がエリーザベト妃主宰で王宮にて開かれた茶会に出席したのは数日後のことだった。





「良かった。お顔の色もよろしいようで。」





 エリーザベト妃は穏やかに微笑みかける。は恐縮しながら彼女に頭を下げる。






「ご心配をおかけしました。ありがとうございます。」






 が体調を崩した間、彼女は頻繁に手紙をよこし、心配してくれたのだ。その温かな心遣い
は感謝を述べる。

 今まで生きてきて、涙が出るほど今が幸せだとは想う。

 だって、少し体調を崩すだけで皆が心配してくれて、様子を見に来てくれ、手紙をくれ、こうして回
復すればしたで、また温かに迎えてくれる。


 それを与えてくれたのはギルベルトで、は胸が温かくなった。






「ふふ、結婚までもう少しですから、体調に気をつけてね。」






 少し悪戯っぽく微笑んで、エリーザベトはにお茶を勧めた。

 確かにあと一ヶ月ほどに迫った結婚の用意は、ギルベルトとの養父で後見人となったフォ
ンデンブロー公爵によって着々と進められているようだ。が選んだのはドレスやらだけで、嫁
入り道具は買っても良かったが、ギルベルトの屋敷には先代の置き土産とギルベルトの家に
を預かることが決まった時に用意したものが既にありだいたい揃っていた。新しい物を欲しい と言
う感情はにはない。

 だからがする用意はほとんどなくて、実感がわかないというのが現実だった。あと、心配
事は初夜の話くらいだ。





「バイルシュミット将軍は我がプロイセンにとって大切な方ですから、よろしくお願いね。」





 エリーザベトは穏やかにに言う。はこくりと頷いた。

 彼はプロイセン王国の将軍で、フリードリヒ国王の信頼も厚い。位も高く、功績のある人だ。
はまだ彼が国そのものであることは知らないが、それでも神妙な顔で納得した。






「それにしても、バイルシュミット将軍は面白いくらいに様にぞっこんですね。」






 女官のマリアンヌがに笑う。

 彼女はこの間に嫁入り前の心得を話に来て、ギルベルトとも話している。彼女も元々はか
なり高位の伯爵家の出身で女官時代も長い。宮廷によく出入りしているギルベルトのことも知って
いるが、そのマリアンヌから見てもギルベルトのへの愛着はよくわかった。

 長く見ているからこそなのかも知れない。




「噂に、なってますものね。」




 エリーザベトの隣にいた女官のタチアナも刺繍から顔を上げる。は女官達の言葉に顔を伏
せて頬を染めた。




「そうなの?」





 ゆったりとエリーザベトが尋ねると女官達は一様に頷いた。






「だって、バイルシュミット将軍と言えば、今まで長らく妃をお持ちになりませんでしたもの。ね
ぇ?」

「そうですね。」






 マリアンヌとタチアナが顔を合わせて言う。

 ふたりは女官として幼い頃から仕えていることもあり、ギルベルトを長らく知っているし、国で
あることも承知だ。普通国ならば恋人のひとりやふたり、もしくは人間と結婚していてもおかしく
はない。事実隣のフランスは昔恋人がいた。

 しかしながらギルベルトは生憎そう言った特定の相手を長らく聞いたことがない。もちろん行き
ずりの女や片時の戯れはあるが、特別寵愛を受けた人や妃はいなかった。





「予想外に、潔癖でしたしね。」





 マリアンヌは苦笑するように肩を震わせた。

 遊びほうけていたギルベルトだったが婚約が決まってしばらくすると女遊びもぱたりとやめた
一応彼女に対するけじめなのだろう。長らく遊びほうけている彼しか知らなかったので、意外だ
った。





「あんなに想われて、様はお幸せですね。」





 タチアナが素直な羨望をに向ける。






「そうですね。本当に恵まれていると、感謝しています。」






 は心からそう口にしていた。

 今の時代、女性の結婚は親同士が決めるため、女性に決定権はない。そのため不幸な結婚もたく
さんあるし、心を通わせることが出来ないままに終わる結婚もある。それでも別の場所で幸せを得ら
れればいいが、耐え忍んでいる人も多い。

 その中では政略的なものが色濃いとはいえ、少なくとも夫となる人物に愛されるは幸
せだと言えた。






「そう言えば、フォンデンブロー公爵が領地にお帰りになられたそうですね。様もお寂しく
なられますね、」






 タチアナが少し眉を寄せてに言うが、それをエリーザベトが目で制した。






「あ、」






 タチアナははっとした顔をして目を伏せる。






「いえ、寂しいのは、本当ですし。大丈夫ですよ。」






 は笑ってタチアナを宥めた。だが、大丈夫だと言いながらも割り切れないものが
はあった。

 の後見人であり、養父となったフォンデンブロー公爵は、領地である公国に帰った。理由
は隣り合うアプブラウゼン侯爵領がオーストリアに与したからだ。

 の父であるアプブラウゼン侯爵はを介してギルベルトを殺そうとして罪を問われた
が、プロイセン王国の裁判所に出頭することなく、領地に引きこもり、挙げ句の果てにオーストリ
アに臣従したのだ。そのため先日プロイセン王国に臣従したフォンデンブロー公国とアプブラウゼ
ン侯爵領は敵同士となり、だから、フォンデンブロー公爵は領地に戻ったのだ。


 本当はが結婚式を終えるまではいると言っていたのだが。

 に父からの手紙を渡したアプブラウゼン侯爵令嬢でとは母親の違う姉、ヒルダはす
ぐに捕えられ、軟禁が決定したため、ベルリン近くの城に今日護送される予定だ。

 本質的には母の不義の子であるため父とはまったく血が繋がっていないが、それでも母の
行いがあるため申し訳なく思っていたし、が父からの手紙をギルベルト達に渡したために、
父や姉が罪に問われたと思えば気分が沈み、だから体調を崩していたのだ。


 ギルベルトが休暇を取ってから彼と親しむ時間の方が多くて、そちらに夢中になって、薄れ欠け
ていた罪悪感が、少しだけ戻ってしまう。






「王宮の画家に、肖像画を描かせましょうか。」






 エリーザベトはのんびりと手を合わせて、を見る。






「え、」

「だって結婚式に出席できないのでしたら、せっかくのさんの美しい姿を見られないんです
もの。」






 戸惑うを置いてエリーザベトは自分の発想に満足げに頷き、今度は女官達に目を向ける。





「良い案でしょう?」

「確かに、そうですね。手配しましょうか。」

「え、ぁ、あの、」






 は慌ててエリーザベトと女官を止めようと声を上げる。

 肖像画なんて、恥ずかしくていたたまれない。多分その肖像画は恥ずかしくては絶対に見
られないだろう。






「そ、そんな、」






 はぶんぶん首を振って、否を示す。






「でも、きっと楽しみにしていらっしゃるわ。」





 エリーザベトが力説する。確かにフォンデンブロー公爵はの結婚式を楽しみにしていた。
楽しみにはしていたが、






「そうだわ。バイルシュミット将軍にご意見を伺いましょう。」






 があまりに嫌がるので、エリーザベトは困ったような顔で言う。






「え、そ、それは、」







 はその案もすべて撤回して欲しかった。が恥ずかしがるのは分かっているので、絶
対にギルベルトは面白いと笑いながら賛同するだろう。

 だが、強く言えなかったの意見は爽やかにスルーされていく。






「そうですわね。伺いましょう。」





 マリアンヌが王妃ににこやかに微笑む。これにて決定権はからギルベルトに委ねられた。





「それにしても廊下あたりが騒がしいわね。」






 エリーザベトは人が走る音のする廊下の方を見やってぽつりと呟く。






「見てくるついでに将軍へ伝達に言ってきましょうか?」






 まだ口を開閉させるは放置されたまま、マリアンヌが名乗りを上げる。





「わ、わたしが自分で、行きます。」





 が慌てて席を立つ。このままマリアンヌ1人に行かせてしまえばに勝ち目は絶対に
い。ふらふらと廊下を出れば、何故か衛兵がばたばたと走り回っていた。






  終わりのふる夜