侍女に詳しく聞いているとは最近ジュース以外はほとんど口に出来る状態ではなかったらし
い。心配した料理人がスープを作ったが、それも固形物が入っていると駄目で、ジャガイモをすり
つぶしたりとかなり苦労していたようだ。今日はギルベルトの前でスープの他にパンも少し食べて
いたから、料理人だけではなくメイドも息をついていた。彼らも心配していたようだった。
は食事を終えると一度着替えのために自室に戻ったが、ギルベルトはを自分の部屋
に呼び寄せた。どうせ今日はなんの用事も入っていない。結婚式の用意なんて言っても後は執事達
に放り出せば良いだけの話で、別にギルベルトが決めることもないので、フリードリヒはとの
時
間がとれるように休みをくれたのだろう。
は1人で考え込む癖がある。出来るだけ1人にさせない方が良いと言うのは、エリーザベト
妃にも言われていた。
ギルベルトの部屋に来たは、やっぱりなんとなくぼんやりしていた。
「、腹大丈夫か?」
溜まっていた書類やら紙切れやら資料やらを整理しながら、ギルベルトはカウチに座るを
振り返る。
「あ、はい。なんとか。」
は自分のお腹を撫でながら頷く。ギルベルトはその答えにほっとした。
久々に固形物を食べたというので心配していたが、食べ終わった頃に少しお腹が痛いと訴えたく
らいで、大丈夫そうだった。
「あの…」
は何やらギルベルトを見上げてもの言いたげにしていたが、意を決して声を掛けてきた。
ギルベルトはふと気になって、後ろを振り向く。
「おまえさ。」
「…はい。」
「俺のこと名前で呼んだことなくね?」
言った途端、はぴくりと固まった。分かっていたらしい。
「いつも“あの”とか、“えっと”とかで呼ばないか?」
「…バイルシュミット、様、ですか?」
はおずおずと口に出す。閣下なみに仰々しい呼び方に、ギルベルトは思わず本棚の本を落
とした。自分の婚約者にそれは無いと思う。
「、おまえもバイルシュミットってつくんだぜ。」
欧米の結婚は別に姓が変わるわけではないが、旦那の姓が後ろにくっつくことになる。ギルベル
トは国だし結婚したこともなければ同じ名字の奴もいないが、名字で呼ばれるのは微妙だ。
ましてや婚約者に名字で呼ばれるなんて、
「ギルベルト、様ですか?」
「ギルで良いぜ。フリッツとかもそう呼ぶしな。」
「ギル様?」
「なんで様がくっつくんだ。」
ギルベルトは落とした本を拾い上げながら悪態をつく。
「なんと、なく…」
意識的にギルベルトの方が立場が上だという固定観念があるらしい。それ自体が嫌なわけではな
いが、その仰々しい呼び方に関してはやめて欲しいところだ。
ギルベルトは本を適当に本棚に詰め込んでから一冊の本を取り、カウチでクッションを抱きしめ
るの隣に腰を下ろす。は緊張するのかびくりとしたが、ちらりとギルベルトの方を伺
うそぶりを見せた。
「なぁ、」
笑いながら、ギルベルトはの方に手を伸ばして中腰になる。の体を挟んで向う側に
ある肘置きに手をついてを見下ろせば、に逃げ道なんてない。は背もたれに自
分の体を押しつけるように下がったが、ギルベルトはの頬に口付けた。
「ゃ、」
小さくは声を上げてギルベルトの肩を押すが、ギルベルトはお構いなしでのうなじ
に軽く触れて、彼女の髪を撫でる。
「キス、しても良いか?」
尋ねると、は顔をまっ赤にした。
わかっていて楽しくて、ギルベルトは彼女が答えるまでの間頬やら首筋に口付けて、手で彼女の
体に触れる。はその度にびくびくしたが、答えないとこれが続けられると分かったのだろう
困ったように菫色の瞳でギルベルトを見た。
「ぁ、の、」
「ほら、まただ。」
「だ、だって、…ちょっと、離れて、」
はぐっとギルベルトの肩を押して離れてほしいと示すが、彼女の眉根を寄せた困った顔が
面白くて、彼女を片手でぎゅっと抱き寄せた。もみ合って、バランスを崩した彼女がカウチに倒れ
る。肘置きに頭を打ったら可哀想だから頭を抱えるようにして抱きしめれば、背もたれからそのま
まなだれるようにカウチに仰向けに倒れることになった。
「え、きゃっ、」
は一瞬自体を飲み込みかねたようだが、慌ててカウチから身を起こそうとする。それはギ
ルベルトが体で阻んだ。
「うぅ、」
が涙目で唸る。ギルベルトは軽くの唇に自分のそれを重ねた。重ねるだけの口づけ
にもは顔をまっ赤にして、居心地が悪そうだったが、逃げることも出来ずに目をぎゅっと閉じ
て、口づけが終わると顔を背けた。さらりとした亜麻色の髪が首筋で揺れて、細くて白い首筋があ
らわになる。
そそられるなと、ギルベルトは心中で呟く。
噛みつきたい、そう思ったけれど、そんなことをすればそもそもキスですら赤くなる彼女は驚く
だろう。首筋に口付けて軽く吸い付く。髪で隠れる位置だ。別に問題はないだろう。吸い付いた
後にぺろりと舐めてから離れると、そこにはうっすらと赤い痕がついていた。
結婚するまでは待ってやるといった手前、許されるのは此処までだ。
の頭の近くに手をついて少し体を離して上からを見下ろすと、もそれを感じ
ておそるおそる目を開く。
「ほら、大丈夫か、」
頬を撫でると、恥ずかしそうに目を伏せた。長い亜麻色の睫毛が紫色の瞳にかかる。
「ちゃんとこっち見ろよ。」
「だって、恥ずかしい、」
は自分の顔を手で覆う。ギルベルトは暇を潰すようにの頭の隣に着いた手で
の髪を弄って遊ぶ。
「ほら、手で顔隠すなよ。」
「ち、近い、んで、」
「なんだよ。俺のかっこいい顔が間近で見れていいじゃねーか。」
笑って言えば、は顔の手はどけたが、顔を背けたままだった。
「こっち、見ろよ。」
ギルベルトはぺちぺちとの頬を軽く叩く。は軽く首を振って、嫌がる。ギルベルト
は半ば無理矢理の頬に手を当てて自分の方を向かせて、額をあわせる。
間近でかちあう緋色と菫色の瞳。
「やっとこっちみたな。」
柔らかに笑って彼女に言えば、はばつが悪そうに頬を染めて目を伏せた。
吐息が触れるほどの近さには緊張しているらしい。あと一ヶ月でこれが改善されるんだろ
うかと、ギルベルトはにのしかかったままの体勢で首を傾げた。
「はぁー、ちょっと慣れろよーーー」
ギルベルトは力を抜いての上にのしかかる。
「きゃっ!!」
が近い体温か、それともギルベルトの重みに対してか、よくわからないが甲高い悲鳴を上
げた。
耳に灯るは優しき響き