離宮での会談の場に臨んだギルベルトはの姿に目を見張った。
亜麻色の髪を見事な細工の真珠で束ね、緑色の宝石をあしらった大きな髪飾りをつけている。纏うドレスは白地に金糸の刺繍を施したもので、その上から白貂の毛皮で橙色の表地に緑のグリフィンをあしらったガウンを羽織っている。
長い睫に彩られた紫色の瞳を柔らかに細め、紅をうっすら引いた唇が静かに弧を描く。
かつて、怯えたようにギルベルトの顔色を窺い、人が苦手で俯いてばかりいた少女はそこにはいない。
そこにいたのは、一国の統治者。
「フォンデンブロー女公様です。」
近くにいた衛兵が声を張り上げる。
「ごきげんよう、フリードリヒ陛下、バイルシュミット将軍。」
緩く微笑んで、はそう挨拶をした。型通りの挨拶すらかつては手間取っていたというのに、今のは堂々としている。
フリードリヒはギルベルトをつれて席に着いた。
内輪の話をするために、衛兵を外に出す。フリードリヒはしばらく差し出された書類を眺めていたが、をもう一度見て、ふっと笑った。
「大人になったな。」
その言葉に、はゆったりと肩を竦めて見せた。
「そうでしょうか?自分ではまだまだだと思っておりますが。」
「いや、立派な統治者だ。」
フリードリヒは困ったような顔での謙遜にそう返した。
「ギルベルト、おまえだってそう思うだろう?」
「いや、え、俺は…。」
ギルベルトは返す言葉が見つからず、口から言葉が出なかった。
時とは残酷だ。
を娶った時、父親から疎まれ、母親もなくなり後ろ盾すらもなく、誰からも必要とされず、彼女はいつも俯いていた。暗くてしけた面ばかりで、あまり笑わず、他人の顔色ばかり窺っている。それが彼女だった。
だが、今や彼女は一国の統治者として何ら問題ない装いと、威厳を持ってギルベルトの前にいる。それを目の当たりにして、どうして自分が衝撃を受けているのかは分からないが、心が酷く痛んだ。
いつの間にか、こんなに成長して、彼女は変わっていたのだ。自分は全く変われないというのに。
「今回のお話ですけれども、プロイセンと兵員と資金をお貸ししようと思いまして。」
は書類を示して、フリードリヒに話す。彼は書類を読み、青い瞳を丸くした。
「わたしの個人的な財産と、議会にも既に掛け合い済みです。望まれる額を出せると思います。」
の説明するとおり、そこに額自体は書かれていなかった。
だが、戦争とは莫大なお金がいるものだ。そしての個人財産と議会の指示も含まれるとはいえ、プロイセンが望むのが簡単に貸せる額では無いことくらいは、とて理解しているはずだ。ましてや勝敗が分からない今の時点では、プロイセンに貸したお金が返ってこないということすら考えられる。
そうなれば、フォンデンブロー公国も共倒れである。
「ちょっと待てよ!そんなこと出来るはずねぇだろ!?」
ギルベルトがテーブルを叩く。だが、はひるまなかった。
「大丈夫です。銀山の管理権を担保にすればいくらでもお金を貸してくれます。」
彼女はさらりと大胆なことを言った。
今敗北するか、しないか分からないプロイセンにお金を貸す国は少ない。なぜならプロイセンが敗北した場合、貸し倒れになる可能性があるからだ。
だが、商業で莫大な富を築いている上に、銀山、金山を多数保有するフォンデンブロー公国、およびその主であるにお金を貸す国も人もたくさんいる。だからがお金を借り、プロイセンにそのお金を貸すと言っている。要するに又貸しだ。
「軍隊も、お貸しできる兵員は多い方がよろしいでしょう?」
は緩く笑う。既にプロイセンの兵士の数も限界に来ていることは見て明らかだ。
「全面的に、協力しようと思います。議会の多数派工作も終わってます。」
事も無げに彼女は言った。
だが、そんなに簡単なことではない。が率いるフォンデンブロー公国は今まで中立を守ってきた。だからこそ、他国から攻撃を受けなかったのだ。中立を破ってプロイセンに味方をするならば、国境を隔てるオーストリアやザクセンなどから攻め込まれる可能性だって出てくる。
また、プロイセンの同盟国と見なされれば、もしもプロイセンが戦争で負けた場合、フォンデンブロー公国もそれなりの代償を支払わされることになるだろう。公国は小さな国で、オーストリアなどに飲み込まれる可能性だってある。
「そんな無茶苦茶だ!」
可能ではあるが、勝算もないのに滅茶苦茶すぎる。ギルベルトはフリードリヒの意見を聞かず、その書類をに突き返す。
「イギリスから、借款停止の申し出があったのではないですか?」
書類を受け取らず、は涼しい顔でギルベルトに問うた。
イギリスは今まで兵こそ出さなかったが、プロイセンに金銭援助をしてきた。だが、既にアメリカ大陸でフランスに完全な勝利を収めたイギリスもまた財政難で、もうプロイセンへの金銭援助をするだけのお金がなかったのだ。
プロイセンの状態は厳しい。それでなくとも秋にはロシア、オーストリア軍にベルリンまで占拠されたのだ。冬に入って休戦状態とはいえ、油断できる状況ではないし、苦しいことには全く代わりはなかった。
その上イギリスからの金銭援助まで打ち切られるとなれば、兵器や兵員を養うお金もなくなる。
「…でもそれとこれとは関係ない。」
金銭は必要だ。だが、望めば中立を保っているフォンデンブロー公国まで巻き込むことになる。そうすればも、子供たちも危ない。
「帰れ、」
ギルベルトは逡巡したが、書類をもう一度に突き返す。
この戦争に敗北すれば、自分はなくなってしまうかもしれない。だが、ギルベルトはもう長く生きてきた。初めてという妃を持ち、子供たちを持ち、普通の国が出来ない幸せを持つことが出来た。かけがえのない幸せを、味わった。
それを犠牲に、自分が助かりたいなんて思わない。
「帰ってくれ、」
には自分が国であることは言っていない。だから、ギルベルト自身、酷く理不尽なこと願いであることを、理解していた。でも、失いたくない。自分を犠牲にしたって、子供たちと、だけは失いたくなかった。
滅びることが自らの運命だというのならば、自分はもう十分に生きたから、彼女は短い生を少しでも長く生きてほしい。
ちらりとギルベルトはフリードリヒを窺う。彼は呆れたような表情をして、でも笑っていた。
この申し出を受けるならば、助かる部分は大きいだろう。金銭援助、兵員。どちらもプロイセンが心から望んでいるものだ。フリードリヒはプロイセンのために、それを望んでいる。だが、それでも、それがからでは駄目なのだ。を巻き込むことだけは、出来ない。
子供や妃の命と、フリードリヒと自分の命。
天秤にかけて、前者を選んだ自分をフリードリヒは責めない。
自殺まで思い悩むほど、フリードリヒだって追い詰められているというのに、プロイセンの勝手を許してくれる。彼の思いに涙が出そうだった。
最期まで、フリードリヒとギルベルトは一緒だ。最後の瞬間まで一緒に戦い続けるだろう。だから、許してほしい。すべてを捨てて、フリードリヒを、自分が仕えるべき君主を選べない中途半端な自分を。
そして、も、許してほしい。
「…」
は突き返された書類を見ながら、眉を寄せて俯いた。
心の中で、傷つけてごめんと繰り返す。
ギルベルトのために議会の多数派工作までして、プロイセンへの援助が出来るように諮ってくれたのだろう。だが、それに応えることはできない。
ギルベルトが普通の人であれば、逃げることも、彼女を抱きしめてやることも出来ただろう。だがギルベルトが逃げても、結局自分は国で、国の滅びと共に死ななければならない存在だ。プロイセンから離れることなんて出来ない。や子供たちを犠牲に自分が助かろうという気にもなれない。
たとえ自分が死んだとしても、何よりも誰よりも、彼女と子供たちの平安を望んでいる。願っている。
何よりも、大切に思っていた。
Ich hoffe, dass er noch lebt.
何よりも貴方を愛している