結婚式の衣装は白地に金の刺繍が入っていて全体が淡い黄色に見えるドレスだった。胸元から
肩の線が大胆に開くので苦手だったが、そのあたりはギルベルトに押し切られてしまった。でもや
はりもう少し頑張るべきだったと思う。
はまだ子供で体つきも華奢だし、胸も成長途中なのでやはり鎖骨のあたりが貧相だ。長く
続く肩からのびる布も引きずるので非常に重たい。ドレスも長いので歩きづらい。
は広間まで続く廊下にある鏡を見て、亜麻色の髪を少しいじる。首元にかかる亜麻色の髪
はやはり暗い色で、ドレスでもごまかしきれていない気がする。服や化粧などで元の造形がごまか
せるレベルは少しだなと、はため息をつきたくなった。
「おきれいでございますわ。」
エリーザベト王妃に言われてやってきた女官のタチアナとマリアンヌは長いドレスの裾をとりな
がらにこにこと笑う。
しかしながら輝かんばかりの金髪を持つタチアナや長い黒髪と豊満な体型のマリアンヌや絶対
により美しいだろうと、は劣等感に心がくじけそうになった。には美貌もなけれ
ば気概もなく、賢くもない。
ゆっくりと広間の入り口まで歩いていく。扉はまだ開かれておらず、中ではざわつく人のざわめ
きが聞こえる。は急に不安になった。
「様?」
足を止めてしまったに気遣わしげにマリアンヌが名を呼ぶ。
はふっと後ろを振り返った。長い廊下が続いている。片側からは日の光がふんだんに入り
込む大きな窓が、もう反対側には部屋の扉が並ぶ。たくさんの扉。
はまっすぐと与えられた道だけを見て、歩いて来た。でももしかするとこの廊下と同じよ
うに、たくさんの別の扉があって、そこには全く違う答えが用意されていたのかも知れない。しか
し、はそれらを見ずに、ただひたすら与えられた直線の道を歩んできた。
もう一度、は広間に続く大きな扉に向き直る。
が唯一選択したのは、ギルベルトと一緒に居ることだけ。
「さん。」
エリーザベト妃が扉の前にいて、にこりとにほほえみかけた。
はその顔すら直視できずに目を伏せた。自分が途方もないような場所に来てしまった気が
する。扉が開かれればもう後戻りできない。ぐっと拳を握りしめる。
「大丈夫、」
震えるの手を、エリーザベト妃がとる。
「堂々なされば良いわ。誰も貴方をおとしめたりはしないから、」
その声と言葉に押されるように、はゆっくりと前を向く。
広間への扉がぎしりと軋んだ音とともに開かれる。広間を埋め尽くすのはたくさんの人だ。色の
洪水のようにドレスを着た女性と、式服を着た男性が並び、を見ている。ほとんどは
の見たことがない人々だ。中央の祭壇への道は綺麗にあけられに進むよう促すが、なかな
か足が前に出ない。
顔を上げて祭壇の方を見れば、祭壇の方を向いていたギルベルトが振り返った。軍服とよく似た
式服を着た彼は、をみると一度緋色の瞳を丸くしたが、それはすぐに細められた。皆にばれ
ないように小さく、けれどに見えるように手がおいでとを招く。緊張していたは
いつもと変わらぬ彼の様子にほっとして、足を踏み出した。
慣れない靴だし、しかれた赤い絨毯は上等で柔らかくて、逆に躓きそうだったが、ゆっくりと転
ばないように慎重に歩いていく。人の目線を感じて俯きたくてたまらなかったが、ギルベルトから
目を離さないようにして顔を上げる。
隣に並ぶ前に待ちきれなかったのか、ギルベルトがに手を伸ばした。はその手をと
った。ぎゅっと不安をはき出すように強く握れば、彼にも伝わったのか、握りかえしてくれた。ギル
ベルトはに目で祭壇の奥を示す。一段高くなった場所があり、そこには国王であるフリード
リヒがいた。目が合えば手を挙げて笑われた。ギルベルトは何か言いたげな顔をしていたが、流石
に此処でいつもの調子で怒鳴る訳にもいかない。
ギルベルトは祭壇の方に向き直る。もそれに倣った。白い服を着た聖職者の老人がいて、
ギルベルトとが向き直ったのを確認すると、賛美歌が歌われる。歌い終われば、聖職者の老
人が聖書の文言を読み上げる。隣のギルベルトを見れば、彼は退屈なのか欠伸をかみ殺すようなそ
ぶりをしていた。
「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しい
ときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすこと
を誓いますか。」
聞いていたとおりの言葉を聖職者がギルベルトに問う。答えも決められている。
「はい。私はあなたの夫となる為にあなたに自分を捧げます。そして私は今後、あなたが病める時
も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びにあっても、悲しみにあっても、命のある限りあ
なたを愛し、この誓いの言葉を守って、あなたとともにあることを約束します」
ギルベルトの言葉にはよどみはなかった。きちんと覚えていたのだろう。緊張してしまって上手
く言葉になるだろうかと不安になったが、ギルベルトの手がの手を握った。ギルベルトを見
上げると、彼の目は酷く優しい。文言を間違っても、笑ってくれそうだ。いつものように屈託な
く。
「新婦となる私は新郎となるあなたを妻とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも
、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここ、
に、誓います。」
なんとか躓かずに言い切って、は小さく誰にも分からないように息を吐いた。
聖職者の老人はの心中を察したのか柔らかに笑って、ギルベルトに指輪を渡す。ギルベル
トはそれを受け取っての左手をとり、薬指にはめた。それからギルベルトとは握手をし
その手の上に聖職者が手を重ねて、結婚を承認する。
はそれだけで崩れそうな程安心した。
ギルベルト共に、は聖職者に促されるままに後ろを振り返り、向き直る。そこにはたくさ
んの人々がいる。ほとんどがプロイセン王国の貴族や軍人で、うやうやしく頭を下げている人もい
る。前にベルリン大聖堂の前で見たテンペルホーフというギルベルトの部下の姿も見えた。
いつも、は疎まれていた。父からの嫌悪、姉兄からの軽蔑、そして不義の子だと知る人々
からの侮蔑。そう言った中にいて、はいつも俯くしかなかった。自分の生まれは変えられな
いから、仕方が無いといつも俯いているしかなかった。
だから多くの人が祝福してくれるという事実がまだ何となく現実味を帯びて見えなかった。
音楽が鳴り、拍手や花が散る中を歩くのは、凱旋式などに参加するギルベルトは慣れているだろ
うが、には勇気がいる。それでも、人々が祝福してくれることは嬉しかった。
「ほら、」
ギルベルトに言われて、は彼の二の腕に自分の手を添える。ギルベルトは少し恥ずかしそ
うに笑って、ゆっくりと今度は一緒に扉の方に歩いていく。
「怖いか?」
歩きながら、の方を見ずに彼は素知らぬふりで尋ねる。
歓声や拍手が声をかき消してくれるとはいえ、大きな声で話すわけにはいかない。だから
は首を振って答えた。
怖くはない。不安はたくさんあるし、わからないこともいろいろだけれど、隣にギルベルトがい
るのだから、怖いことはない。彼が隣にいてくれるならば、
「将軍ー、顔がにやけてますよー!」
ギルベルトの部下だろうか、将校とおぼしき少年がにやにやしながら、バージンロードの端から
声を掛ける。ギルベルトの額に青筋が走ったのが分かった。ここが聖堂で、が隣にいなけれ
ば、間違いなく怒鳴り散らしていただろう。
「あい、つ。後で覚えとけよ。」
ギルベルトが引きつった薄笑いを浮かべて言い捨てる。
「ふふ、」
は思わず吹き出してしまった。ギルベルトが恨みがましくこちらを見ていたが、気にしな
いことにした。
おめでとう うつくしきひよ