派手好きのギルベルトは結婚式も大聖堂で派手にやろうと提案したが、は全く受け入れよ
うとしなかった。日頃は控えめなだが結構現実的な面があって、結婚式にかかるお金をその
辺の女官から聞いて驚いたらしい。元々父親にも反対されて婚資は一切出さないと言われており、
引け目もあったはギルベルトの意見に珍しく難色を示し、俯いてまったく顔を上げなくなっ
たのだ。
そうなればギルベルトも慌てて彼女にあの手この手で一生懸命アプローチはしてみたが、
は結婚式はこじんまりすれば良いと主張し、日頃の気弱な彼女とは思えない程粘った。
の後ろ盾であるフォンデンブロー公爵がフォンデンブロー公国に縁のあるの結婚式
を、派手はともかくもそんなこじんまりやるなんて出来ないと宥めるまで、その論争は収まらなか
った。
「嬢が倹約家だとは思わなかったな。」
フリードリヒは感心したように呟く。
が幼い頃多くを過ごしたフォンデンブロー公国は比較的穀倉地帯を抱える豊かな土地柄
、多少の贅沢も許されるはずだ。父に疎まれ、母に連れ回されていたとて、フォンデンブロ
ー公国の縁者として過ごした時間は決して貧しかったわけではないだろう。世間知らずなお嬢さ
ん
を予想していたフリードリヒにとって彼女の主張は意外だった。
「申し訳ない。あの子は放浪する母親についとりまして、お金の感覚についてはしっかりしている
のです。」
フォンデンブロー公爵が申し訳なさそうに国王であるフリードリヒに言う。
女であるに金の心配などさせたくなかったというところだろうが確かに夫から逃げて諸国
を放浪していたという母についていたのならば、金銭感覚も磨かれるものなのかも知れない。特
に軍事という、金を馬鹿みたいにつぎ込むところに育ったギルベルトよりは遙かにしっかりしてい
る。
「願ってもないことかも知れないな、」
ふむとフリードリヒが頷くと「ありがたい」と老齢の公爵は息を吐いた。
彼は最近のことを心配してかプロイセンに滞在している。フォンデンブロー公国は安定し
ているが、老公爵には継承者を先のオーストリア継承戦争で亡くしており、近しい血筋は
だ
けだ。フリードリヒはを宥めているギルベルトを見ながら、ぽつりと尋ねた。
「フォンデンブローを、どうなさるおつもりかな。」
神聖ローマ帝国領とはいえ、今や自治領に近いフォンデンブロー公国は先の戦争ではオーストリアの
味方をしプロイセンに噛みつき、カール公子の死と引き替えにプロイセン王国を撃退して見せた。しかし
それによって後継者を失った。
後継者のいない国は、どちらかに飲み込まれる。
オーストリアか、新興国プロイセンか。特に国境付近にあるフォンデンブローは豊かでもあり
どちらにとっても欲しい居場所ではあった。
「・・・・どう、しましょうかな。」
もう真っ白の自分の髪を撫でて、公爵はドサリと近くのカウチに腰を下ろす。
立場を明確にしなければ、いつかどちらかに飲み込まれてしまう。飲み込まれ方を間違えば、戦
場となり豊かなるフォンデンブローは焦土と化す。
「ただ一つ言えるのは、私が決めることはもう何一つないと言うことです。」
項垂れた公爵は、年老いただけではなく、すでに意気すら失っていた。
カール公子は長らく公爵にオーストリアを見捨てプロイセンにつくように訴えていたらしい。
それを
無視して後継者を失った公爵の後悔は例えようがないだろう。
「すべての栄光を、とフォンデンブローに。」
ぽつりと公爵は呟いて、目元を覆おう。
それは死した公子の、悔やんでも悔やみきれない、自分の未来であった人の言葉。自分の浅慮で
亡くしてしまった後継者の遺言。
「それは、プロイセン王国への臣従と考えて間違いありませんね。」
フリードリヒははっきりした言葉を公爵に望む。公爵はゆっくりと顔を上げ、もう一度の
方を見た。
は結婚式用の最新のフランス式のレースやリボンを見ている。ギルベルトはもう先ほどの
もめ事など忘れたかのように、ドレスのレースを選ぶに笑いかけていた。
「この金色よくね?」
「え、でも、白に金の刺繍が入った布地の上にまだ金色って派手じゃないですか?」
は不安そうに尋ねる。
「そうか?良いじゃねぇか。それにおまえ髪が亜麻色で暗いんだから、丁度良いじゃん。派手くら
いで。」
ギルベルトは悪気なく女性にあまり言うべきではない言葉も言う。案の定は少し俯いた。
明るくない亜麻色の髪を気にしていたようだ。
「あ、でもこっちの緑色のリボン、綺麗だな。」
ギルベルトは別に置いてあった鮮やかな色合いの緑色のリボンを手に取る。それを亜麻色の
の髪にかざしてみせた。
の亜麻色の髪は柔らかに波打っており、長い。
「緑のリボンは・・・流石に結婚式には合いませんよ?」
はギルベルトの意図が分からず首を傾げる。緑色は確かに鮮やかだが、鮮やかすぎて目だ
って、白を主体とした彼女の花嫁衣装には似合わない。だが、ギルベルトは介さず笑った。
「なぁ、どうせたくさん頼むんなら白地に明るい紫のドレス作ろうぜ、」
「え?」
「おまえ目が紫色だろ?緑に紫に、亜麻色で、菫みたいだろ?」
ギルベルトは屈託なく笑っての髪に緑色のリボンを絡める。はその紫色の瞳を丸く
して、恥ずかしそうに俯く。そして本当に淡い笑みを浮かべた。
それを眺めていた老公爵は、緩く目を細める。
「にすべてを委ねます。」
フリードリヒに老人は告げた。
公爵はもう悔やみすぎたし、年をとりすぎた。だから若い人間達の言葉を聞くことなく、大切な
ものを失ってしまった。間近にあった幸せを自分の手で潰してしまった。それはの〔希望〕
でもあった。そして、公爵はおそらくにもう〔希望〕を与えてやることが出来ない。
ならば、誰かに彼女を託すしかない。
それはフォンデンブローに対してもそうだ。
「フォンデンブローは、怒っていましたよ。」
国としてのフォンデンブローは、公子を見捨てて生き残った自分を醜いと言って、しばらく消え
るとどこかへ行ってしまった。
年をとりすぎた自分では、フォンデンブローにすら、自国にすら安らぎも未来も与えてやること
が出来ない。もちろんがフォンデンブロー公国の統治者になったからと言って彼が帰って
くるとも限らないが、それでも自分よりは望みがある。
「・・・・私はプロイセン王国のような新興国に、その国王に頭を下げるのが嫌でした。」
公爵は自嘲気味の笑みを浮かべてフリードリヒに言う。若く力あるフリードリヒを知りながらも
侮ったのは公爵だ。
その見栄がどれ程つまらないものであるかを、カール公子の死で思い知った。の嘆きで思
い知らされた。自分が頭を下げたくないというたったそれだけの些細な誇りが2人の幸せを奪った。
そこにあった未来を消した。
だから、次は絶対に間違わない。
「ほら、結んでやるよ。」
ギルベルトは笑っての髪に絡めた緑色のリボンを結ぼうとするが、うまくいかない。どう
やら彼は不器用なようだ。ちょっと困ったような顔をしながら、なんとか結び目を作る。
「…似合い、ますか?」
は不安そうな顔をして鏡に自分を映すが判断をしかねたようだ。
ギルベルトはの頬に手を当てて、目を見る。淡い紫色の瞳。それは決して弱いだけではな
い野の花。
「似合う似合う。菫色だ。」
ギルベルトが笑うと、も笑う。
公爵はカール公子とがそうやってほほえみあうことを望んでいた。どこかで夢見ていた。
けれどそれは公爵の判断ミスによって永遠に失われた。
だから、
「を、よろしくお願いします。」
公爵は深々とフリードリヒに頭を下げる。
プロイセン王国の国王は、鷹揚に微笑み、そして頷いた。
「もちろんだ。」
燃やせなかった遺書