姉のヒルダが処刑されたりしないように数少ない知り合いに手紙を書いたり根回しを行い、彼女
の幽閉が決まった途端、は突然体調を崩した。今まで張り詰めていた線が切れたのだろう。
数年現れていなかった喘息と食事が出来ないのとで、回復したり悪くなったりが続き、そうなると
体調悪化が怖くて何も出来なくなった。ギルベルトはオーストリアとの国境紛争がアプブラウゼン
侯爵が逃げたことによって激化したため忙しく、ほとんどあれから話も出来ていない。

 はベッドから身を起こし、近くにあったカウチに倒れ込むように座る。近くにあったクッ
ションを挟んで肘置きにもたれかかれば、こみ上げてくるのは自己嫌悪だった。





「…微妙、ですものね、」






 一つ道が違えば、ギルベルトはに殺されていたかも知れないのだ。感情的に複雑なのも当
然だった。

 幸いにもフォンデンブロー公爵の好意で養女として貰いアプブラウゼン侯爵の娘でなくなった
への風当たりは優しく、使用人も自分を気に掛けてくれる。しかし、父は母の不義の子である
認知してくれたというのに、このような仕打ちをしたに、さぞかし失望しているだろ うし、憤ってい
るだろう。

 結局は彼のために何もして上げることが出来ず、挙げ句の果てに裏切ったのだ。恩を仇で 返
すという言葉が非常にぴったり来る。

 でも父にギルベルトを殺せと言われたとき、自分は出来ないと思った。エリーザベトに幸せを考 え
ろと言われたときに、彼の隣に自分の幸せがあると思った。だから、ギルベルトを助ける道を選 び、
その為に父の行いを密告したわけだけれど、それは同時に父の命を自分の幸せのために差し 出し
たような物だった。


 ギルベルトはプロイセン王国の中でも1,2を争う将軍の地位にあり、国王の信任も厚い。その彼
を殺す計画を立てたアプブラウゼン侯爵は、おそらく許されないだろう。訴え方によってはおそ ら
く国家反逆罪で処刑される。

 父は領地のアプブラウゼンに帰って閉じこもり、今度は神聖ローマ帝国、オーストリアの宮廷に
出仕していると言うが、もしもプロイセン王宮にいれば捕えられ、死刑にされたはずだ。





「酷い、」





 はギルベルトを殺したくなかった。彼に死んで欲しくなかった。

 その代わりに、父の命を放り出したのだ。





「考え、たくない、」





 はぎゅっとクッションを抱きしめて目を閉じる。

 もう選択してしまったことは、変わらない。は自分の幸せを選択してしまった。それでも
罪悪感は残り続ける。1人になればなおさら、どうしても負の感情に覆われてしまう。

 それでも、ギルベルトの笑顔を思い出せば、少しだけ心が立ち直った。





「おーい!開けるぜー、」





 間延びした声が扉の方から聞こえて、返事も待たずに扉が開く。カウチの肘掛けにもたれかかっ
ていたは慌てて身を起こした。





「起きてるか?」

「あ、はい。」






 は久方ぶりに見るギルベルトに驚きながらも頷く。

 珍しく、彼は軍服も着ておらず、シャツ一枚だった。最近体調が悪いこともあっての朝は
遅い。ちらりと時計を伺えばもう10時を過ぎていて、日頃の彼ならば出勤していてもおかしくない
時間だ。軍人の朝は早い。





「なんだ、起きたばっかか、」





 ギルベルトはの様子を見て目をぱちくりさせる。

 それで気付いた。寝間着姿のままでカウチに凭れていたので、胸元がはだけている。は慌
てて胸元をかき合わせて近くにあった上着を羽織った。よく考えれば髪の毛だって寝起きだからぼ
さぼさだ。鏡台近くにある櫛をとると、ギルベルトがその手を握った。






「髪、とくのか?」

「あ、はい、」

「俺にさせろよ。」

「え?」





 がきょとんとしていると、ギルベルトはの手から櫛をとった。は促されるまま
に鏡台の前に座る。ギルベルトは慎重な手つきで長い亜麻色の髪へと櫛をとおしていった。淡い
の髪は細いので絡まりやすいが、剣や銃を持つ無骨な手からは考えられないほど優しく解
いていく。





「これが終わったら一緒に朝飯食おうぜ、俺の部屋に用意させるから、」

「もしかして、今日、お休みですか?」






 日頃ならば絶対に朝ご飯を一緒になんて食べている暇はない。というかそもそも既に出勤の時間
で、もしこんなことをのんびりしていたら彼の部下が慌てて呼びに来るだろう。もしくは執事がパニ
ックだ。





「あぁ。ってかフリッツが結婚式までは忙しいだろうから休めってさ。」





 嬉しそうにギルベルトが笑う。

 だから今日はこんなにゆっくりしているのかとは納得した。

 髪を梳きおれば、ギルベルトが近くにあった緑色のリボンを髪に巻いてくれる。白いレースの縁
取りのついた鮮やかな緑は、彼がこの間選んでくれたものだ。目が紫色のに、菫のようだと
くれたのだ。

 亜麻色の髪は土、リボンの緑は葉っぱ、そして紫色の目は花。


 本当は金色じゃなくて暗い亜麻色の髪も、不気味な紫色の瞳も好きではなかった。でも菫みたい
だと笑ってくれるから、それで良いのかも知れないと思う。

 自分でも、不思議だ。どうして言葉一つで好みが変わってしまうのだろうか。





「よし。飯を食いに行こう。」






 ギルベルトは櫛を鏡台に放り出して、の手を引く。向かうのは隣のギルベルトの部屋だ。

 の部屋は基本的に寝室しかないが、彼の部屋はいくつかの部屋が連なっていて、広い。多
分元はの部屋もそういった連なる部屋の一つを用に改装しただけだろう。

 部屋のテーブルにはすでに朝食が用意されていて、席もちゃんと二つあった。


 窓際の席にギルベルトはどさりと腰を下ろして足を組む。もそれを確認してから反対側に
ある椅子に座った。それを確認すると、メイドが飲み物を持ってきてくれる。

 ギルベルトは恐るべき事に朝からビールだった。は普通に甘いオレンジ水をもらった。

 肉やら芋やらが食卓に並ぶ。もともとプロイセン王国の土壌は豊かではなく、麦を育てるには向
かない。そのため、ジャガイモがフリードリヒ時代に急速に普及させられた。最初はその形から敬
遠されがちだったが、国王が率先して食べたため、ジャガイモは定着した。





「このブルストうまいな。」





 ギルベルトは朝からがつがつと食べる。最近体調を崩して食が細くなっていたは近くにあ
った林檎をむいてもらって食べていた。あまりたくさんものをいれると胃が悲鳴を上げそうだった
ので控える。





「おまえ、食わねぇの?」

「…あの、えっと、」






 は説明しなければならないと思いながら考えていると、給仕役をしていたメイドが困った
ような顔をした。






様は最近あまり食事をとられていませんでしたから。」

「マジで?」






 忙しかったから知らなかったギルベルトは目を丸くして、それからメイドを睨んだ。






「そう言う事は報告しろよ。」

「あ、それは、わたしが口止め…していたんです…ごめんなさい、」





 はうつむきがちにメイドを援護する。

 体調が悪いことは伝えてもらっていたが具体的な内容については伏せるように言っていたのだ。






「なんでだよ。」

「だって、お忙しそう、だったので、患わせたく、なかったんです。」






 忙しくなったのは、が父の計画を密告したからだ。放って置けばギルベルトが殺されたか
も知れないので、それ自体に後悔はないが、忙しくなってしまった彼にますます心配を掛けて時間
を作らせるようなまねはしたくなかった。






「もし、俺が怪我したら知らないと嫌だし心配すんだろ?」

「それは、」






 は言葉を失って、口を噤む。

 ギルベルトが怪我をしたら、きっと心配だし、隠して欲しくないと思う。自分に出来ることがな
くても、何かしてあげたいと思ってしまうだろう。






「俺もおんなじだぜ。心配する。してるんだ。」






 強い口調で言われて、は少し顔を上げて彼の方を見上げた。

 同じ、なのだろうか。

 本当に自分が思うくらいに、彼は自分のことを心配してくれているのだろうか。信じていないと
かではないが、自分を心配してくれる人はすでに死んでいて、突然言われてもなかなか実感がわ
かない。


 でも、嬉しい。

 は俯きながら、きゅっと胸元で手を握った。






 
願いを生む花