ギルベルトは年をとらない。

 その可能性はうっすらとだがの心の中に存在し続けていた疑問だった。が彼と結婚したのは14歳の時だ。そのとき彼はすでに20を超していると聞いていた。だが、今の彼も20そこそこにしか見えない。もうかれこれ十数年たったというのにだ。

 は成長した。背も伸びた、少女から女になった。なのに、彼はあの日のまま、今もの前に存在し続けている。


 童顔で片付けられるレベルではない。


 だがの周りで確かにそのことに疑問を持った人物はほとんどおらず、フリードリヒですらそのことに言及したことはない。否、言及したことがないというのは、知っているからだろうか。皆がそのことに納得しているのならば、わざわざ言及する必要などないのだ。




「・・・ギルベルトが、」




 彼は何も言わなかった。自分がいったい何であるのか、そんな疑問は当たり前すぎて、だってしたことがない。ほとんど疑問に思ったこともない。

 にとっていつでもギルベルトは愛しい人で、大切な夫だ。




「母様、」




 ユリウスがぶんぶんとの目の前で手を振る。




「え、あ、あぁ、」




 物思いにふけっていたは何度か目を瞬いてから彼の方へと目を向けた。腰に手を当てた息子は、少し怒った顔をしている。

 ギルベルトと似ているが、彼とは違い随分と柔和な目元をしているユリウスは、それでも怒るとギルベルトに表情がそっくりだ。





「何ぼさっとしてるの?」

「だ・・・だって、」




 貴方が変なことを言うから、と言いかけて、口を噤む。それではまるでユリウスのせいみたいだ。僅かに自分だって、そのことについて疑問に思っていたというのに、それを口に出さなかった。出せなかった。目の前の光景がいとおしすぎて。目を背けてきた。

 それをユリウスにつかれただけだ。




「なんでお母様がそんな傷ついた顔をしているの?」




 紫色の瞳でまっすぐとを写して、ユリウスは少し表情を曇らせた。





「・・・年をとらない、お父様は嫌い?」

「そ、そんな!」





 不安そうな様子に、は慌てて首を振る。




「そんなこと、わたしは、ギルを、」




 今も昔も変わらずに、愛している。

 確かに彼とは政略結婚だったが、彼はにたくさんの大切なものを与えてくれた。生活、地位、名誉、自信、すべてをギルベルトはに用意してくれた。カール公子を失い、が失ってしまったと思ったすべてのものを、彼はに与えてくれたのだ。

 そんな彼を、年をとらないなどと言うそれだけの理由で、嫌いになどなれるだろうか。




「良かった・・・」




 ユリウスは心底安心したように、ふわりと笑ってみせる。




「・・・お母様が、あんまり狼狽えるから、お父様のこと嫌いになっちゃったのかと思った。」




 ユリウスにとっては、どんな人間であろうと、仮に人間でなかろうと父は父だし、母は母だ。それ以上でも以下でもない。

 父はどうしても自分の素性について詳しく語ろうとはしなかったから、おかしなところを見つけて、ユリウスは父のことを調べようと思った。その過程で、彼が年をとっていないのではないかと言うことに行き当たったが、それは父が嫌いだからではなく、父が好きだからこそ、戦争でいなくなってしまって、帰ってこない父のことが知りたかった。

 彼が、どうしてプロイセンを捨てられないのかを。




「ギルを嫌いになるなんて、そんなことあり得ない・・・」




 はそれだけは断言することができた。

 もしも結婚する前に彼が人間ではないと聞けば、はもっと狼狽えただろうし、恐怖すら覚えたのかもしれない。だが、今となっては本当に“今更”な話だ。仮に彼が年をとらないとしても、子供まで儲けた。十数年ともにあった彼との思い出が、たったそれだけのことで無意味になるなどあり得ない。

 もう、彼なしの人生など考えられるはずがないのだ。




「だよねぇ、母様、父様にべた惚れだもんね。」

「えっ、」

「そうでしょ?そして父様も母様にべた惚れ、」




 ユリウスはふざけるようにころころと笑う。息子の明るさに引きずられるような形で、も笑みをこぼした。




「・・・でも、わたしには、よくわからない・・・。ギルベルトは、本当に?」





 は戸惑いながら息子にそういう。

 だが自分の中でも納得できるところが多すぎて、どうしてそのことから目を背けていたのかわからないほどに、当たり前の疑問を、は今まで閉じ込めてきていた。





「どうして、貴方はそんなに落ち着いているの?」





 息子があまりにも落ち着いていることが不思議で、は小首を傾げて尋ねる。

 父親が人間でないかもしれないと、まだわからないとはいえ、もう少し焦っても良いのではないか、ましてや父親の事なのだから。




「んー、プロイセン国王であるフリードリヒ陛下がご存じでなかったとは思えないから、焦るほどのことじゃないのかなって。ちょっと人より寿命が長いとか、そんなんじゃないかな」




 ユリウスの考えは楽観的だったが、妥当でもあった。

 貴族の家柄というのは国王に与えられるものだ。本系が絶えたバイルシュミット公爵の地位が与えられていたのは、フリードリヒが承認しているからだ。ましてや幼い頃からフリードリヒに仕えていたというギルベルトのことを、フリードリヒが全く知らないとは思えない。





「じゃあ、みんな知っているって事?」




 は胸元で手を握りしめ、目を伏せる。




「僕の予想ではね。」




 ユリウスはあっさりとした口調で、そのギルベルトによく似た顔に、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 彼としても色々思い悩む部分はあっただろうが、それでも彼の中でその問題は片付いているのだろう。

 大人びた子だと思いながら、はふと頭にカール・ヴィルヘルム公子の日記にあった一節を、思い出した。




「アルターシュタイン、」





 小さく、呟く。





『Was ist mein Land? Es ist alter Stein』




 何が私の国なのか?それは古い石だ。

 彼の日記のほとんどの部分は仕事の記述しかなかった。だがそこだけが酷く詩的で、ぼやかして書かれているからこそ、は底に興味を持ったのだ。

 記述はこう続く。




『Wir sind kein alter Stein. Wir koennten leben, wenn alter Stein verrotten wurden .Aber wenn wir verrotten wurden, koennte alter Stein nicht leben.Also wuerde Ich fuer alten Stein sterben, aber ich hoffe, dass ich leztes Opfer bin, weil ich mein Volk und meine Familie liebe』




 わたしたちは、古き石ではない。わたしたちはもし古き石が朽ち果てたとしても、生きていられるだろう。でも、わたしたちが朽ち果てれば、古い石は生きていることが出来ない。故にわたしは、古き石のために死ぬのかも知れない。しかし、わたしはそれが最後の犠牲である事を望んでいる。

 何故ならわたしはわたしの国民と、家族を愛しているから。



 それはカール公子の愛情。生きた証、死んだ意味。彼が身を犠牲にした理由そのもの。だからこそ切なくて、日記を見つけてからは何度もそれを見返した。今のには守るべき息子がいて、戦っている夫がいる。

 だから、他人事には思えなくて、覚えてしまうくらいに見返した。

 その文章はある意味でおかしい。自分たちは古い石がなくなっても生きていられる。なのに古い石は自分たちがいなくなっては生きていられない。だから、彼は古い石を守り、そしてそれは家族を守ることに通じているという。

 アルターシュタイン、アルトはドイツ語で古い、シュタインは意思を表す。古い石、その名前を冠する人間を、は知っている。

 そのことに何故気づかなかったのかと、は呆然とした。



  Ich hoffe, dass er noch lebt.


古き礎