バイルシュミット将軍の暗殺を計画した罪で、アプブラウゼン侯爵が王宮にある裁判所への出
廷 を求められたのは8月も終わりにさしかかった頃、計画の発覚からすぐのことだった。

 しかし、彼は出廷することなく、領地からも出てこなかった。そのうち、彼がオーストリアの宮廷
へ出仕していることが分かり、一気にアプブラウゼン侯爵家とプロイセン王国は緊張状態に入り、
結果的にはアプブラウゼン侯爵領はオーストリアを味方に主君であるプロイセンに逆らっている。

 プロイセン王宮にいる娘のヒルダを見捨てても、アプブラウゼン侯爵は逃げおおせたのだ。

 も公式の記録ではアプブラウゼン侯爵の息女と言うことになっているが、もともとフォンデ
ンブロー公国の縁者であった母に連れられて諸国を回っておりアプブラウゼンで暮らすこともほぼ
なく、ギルベルトやフリードリヒがフォンデンブロー公爵の親族としてを扱っていたこともあっ
て表向きに中傷されることはなかった。また、計画の発覚がからであることも、小さな噂に
なった。そちらには賛否両論があった。

 それでもへの風当たりは優しかったが、心配したフォンデンブロー公爵はをアプブ
ラウゼン侯爵の娘としてではなく、自分の養女―フォンデンブロー公女として嫁がすことを決定し
た。





「裏切り者が、」




 が会いたいというのでギルベルトはを連れてヒルダのいる牢まで行ったが、ヒルダ
が口にしたのはその一言だった。





「はぁ?裏切るもくそも、を捨て駒にしようとしたのはてめぇらだろ?」






 ギルベルトは怒りのあまり牢の鉄格子を靴で蹴った。

 アプブラウゼン侯爵はおそらくギルベルトを殺せばがプロイセン王国から逃げられないこ
とも、処刑されるであろう事も分かっていただろう。だからこそに命じたのだ。彼女にはそ
こまで言っていないし理解も出来ていないだろうが、完全にを捨て駒にしようとした意図は
見えていた。

 が自分を信頼して言ってくれたから良かったようなもので、アプブラウゼン侯爵は
の罪悪感を利用しようとしたのだ。






「…そのとおりです。わたしは裏切り者です。」





 は俯いたまま、ぽつりと言った。





!」





 ギルベルトが叫ぶがそれを制しては彼女に向き直る。






「エリーザベト様が、幸せだと思う方を選びなさいとおっしゃったんです。」






 過去ではなく、未来の幸せをとエリーザベトは言った。

 確かにが決定できることは非常に少ない。勝手に婚約は決まっていくし、勝手に道具にさ
れる。けれどエリーザベトは過去ではなく、選択された物ではなくて未来の幸せを選べと言った。
そしてそう言われたときに思い浮かんだのはやっぱり、ギルベルトの顔だった。





「ごめんなさい…わたしの、幸せは、ここにあるんです。」






 オーストリアにも、アプブラウゼンにもない。このプロイセンにある。それを理解してしまっ
た。

 父には、悪いことをしたと思っている。ただ、それは幸せではなくて、後悔だ。自分の存在自体 へ
の後悔で、その先には何もない。未来ではなく既に過去なのだ。が生まれてしまったのも、
すべて。






「申し訳ないという気持ちはありますから、貴方が処刑されないよう、頑張ります。」







 父であるアプブラウゼン侯爵にも見捨てられた娘のヒルダを殺そうという話は確かにある。だが、
今や完全にの保護者となったフォンデンブロー公爵に恥を忍んで頼んだ。本来なら近しい親
族と言っても形ばかりのの保護者となってくれただけでも有り難いのに、こんな頼み事は駄
目なことだ。それでも一生懸命頼んだ。

 フリードリヒ王も臣従したばかりでフォンデンブロー公国の主である公爵の願いをむげに扱わな
いと分かっているから。





「それが、自己中な裏切りだって言ってんのよ!!」







 ヒルダがに掴みかからんばかりの勢いで叫ぶ。






「あんたの母親もそう!人んち勝手に壊しといて、あたしから何を奪うのよ!!」







 ヒルダの叫びに、は怯む。

 アプブラウゼン侯爵はの母マリアを娶る際に、ヒルダの母親を理由を適当につけて離縁し
た。しかし、の母はアプブラウゼン侯爵に心を委ねることはなく、結局自分の思っていた別
の男とを作った。そしてを生き甲斐にした。おそらく、母からを奪えば、母は 死
んでいただろう。だからこそ、アプブラウゼン侯爵はを自分の子供として認知した。


 も自分が必要のない子であると自覚しながらも、母にとっては必要だと知っていた。




 ――――――――――貴方は、私の愛しい紫




 の目元に口付けて、母はよくそう言った。知らないけれど、もしかすると母の本当の恋人
も、と同じ紫色の瞳をしていたのかも知れない。

 母はを愛していた。必要としていた。


 そして母が死んで、は本当にいらない子になった。






「うん。だから、ごめんね。」






 はヒルダに言い訳の言葉を持たない。

 母が家庭を壊したのは事実だ。母には愛した違う人がいて、結婚しても諦められなくてその人と
を作った。父と暮らすのが嫌で放浪した。父の子供ではないを求めていた。

 ヒルダはの母がいたから母親を失った。自分と血の繋がらない、憎々しい女の血だけを継
を妹と呼ばなければならなかった。妹に、婚約者も、そして今、家すらも奪われた。



 居場所を亡くした自分と、それはよく似ているのかも知れない。は彼女の居場所を、奪い
続けていたのかも知れない。





 ――――――――――、おまえフォンデンブローに来い




 カール公子は居場所を失ったに手をさしのべてくれた。その彼すら、赤い血と争いに消
た。求めてくれた人は、ひとり、ふたりと消えていった。

 は居場所を求めた。亡くしてしまった、自分の居場所。





「ここではわたしは、いらない子じゃ、ないんだ。だから、わたしは、ここにいたいの。」






 幸せな場所が、想像できなかった。

 たださしのべてくれる手を掴んでいた頃、いつか自分の居場所が亡くなってしまうのではないか
といつも不安で、自分で選べるものも、選ぶこともなくて、ただ与えられるのを待っていた。



 去っていくのを引き留めることもなかった。

 今やっと、選択が目の前に用意されて、幸せな場所はどちらなのか、未来を見ることが出来た。
初めて自分の手でどちらが良いのかを選択した。



 幸せを、夢見た。

 ギルベルトが笑ってくれる、自分が笑える未来を想像した。






「多分、わたしは、全力でこの場所を、守る。」





 は涙の溜まった目尻を自分で拭う。

 選択が間違っていたのか、あっていたのかはまだ分からない。実感も出来ない。

 でもは多分、これから何があったとしても、全力でこの場所を守ろうと努力するだろう。
幸せを考えて、選択をしていくだろう。





「だから、ごめんなさい、」






 は深々と姉に頭を下げる。

 多分父とも、相対することになるんだろう。罪悪感もある。悲しみもある。寂しさもある。申し 訳
なさもある。これ以上ないほどに、過去の埋め合わせをしたかった。今でも姉のために出来るこ
とがあるのならばして上げたいと思う。

 それでも、幸せを望む自分に気付いた。

 自分勝手だと言われれば、その通りだ。罪を背負っておきながら、幸せを望むは酷く罪深
い。でも、ギルベルトだけは失いたくなかった。自分の居場所を、今までは守ることが出来なかっ
た。引き留めることも、出来なかった。は居場所に据えられるだけの存在だった。でも今は
違う。


 ヒルダはの謝罪に目を丸くしていたが、不機嫌そうに顔を背ける。は小さく息を吐
いて、隣にいるギルベルトの方を見上げた。

 彼は黙っての話を聞いていたが、驚いたようだ、朱い瞳を丸くしている。





「…話は、終わったか?」

「はい。終わりました。」






 は目を細めて答える。

 これは過去への決別だ。すべては此処に置いていこう。望まれない自分の居場所に未練がないわ
けではない。姉の姿を見れば心動かされるけれど、





「行くぞ。」






 手がさしのべられる。大きくて、傷の多い手だ。軍隊を指揮する彼の手には大小たくさんの傷が
ある。





「はい。」






 は頷いて、彼の手に自分の手を重ねた。

 ここからの道は、自分が選んだ。人から与えられたのではない。自分で選択した。

 はそれを強く意識しながら、彼の手を強く握った。



















  懺悔を知りません