結婚式まで休みというありがたい休暇をいただいたギルベルトが王宮に呼び出されたのは1週間
後のことだった。

 アプブラウゼン侯爵令嬢ヒルダの軟禁先への輸送がこの日だったので、何か問題が起きたであろ
うことは容易に想像がついたが、告げられたのはあまりにもずさんな部下の失態だった。





「逃げられた?」





 ギルベルトはあきれて言葉も出ない。





「そうだ。軍に内通者がいたらしい。」






 フリードリヒもため息をついて、近くにあった報告書をギルベルトに渡す。不機嫌ながらもギルベ
ルトはそれを受け取った。アプブラウゼン侯爵の家人であった兵士の名前がそこには書かれてい
た。





「だがここはベルリンだぞ。」






 ギルベルトは書類の内容を把握しながら息を吐く。

 ほかの都市ならいざ知らず、城門で囲まれたベルリンでは、門兵に捕らえられることは確実で、
領地のアプブラウゼンまで戻ることは不可能だと言い切れる。ましてやすでにフリードリヒのこと
だから門兵への確認の指示は済ませているだろう。ということは、あとはヒルダが捕らえられるの
を待つだけだ。

 アプブラウゼン侯爵はオーストリア側についたが、まさかプロイセン王国の首都に捕らえられて
いる娘を助けるためにとれる手段など、ない。オーストリアは今疲弊していて、どうしようもできて
いないのだ。助けを求めたところで軍隊を派兵できるような状況ではない。

 彼女はいったい何のために逃亡したのか。逃げおおせられると思ったのだろうか。





「おまえを、殺しに来るんじゃないか?」





 フリードリヒは小さく笑ってたずねる。






「来るんだったらてっとり早いな。」





 ギルベルトはにやりと獰猛な笑みを浮かべた。

 女に殺されてやるほど、ギルベルトは甘くなどない。そして、弱くもない。逆に襲ってきてくれる
のならば、簡単に返り討ちにできる。訓練を受けていない女一人殺すのに、軍隊で指揮を執るギ
ルベルトがためらいを抱くはずもない。

 フリードリヒは満足げにうなずいてから、ふと顔を上げた。






「なんだ?」






 ギルベルトは困ったような顔をしているフリードリヒに声をかける。







「…いや、嬢はおそらく傷つくだろうなと思って、な。」






 フリードリヒは目を細めるが、ふむと二つ頷いた。






「まぁ、隠せばいいだけの話だがな。」






 ギルベルトが仮に殺してしまったとしても、ほかの人間が殺したことにしてしまえばよい。別にい
わなければわからない話だし、彼女はあまり外に出ないので軍隊自体とかかわることも少ないか
ら、情報を得ることもないだろう。







「確かに、安易な発想だけど、そうだよな。」

「第一、 おまえの幸せを壊したくはないからな。」






 フリードリヒは口元に手を当てて笑む。





「なんだよ。」






 ギルベルトは不機嫌そうに口を尖らせる。けれどなんとなく彼の言いたいことはわかっていた。






「軍隊一筋のおまえが、結婚なんて。それも14歳のレディに熱を上げるなんてな。」






 フリードリヒは笑いをこらえられないのか肩を震わせる。

 確かに、彼の父親の代からギルベルトは自分の功績と軍隊一辺倒で、本当にそれ以外をほとんど
考えていない。自分と軍隊のことしか考えていない男が、突然14歳の少女に肩入れをしだしたのだ
から、人間面白いことはあるものだと思う。否、彼は人間ではないが。






「うるせぇよ。」






 ギルベルトはぶすっとして、近くにあった椅子にどさりと腰を下ろす。






「本当は結婚式が楽しみで仕方がないんだろう?」

「フリッツ、てめぇ、後ろから刺されたいのか?」

「刺せるものなら刺してみろ。」





 フリードリヒは強気に返したが、唐突に真顔になる。






「ギルベルト、おまえ、自分が何たるか。彼女に話したのか?」






 問われて、ギルベルトはあからさまにひるんで、彼から顔をそらす。






「話してねぇよ。」






 国家たるプロイセン−それがギルベルトの本質だ。

 ギルベルト・バイルシュミットという人間は国そのもので、彼の性格は国家の性格そのものであ
り、国民性でもある。彼の寿命は驚くほど長い、というかほとんどの場合その土地があり続ける限
り、生き続ける。人間ではないから、実際のところ暗殺で殺されるなんて言うのはほとんどの場合
ありえない。首をはねられたりすれば危ないところだが、普通ならば死ぬことはないと考えてほぼ
間違いはないだろう。年だって緩やかにしかとらない。






「…やばいかな。」







 ギルベルトはうつむいたままぽつりと呟く。





「当面はやばくないがな。人間とだったら子供も作れるわけだし。だがいつかはわかるだろう。」





 フリードリヒは淡々と事実だけをギルベルトに告げる。



 まだは14歳で、ギルベルトの見た目の年齢まで追いつくのに10年はかかる。子供もで
きるのだから、当面彼女は疑問には思わないだろう。普通の人間として結婚し、夫が年をとらなく
ても10年くらいはそんなものだと思うだろう。

 だが、それ以上となれば徐々に理解するはずだ。緩やかに年をとるといっても、ギルベルトの緩
やかは数百年単位だ。彼女とは時の歩み方が違う。子供たちとだってそうだ。国の子供は一般的
に長生きをするといわれるが、それでも人間の長生きのレベルで、彼らにすれば一瞬。






「おまえは、いいのか?」






 残されていくギルベルトはつらいだろう。フリードリヒが問えばギルベルトは自嘲気味に笑う。






「別に、俺は一人だってぜんぜん平気だぜ。」






 ギルベルトの言葉にはいつもの覇気はなく、どこか自嘲気味だった。

 別れのことを考えれば、それは苦しい。彼女がいなくなるのかなと思えばなお更だ。だが、そ
れはギルベルトにとってはもう慣れたことだ。前の国王だって、死んでいった。ずっとずっとおい
ていかれてきた。それは恋人でなくても同じだ。大切な人たちはギルベルトをいつも置いていく。
でも全てがなくなるわけではないことも、ギルベルトはちゃんと知っている。






「でもさ。俺だけ良くても、だめだよなぁ。」






 ギルベルトは大きなため息をつく。

 どんなにギルベルトが自分のあり方を認めていても、が認めてくれなければだめなのだ。
そんなギルベルトでも良いと、国でも年をとらなくても良いよと、彼女が言ってくれないと、それは
一人よがりだ。

 事態がばれるまで話さないか、それとも事前に話すか。

 ギルベルトが国だということをおおっぴらに言う人間は絶対にこの国ではいない。知っていても
口にはしない。他国にばれては困るから。





「もうちょっと、この幸せ、そのまま貪ってたいんだよ。」






 今まではあこがれたことがなかった。普通の人間みたいに、恋人ができて、結婚して、子供を生
んで、そういう生活。それを、と出会って夢見てしまった。

 やさしい夢を、貪っていたい。許される限り。






「受け入れられたいとは、思わないのか。」






 フリードリヒは机にひじを突いて、ギルベルトを眺める。

 国であることも、全部含めてギルベルトと認めて、愛されたいとは思わないのか。それは一番ベ
ストな愛の形だ。






「それに伴うリスクが怖い。」





 ギルベルトは素直な感情を吐露した。


 ハイリスク、ハイリターン。

 もしもそれを告げれば、彼女はギルベルトを今までのように思えなくなるかも知れない。それで
なくとも立場や身分の違いを気にかける彼女。国であることが発覚すればこのまま婚約者として
接してくれなくなるかもしれない。そして、受け入れられるかどうかわからないのに、受け入れてく
れと叫ぶことは恐ろしい。






「馬鹿だな。おまえ。」






 まるで恋人に別れを告げられるのを恐れる、少年のようだ。フリードリヒは苦笑する。






「...馬鹿でいいさ。」





 ギルベルトは椅子の背もたれに体重を預ける。

 馬鹿でもいい、彼女がそばにいてくれるならば。









 
どうしてその手はこんなにも 冷え切って