのかね。」





 フリードリヒはに直球な質問をする。

 はカール公子と婚約する予定だった。10以上年が離れているし政略的な事柄もあるので一概には言え
ないが、それでも今までの発言はがカール公子に悪い印象を抱いていなかったことを示している。なのに
彼を殺され、殺した将軍に嫁ぐ。それを何とも思わないのか。

 問えば、ギルベルトが青い顔をする。しかし、フリードリヒはに答えを求める。






「悲し、かった、ですよ。わ、わたしは、彼の好意で、生きていましたから、」






 躊躇いながら、息を吐き出すようには言う。

 元々父親にも疎まれ、母親も亡くなり何の後ろ盾もなかったにとって、カール公子は生活に直結する
支えであり、後ろ盾だった。彼女の立場を保証する唯一のものだった。だからこそ、それを亡くした絶望は計
り知れない。






「でも、婚約自体は、嫌では、なかったんです。力が、そちらに傾いてるのも、教えてもらっていましたし、
怖かったけど、だって、会ったこともない人ですもの。」






 にとって、プロイセン王国は確かにフォンデンブロー公国に攻めてきた国ではあったが、それまではカ
ール公子に聞く限り、非常に先進的な政策を取り入れた素晴らしい国だと聞いていた。そのせいか、それとも
がただ幼すぎたのか、カール公子が死んだというのは理解できたけれども、どうしても誰かに殺されて
死んで、相手がいて、相手が憎いという感情は生まれなかった。

 ましてやギルベルトに会ったこともなかったのだから、嫌かどうかなんて決めようがない。





「そうか、悪かったね。辛いことを聞いた。」






 俯いて泣いているの頭をフリードリヒがそっと撫でる。

 は自分の手で顔を覆うことしかできなかった。













 
虚しいのか歯痒いのか羨ましいのか恋しいのかそれはそれは どちらが?