女官の話は、嫁入り前教育みたいなものだった。

 は幼い頃から母に連れ回され、フォンデンブロー公国にいた頃は老齢の公爵とカール公子
しかいなくてそう言う話を教える人間はいなかっのため、エリーザベト妃が気に掛けたのだ。
が酷く恥ずかしがり屋で引っ込み思案だったこともある。ギルベルトとの結婚についてを 円滑に進
めるためにも、必要性を感じたのだ。

 ちなみに興味津々で部屋に居座ろうとした本日仕事がお休みのギルベルトは、即刻女官のマリア
ンヌに追い出された。

 マリアンヌはエリーザベト妃の女官だが、既に結婚している。艶やかな黒髪が印象的なマリアン
ヌは元はフランス貴族で、プロイセン王国の伯爵に嫁いだ。子供もいる。なので彼女が教えること
にはもちろん実があったが、特に夜のことに関しては何も知らなかったにとって意外と言う
よりは信じられないことだった。





「そ、そんな、は、」






 裸と口に出す事も出来ず、はまっ赤になって俯く。それ以上言葉なんて出てこない。

 もちろんマリアンヌが教えることには核心は省かれていたが、にとっては女であれ男であ
れ裸で他人と向き合うこと自体が、もう恥ずかしいし、考えられないことだった。





「エリーザベト様の予想は正解ですわね。」






 マリアンヌは居たたまれない様子のに小さく息を吐く。

 殿方にお任せすればよいが一般的な意見だが、出来るのは軍事だけの気があり、言葉足らずの所
があるギルベルトのことだ。このまま結婚すれば夜の生活は彼女にとって、もしくは彼にとっても酷い
ことになっただろう。結婚する10月まで後2ヶ月もないのだが、覚悟を決めておいてもらった方が良い
かも知れない。

 何をされるかわからないよりは、知っていた方が良いこともある。どうせ逃れられないのだ。





「きょ、今日から、顔あ、わせられない・・・」






 まっ赤になって自分の顔を覆うは、想像もしたことがなかったようだ。






「落ち着きになってください、誰もが通る道ですから。」

「と、通れる気がしません・・・・」






 マリアンヌが慰めたが、泣出しそうな声で反論された。






「ご結婚なさるのですから、通らなければならない道ですわ。」





 ましてやプロイセン王国はに男児を望んでいる。国家であるギルベルトも人間とならば子
供が作れるし、やはりフォンデンブロー公国の継承者が不在で公爵も老齢、立ち位置が微妙な今、
が望む望まないに関係なく、この結婚は重要だったし、子供が出来るにこしたことは ない。

 国王であるフリードリヒや王妃のエリーザベトがを手厚く保護する一因はそこにもあるの だ。






「幸せなことですわ。子供が産めることは。」







 マリアンヌはそっとの手を握る。途端彼女の顔色が変わった。






「・・・・でも、」






 は躊躇いの表情を見せる。それは己が母の不義の子である故だろうが、柔らかな白い腕が
いつか抱くことの出来る命は、尊いものだ。






「まぁ、お話はこれくらいですわ。」







 マリアンヌは気楽な調子で手を叩くが、の表情は晴れなかった。菫色の瞳は黒に近いほど
のかげりを見せる。白い頬は先ほど赤くなっていたのとは打って変わって、青ざめている。






「ギルベルト様をお呼びしましょうか?」

「え、ぁ、」






 は戸惑いの表情を見せる。先ほどの話を加味して会いにくいと思ったのだろう。

 確かにそうかも知れないとマリアンヌの方も思う。ギルベルトは王妃の女官であるマリアンヌが
嫁入り前のの元に来た原因を、正確に理解している。だからこそ、どんな話をするのか聞き
たいと居残ろうとしたのだ。もちろんマリアンヌは追い出したが、それでも彼もだいたいのことは理
解しているだろう。

 それに彼ほどの将軍とあれば宮廷でも華で、女性関係も賑やかだったはずだ。それでなくとも長
らく生きているのだから、女性の1人2人どころか片手でたりなくても全然おかしくはない。


 にはそのあたりの事情はまだ話されていないが、いつかは知るだろう。






「慣れたほうが、よろしいですわ。」





 マリアンヌがそう助言するが、はそうはいかないようだ。今度はまた赤くなって俯いてし
まった。






「おーい、もうそろそろ昼飯だぞ―。」






 扉が開いて不満そうな顔をしたギルベルトが入ってきた。

 せっかくギルベルトが今日は休みだと言うから、昼前には帰るつもりだったが、話し込んでいた
ため遅くなっていたようだ。





「私はこのあたりで失礼します。」






 マリアンヌはギルベルトとに頭を下げて退出する。その際が縋るような目をマリア
ンヌに向けていたが、黙殺することにした。





「なんだ飯くらい食っていけばいいのに、」






 ギルベルトはぽつりとそう言う。は椅子に座ったまま、ギルベルトをぼんやりと見ていた
が、先ほどのマリアンヌの話を思いだして俯いた。 



 どうしても、意識してしまう。



 昼から一緒にお茶をしようと言っていたのに、大丈夫だろうかとは自分で不安になった。平
気な顔を出来るほど、は経験豊富ではない。

 対してギルベルトは楽しげで、俯くを見てにやりと笑った。






「話、聞いたんだろ?」






 そう言って隣にどさりと腰を下ろして、の手を取って口付ける。生温かい唇の感触に
はびくりとした。





「どんな話だった?」

「なっ、」





 聞かれても、口に出来るようなことではない。わなわなと口を動かしていると、ギルベルトは酷
く楽しそうに笑った。

 どうやら何を言われたかだいたい彼は分かっているようだ。


 は恥ずかしさのあまり泣きそうになった。

 ギルベルトは膝で握りしめていたの手を突然握り、自分の方に引き寄せる。すると
はその勢いで彼の胸に倒れ込んだ。





「きゃっ、」






 彼の胸板に鼻をぶつける。しかし彼は気にする様子もなく、を遠慮なく抱きしめると、
の肩に顔を埋めた。最近のはやりが胸元ぎりぎりまで大きく胸元を開くドレスであるため、直 接と息
がかかって、はびくりとした。

 先ほどのマリアンヌの話を思いだして身を固くして震えていると鎖骨のあたりに口付けられた。





「ぁ、」





 ぞくりとした感覚に、はどうすればいいか分からず、ギルベルトの服をぎゅっと握りしめ
る。緊張と恥ずかしさのあまり、目から涙がこぼれる。





「先が思いやられんなぁ。」






 ギルベルトはの肩に埋めていた顔を上げ、いつも通り手荒な動作での頭を撫でる。

 はきょとんとした目で彼を見上げた。マリアンヌが言ったようなことをするのかと思ったの
だ。確かに彼女は結婚したらと言っていたが、そのあたりはよくわからない。だから、そうかなと
思って、怖くなった。

 涙が目立っていたのか、ギルベルトは自分の袖でごしごしとの涙を拭く。彼の服は分厚く
て、少し痛かった。






「安心しろよ。結婚するまでは待ってやるから、」






 怖がっていることが分かっていたのだろう、軽い調子で言うので、は俯いた。一応、気に
してくれているらしい。良かったと思っていると、くぃっと顎をとられて上を向かされた。





「でも、ちゃんと覚悟しておけよ。」






 は彼の目を見て、その言葉を聞いた。緋色の瞳は、完全に捕食者の色合いをしている。
 要するに結婚までは我慢してやるから、それまでに覚悟をつけておけと言うことらしい。優しい
のか無情なのか分からない。

 ただ、の背中を撫でてくれる彼の手は優しい。

 は少し躊躇いながらも、彼の肩に頬を押しつけた。








 
ゆるやかないのちいろ