はすぐに、議会の議長でもあるシュベーアト将軍を呼びつけた。
長く軍属にいるシュベーアト将軍の話では、アルトシュタイン元帥は最初に見た時から老人の姿をしていたと言う。シュベーアト将軍の『最初』とは軍属になって一年目。14,5歳の時だったと言うから、それからアルトシュタイン元帥は年をとっていないと言うことになる。
アルトシュタイン元帥はオーストリア継承戦争の折も従軍していたが、すぐ後に引退し、が即位した頃にフォンデンブロー公国の軍に戻ってきた。
がアプブラウゼン侯爵の軍に襲われた会談で、を庇ったために大けがを負い、が逃げる際にはドレスにはしたたるほどの血がついており、彼を死んだと思っていた。しかし事が終わって戻ってみると多くのものが死んでいたというのに、彼だけは生きていた。それを喜びに思ったが、今考えればおかしい話だ。明らかにあれは致命傷だった。
彼の家柄を調べさせたが、不可解な点が多すぎた。
アルトシュタイン元帥の家柄は確かに存在する。ユリウスの乳母に当たるフェージリアーズ伯爵夫人も遠縁に当たる。しかし、誰もが遠縁という言葉を口にするだけで、アルトシュタイン元帥が具体的に誰の子供で誰の親なのか、親族の誰もが応えることができないというのだ。
そんなこと、あり得るのだろうか。
ギルベルトの家であるバイルシュミット家も同じ状態だった。
バイルシュミット公爵家は確かに存在する。本家の血筋が絶えたのは本当だが、傍系がどういった血筋なのか、ギルベルトが誰の子供であるのか、何の証拠もなかった。まるで、誰もいなかったところにとってつけたような、経歴。年をとらないという共通点。
ギルベルトとアルトシュタイン元帥が必ずしも同じとは限らないが、少なくとも似たような存在であるだろうことは、にも想像できた。
そして、シュベーアト将軍の言うとおり、年をとらないという点は、ギルベルトも同じだ。
「ご機嫌麗しゅう。女公、」
が即位してから変わりない柔らかな緑色の瞳で、アルトシュタイン元帥は微笑んでに頭を下げた。しわだらけの顔に浮かぶのは穏やかさだ。
「申し訳ありません、ご足労をかけました。」
は彼に国境警備へと向かってもらう予定で、その道すがらだったはずだ。突然ヴァッヘンまで呼び出したことを謝罪すると彼はゆるりと首を振った。
「いえ、もうそろそろだと、思っておりましたから。」
アルトシュタイン元帥は頷いて、席に着く。
「初めて湖畔でお会いしてから、もう20年近くがたちましたな。」
彼の言葉には顔を上げた。
20年前、は当時のフォンデンブロー公国の後継者であったカール・ヴィルヘルム公子と遠乗りに出かけた。その折に湖畔で老人にあったことがあったのだ。あれは、アルトシュタイン元帥だったのだろうか。
「…カール・ヴィルヘルム公子が次の代は貴方が担うとおっしゃいました。」
まさか、このような形だとは、思いもしませんでしたが…とアルトシュタイン元帥は悲しそうに言葉を濁す。
とカール・ヴィルヘルム公子の婚約は内定していた。
彼はの又従兄弟に当たる正当なフォンデンブロー公国の後継者で、もしもオーストリア継承戦争が無く、彼が戦死していなければ、がギルベルトと結婚することも、フォンデンブロー公国を継ぐこともなかっただろう。はカール・ヴィルヘルム公子と結婚し、フォンデンブロー公妃となっていたはずだ。
彼が生きていれば、女公としてこの地を治めることは無かった。
アルトシュタイン元帥にカール・ヴィルヘルム公子がどういう風にのことを話したのかは分からないが、少なくとも当時のアルトシュタイン元帥はカール・ヴィルヘルム公子が将来自らの妃となる少女を見せに来たのだと思った。
その小さな少女が、血筋故に統治者となろうなどと、長年生きてきたアルトシュタイン元帥すらも考えもしなかった。それはも同じで、父親に疎まれ、自信もなく俯いていたにとってはなおさら、想像もしなかった未来だった。
戦争になること、彼が戦死すること。そしてまさか自分が統治者としてフォンデンブロー公国を治めることになるなど、夢にも思わなかった。
「私は見ての通り老人ですが、かれこれもう1000年ほど生きてきました。」
さらりと、アルトシュタイン元帥は言う。
「最初は一地方で、ローマ帝国に征服された州の一つとなり、その後神聖ローマ帝国の国になりました。」
遠くを思い出すように、緑色の目を細めて彼は笑う。それは懐かしそうでもあり、寂しそうな笑みだった。
ローマ帝国の頃と、世界は大きく変わっただろう。
が幼い頃見ていた世界はとても狭かった。だが、今や統治者として隣国を含む政治状況を把握し、立ち回っていかねばならない。そう言う立場に立った。
たった十数年でも自分の変化にすら驚くというのに、1000年ともなればなおさらだろう。
「今、私はフォンデンブローという国です。ですが、私は長くはないでしょう。」
アルトシュタイン元帥は穏やかにそう言った。
「長くない…とは?」
は意味が分からず、戸惑いのままに問う。すると彼は軽く頭を右側に傾けた。
「長らく続いた、神聖ローマ帝国は、この戦いの終わりと共に、終わります。」
神聖ローマ帝国は、有名無実の存在となった。
本来ならばフォンデンブロー公国は神聖ローマ帝国の一国だった。長い時の間アルトシュタインはそうして生きてきた。だが、神聖ローマ帝国は既に瓦解し、形骸化した。本来なら許されぬはずの女帝が治め、神聖ローマ帝国と言うよりはオーストリアといった方が正しくなった。
そして、フォンデンブロー公国も神聖ローマ帝国の中の国ではなくなったのだ。
「それは、わたしが、貴方のあり方を、変えたからですか?」
はフォンデンブロー公国の統治者として戦争に荷担せず、神聖ローマ帝国に協力せず、中立を保つことで、神聖ローマ帝国から完全に離脱した。先のオーストリア継承戦争まで、フォンデンブローは神聖ローマ帝国に協力していたが、今は独立した一国になったのだ。
それが彼の消える原因だというなら、その責任はにある。
だが、彼は柔らかな表情で首を振った。
「いえ、どちらにせよ、神聖ローマ帝国の終わりが、私の終わりだったのでしょう。私は、カール公子が亡くなられたあの時に滅びたかった。彼と一緒に。」
アルトシュタイン元帥は、カール・ヴィルヘルム公子の死と共に一度軍務を離れた。
カール公子の戦死によって、フォンデンブローは敗北を免れた。だが、おそらく若い未来であったカール公子を犠牲にしたことへの罪悪感が、アルトシュタイン元帥にはあったのだろう。命が短いと既に理解していた彼は、もう疲れていたのだ。
国として、長く生き過ぎたがために。
「それでも少し残された時間を貴方と過ごすことが出来て、本当に楽しかった。」
泣きそうな顔で、アルトシュタイン元帥は静かに笑った。
の即位と共に、彼は若い少女の後継者の元に戻ってきた。何も期待していなかった。だが、は若く、つたなく、ものを知らなかった。そしてだからこそ、国に真摯に向き合い、泣き、笑った。危なっかしくて、放っておけなかったのだ。
それが、楽しかった。
傷を負うことになっても、純粋に人として必要とされることが、嬉しかった。
「答えを差し上げましょう。様。」
アルトシュタイン元帥はの前に膝をつき、頭を下げる。
ゆったりとした動作。それには重々しい意味がある。彼がいて、君主である自分がいる。彼が自分を育んだ国。
そして、
「私、フォンデンブローは我が君、貴方のものです。」
恭しく頭を垂れる彼を、は見下ろす。自分を育んだ国を治めるのは、自分だ。
その重さに、即位した頃の十年前のならば立ちすくんで動けなくなっただろう。今は、事実を静かに受け入れることが出来る。
「ギルベルトも、そう言うことですか?」
はきゅっと唇を弾き結ぶ。そうしないと、泣いてしまいそうだった。
遠くにいる彼は、何も知らないをどう思っていたのだろうか。年をとっていくや子供たちを見てどう思っていたのだろうか。黙って、秘密にして、いったい何を。
「湖畔で、貴方が会われた老人は、私ではありません。」
の問いには答えず、ふと、顔を上げてアルトシュタイン元帥は言った。
カール公子につれられて行った湖畔で、は老人にあった。彼が主だと言ったその老人の顔をは覚えていない。ただ話の筋からてっきりアルトシュタイン元帥だと思っていた。
「あれは、私の子孫です。」
彼は泣きそうな顔で笑った。
「あなたは、」
子孫と言うことは、彼は妻の、そして自分の子供の死を見送ったのだろうか。
はぎゅっと自分の胸元を掴む。
それがどういうことなのか、は想像して心が痛んだ。もし、ユリウスを失えば、は正気でいられないかも知れない。悲しそうに笑う彼の心は理解できると言うにはおこがましいが、悲しみが耐え難いものであることはにも理解できた。
「妻を亡くし、子供を亡くしました。妻たちは、後悔したのかも知れません。」
妻も子供たちも彼を置いて死んでいっただろう。寿命が違うこと、年をとらないと言うことは、決して簡単なことではない。
彼の表情と言葉がそれを示していた。それでも、と彼は言葉を紡ぐ。
「それでも、後悔はしていません。私は幸せでした。」
悲しそうに、でも幸せそうに、アルトシュタイン元帥は笑った。緑色の瞳には涙すら浮かんでいたけれど、夢のように幸せそうに彼は断言した。
は表情を歪める。
「とても、幸せな経験をしたんですよ。私は。」
掠れた声で、涙で揺れる瞳で、笑う彼の顔が涙でぼやけていく。
ギルベルト、貴方はどう思っていたの?
は口元を手で覆うしかなかった。
Ich hoffe, dass er noch lebt.
国として