フォンデンブロー公爵はすぐにフォンデンブロー公国に帰った。隣のアプブラウゼン侯爵領がオ
ーストリア側についたために、警戒しているのだ。本来ならプロイセンに来ること自体、無茶をし
たに違いない。はそれだけでも眉を寄せた。
公爵は結婚式の肖像画を楽しみにしていると言い、フリードリヒも肖像画を描かせることを約束
した。複雑な気分だったが、公爵のことを思えば仕方ないと思えた。
「…」
は昼食を前にして、スプーンを止める。
「なんだ、食わねぇのか?」
ギルベルトが隣から見て尋ねる。
先ほどの深刻な話などなかったかのように、彼の食事は進んでいるようだった。フリードリヒは
の心境を察してギルベルトに呆れた視線を送ったが、彼には伝わらなかったようで、首を傾
げている。
今までフォンデンブロー公国は自分が継ぐのではない、と思ってきて、正直継承問題は不義の子で
ある自分には関係ないと考えてきた。まったく予想もしなかったのだ。だから、前にギルベルト達に
問われたときもあり得ないと言った。
公国の継承者として常に自分を律し、勉強していたカール公子を思い出せば、自分は足りないも
のだらけだ。
―――――――――――フォンデンブローの民であることを誇りに思え、
カール公子はにそう言って、だから顔を上げろと言っていた。
当然だが、には国を守る技量などありはしないし、方法も知りはしない。ただその重みは
教えられてきた。
は食事をするギルベルトと向かい側に座るフリードリヒに目を向ける。
ギルベルトはプロイセンの将軍、フリードリヒはプロイセン国王だ。彼らの担う重み。同じもの
がフォンデンブローを担うにもあらなければいけない。はず、だが。
「…なんだか、お話が大きすぎて、よくわからなくて、」
「は?おまえがフォンデンブローを継ぐってだけの話だろ?」
「いや、そうなんです、けど。」
なんだか軽く言われてしまえば、確かにそんな気もする。 複雑なニュアンスはまったくギルベ
ルトには伝わらなかったらしい。
「それにまだ公爵死んでないじゃねぇか。喧嘩は死んでからだろ?」
「あの、縁起でもないこと言わないでください。」
は一応反論して、大きなため息をつく。
どうやら彼にこの複雑な心持ちを理解してもらうことは難しいようだ。父と争うことになると言
うことも、国と言うことが関わることも、すごく重たい。どうすれば良いかわからないくらい、途
方に暮れているというのに。
「まぁ、彼の言い方はよくはあるまいが、まだ公爵が亡くなったわけではないのだから、ゆっくり
考えれば良いのではないかな。」
フリードリヒは優雅にスープをスプーンですくって微笑む。は目の前に並ぶ豊かな食事を
見つめる。
「カール公子は、わたしに何をして欲しかったのでしょう。」
は目を伏せて、じゃがいものスープを見つめる。そこに浮かぶのは、憂鬱そうな顔をした少
女だ。なんの特別さもない、美人でも不細工でもない普通の少女。カリスマ性のあったカール公子
とも、穏やかで包容力のあるフォンデンブロー公爵とも違う。何が、に出来るというのか。
「カール公子がおっしゃったという、古きフォンデンブローとは、なんなのでしょうか。そして、
わたしが追うべき新たなるフォンデンブローは…」
考えれば考えるほど、には分からなくなっていく。
カール公子が望んだことがあるのならば、死した彼の意に沿って上げたいと思う。しかし彼は本
質的に何を望んでいたのだろう。フォンデンブローをどうして欲しかったのか。
こんなことならば、もっとたくさん話を聞いておくのだった。
「さぁ?こういう言い方は良くないが、死者の思っていたことなど、わからないよ。」
フリードリヒはあっさりと言って、に笑う。
「君とギルベルトが結婚すれば君の領地はギルベルトの領地でもある。もしも敵が来るのならばこ
ちらも全力を尽くそう。あぁもちろん・・・オーストリアにつかれては困るが、それ以外なら戦争の時
中立でも構わないよ。」
国境付近にあるフォンデンブロー公国がオーストリアのものにならないならばフリードリヒは別に
良い。こちらに余力があるのなら多少の便宜を図ってやっても良い。ただし、その方針を決めるの
は誰でもなく彼女自身だ。
「重要なのは、君がどうしたいかだ。どんな国にしていきたいか。軍事が強い国にしたいか。豊か
なそうな…フランスのような国にしたいか。文化を重視するか・・・まぁ、海軍力はちょっと無理だろ
うけれどね。」
海に面していないのでイギリスのように海軍力増強は無理だが、それでも国を大きくしたいとい
う野望も、まぁありだろう。
どこに重きを置くかは、統治者次第だ。
今までは神聖ローマ帝国―オーストリアに寄り添ってきたのだが、軍事中心のプロイセンに寄り
添うことになるならば、フォンデンブローはどういった立ち位置が良いのだろう。文化、交易、何
で
も良いが、何が良いのか。
「ゆっくり考えると良い。君は女だから、子供を早めに産んでしまって、子供に放り出すという手
もある。」
フリードリヒはちらりとギルベルトを伺って、「彼の子があてになるかどうかはわからないが」
と付け足した。
「先の事なんてわかんねぇよ。」
行儀悪く足を組んで、ギルベルトはふんぞり返る。
「どうしたいかを考えて、そこへの道筋を計画する。それが、国政ってもんだろ。」
どのような国でありたいか。それを定め、道筋をつけていく。計画する。そして、目的を達成す
る。
プロイセンが先々代から行ってきたことだ。
「…難しいですね。」
はフリードリヒとギルベルトを見てから、顔を俯かせる。
「例えば、フォンデンブローをプロイセン王国の行政区画の一部としてしまうという手もある。」
「フリッツ!」
「たとえの話だと言ってるだろう。ただし、その決断をするのは君だし、それは公国の人々が納得
するかと言われれば別だ。」
公国に民が住まう限り、民の感情も考えねばならない。やりたいことを、民と話し合うことも大
切なのだ。
「それを言われれば、…民はわたしが公国の主となって、納得するのでしょうか?」
は目を細めて思案する。
「公爵はすでにギルドの人々などと話し合ったと言っていたよ。それに君は急進的に体制を変える
気もない。プロイセン王国側も、公国を併合する気はない。一応公国は国として尊重する気でいる
よ。」
「はい。」
「しかし、アプブラウゼン侯爵は、公国をオーストリアの領地とするかもしれない。ギルド側はそ
れを気にしていたそうだよ。」
フリードリヒは静かに告げる。
実際にアプブラウゼン侯爵はプロイセンからオーストリアに乗り換える上で、忠誠を誓う為、何
らかのものをオーストリア側に示しただろう。確証のある話ではないが、その“何らかのもの”が
フォンデンブロー公国ではないかと、フリードリヒは考えていた。自分の状況に応じてあっさりと主
君を鞍替えする男が、自分の故国でもない公国を大切に思うはずはない。
簡単にオーストリアに差し出すだろう。口から手が伸びるほどに、フォンデンブローを欲してい
ることは少し政治を知っているならばわかりきったことだった。
「まぁ、それはギルも言うとおり、“先の事”だ。ギルベルトは結婚式をそれはそれは楽しみにし
ているそうだから、構ってやりたまえ。」
「フリッツ!!」
椅子から乗り出さんばかりの形相でギルベルトが叫ぶが、フリードリヒは素知らぬ顔だ。
「…構う、ですか…?」
は握った手を口元にもって行き、彼が言う“構う”の意味が分からず考える。どうやって
構えばよいのだろう。
「頭、撫でるとかですか?」
「君は犬か何かの“構う”を想像していないかい?まぁ当たらずとも遠からずか。」
「おい!」
ギルベルトは反論するが、それはフリードリヒの笑顔にあっさりいなされた。
その背を預けるに相応しい人間でありたい