プロイセン王国は決して富んだ土地柄ではない。多くが麦を育てるには適さぬ土地で、今は
じゃがいもを育てることで飢えをしのいでいる。冬は雪深く、作物を育てることはできない。暖
炉の薪だってたくさん必要だ。






「寒いですね」






 は窓から外の様子を伺って、そう言った。触れた窓ガラスは凍えるほどに冷たい。

 ベルリンの冬は寒く、雪も降る。オーストリアとの国境近くにあるフォンデンブローで多くの
ときをすごしていたにとってベルリンの冬はなかなかの寒さで、は冬の初め−結
婚式が終わって一ヶ月ほどたったころに風邪を引いた。





「おい、あんまり窓辺によるなよ。また風邪引くぜ、」





 ギルベルトが心配してか、窓の外の様子を伺うの隣に来て、肩に手を置いた。





「こっちこいよ。暖炉の前はあったかいだろ。」





 ギルベルトに手を引かれて、は窓辺から離れて煌々と赤く輝く暖炉の前のカウチに座っ
た。ギルベルトも隣に腰を下ろし、仕事の書類なのかサイドテーブルを近くに引き寄せて物を書
いていた。冬の間には、軍隊も少しお休みになる。雪深くなれば、行軍もなくなるのがこの時代
の通例だった。ただし、秋には収穫が行われ軍隊用の備蓄食糧の書類などは届くので、注意が必
要だ。




「暖かくなったら、一度フォンデンブローにおいでなさいと、おじいさまからお手紙が来ていま
した。」





 はのんびり言って目を細める。

 一応、フォンデンブロー公爵は一番血筋の近いユリアを後継者として指名した。プロイセン王
国側はそれを承認。神聖ローマ帝国―オーストリア側からの回答はなく男性で一番近い血筋に
当たるの実父アプブラウゼン侯爵は認めない方針を打ち出した。今アプブラウゼン侯爵は
オーストリア側に組しているから、オーストリアもユリアの継承を認めていないと考えて間違い
ないだろう。

 とはいえ、継承は血筋だけで決まるのではない。そのためフォンデンブローに足を運ぶこと
は大切で、先日もフォンデンブローのギルドの長老がベルリンに来たのもあって、彼らとも会
談を行っていた。オーストリアとプロイセン王国との国境にあるフォンデンブロー王国はプロイ
セン王国との通商を重視する方針を採り始め、またプロイセン国王のフリードリヒもフォンデ
ンブローの重要性と作物の豊かさを高く評価しており税金などの点での優遇も行ったためプ
ロイセン王国との通商は一気に増えた。






「フリッツも喜んでた。軍も刷新するんだろ?」

「はい。今の時代、軍隊がないと困りますからね。」






 はギルベルトの問いにこくりとうなずく。

 一昨年のオーストリア継承戦争でフォンデンブロー公国はプロイセンに侵攻され、カール公子の
活躍もありなんとか紙一重のところで撃退したが、カール公子はそのために死亡した。国土は守
ったとはいえ、優秀な指揮官や士官もたくさん亡くなっているが次の統治者となるユリアが女と
いうこともあり、軍備はかなり現実的な問題だった。そのため軍事に定評のアルプロイセン王国
とも相談して、軍隊の刷新に乗り出したのだ。

 提案したのは平和主義者のユリアで、ギルドや官僚も驚いていたが、最近ギルド側では通商経
路が盗賊などに脅かされたりといった問題が起きていたので、歓迎された。





「幸い、おじいさまが堅実だったおかげでお金はどうにかなっていますし、議会でも承認された
そうで、プロイセンの軍隊を真似させてもらうことになりました。」






 はにこにこと笑う。

 フォンデンブロー公国は不思議なことに、国政自体はイングランドに似ていてきちんとした議会が
あり、宣戦布告などの軍事の権利は統治者である公爵家が持つが、軍事以外の国政や予算案に
関しては議会が決定権を持っていた。

 ちなみに来春からプロイセンには大量のフォンデンブローの仕官が留学に来る予定だ。今現在、
プロイセンは陸軍としては最高といえる技術を持つ。優秀な国王や指揮系統だけでなく訓練や軍
政の面も大きいということで、それを学びに来るのだ。





「お仕事、大丈夫ですか?」





 は仕事などないから、心配になって尋ねる。





「あーたりぃ、もういいかな。」





 ギルベルトは書類が書き終わってはいないのに、ペンを放り出した。





「よろしいんですか?」

「いいんだよ。手ぇかじかむし。」





 暖炉の火は指先までは暖めてくれない。薪まかせの火は不安定で、気をつけて薪を放り込まな
ければすぐに冷たくなってしまう。不便だなとは思いながら、そっとサイドテーブルに置 かれ
ていた彼の手に自分の手を重ねた。






「なんだよ、」





 少し恥ずかしそうにギルベルトがの方を向く。






「いえ、かじかむとおっしゃるので、温めてさしあげようか、と。」

「ちっこい手だな。」






 ギルベルトは自分の手に重ねられているの手をまじまじと見つめて言う。確かに
の手は同じ女性と比べても、大きいことはない。





「ギルの、手が、大きいんですよ。」





 はそう返して、ギルベルトの手を両手で握った。彼の言うとおり、ペンを握っていた指先
は少し冷えている。ドレスの袖の中に手を引っ込めて温めていたのようにはいかないよう
だ。

 結婚式が終わって、冬がこれば、二人の生活は冬眠のようだった。冬が来て軍隊の動きが緩
慢になれば、王宮も喧騒から離れて少しさみしくなった。ギルベルトもそうだ。常ならばギルベル
トはどうやってこういう冬を越していたのだろう。不思議になるほど、何もない。ふたりでたわ いの
ない話をして、食事をし、眠る。緩慢ながら、そこには幸せがあった。

 暖炉の火がやわらかく揺れて、部屋を暖めていく。は温もりから来る眠たさに目を細め
た。





「もっとよって来いよ。」





 ギルベルトがそう言っての腰を引き寄せた。は肩をギルベルトに預けるようにし
てもたれかかる。こんなにのんびりしていてもよいのかと思うほど、冬の暮らしは穏やかだった。





「そういや、公爵から俺にも手紙、来てたぜ。」

「あら、そうなんですか、おじいさま、心配性ですね。」





 は小さな笑みを浮かべてギルベルトを見上げると、彼はとても優しい目をしていた。顔
が近づいてきて、軽くあわせるだけのキスをされる。はすぐに目を閉じて応じた。やわら
かい感触に、心が温かくなる。

 そのままギルベルトはぺろりとの唇をなめて、少し開いたユリアの唇に舌を滑り込ませ
る。けれど、いつものような性急さはかけらもない。お互いに体温を分け合うような、ひどく穏 や
かな口付けだ。

 は少し驚いて唇が離れたと同時に目を開いてギルベルトを見上げると、彼は困ったよう
に笑って、すっとの首筋を手でそっとなぞった。そのまま鎖骨を通って手がドレスの下に
滑り込む。室内用の薄いドレスを着ていたので脱がせやすい。はあわててギルベルトの
肩 を押したが、そのときには首筋には唇があって、そちらで熱い息を吐かれ、体を震わせた。






「優しくするから、いいか?」






 ギルベルトが耳元で囁いて、ゆっくりと、ギルベルトの手が肌を触れてくる。壊れ物でも扱う
ように慎重に唇がおりてくる。






「そんなことをおっしゃって、いつも、やめてって言ってもやめてくださらないじゃないです
か。」





 は頬を膨らませて反論した。

 どうせこういうことしかやることがないから、ギルベルトは楽しそうに触れてくるけれど、体
が軋むほどに頻繁なのでちょっと辛い。彼は平気なのだろうかと見上げてみるが、相変わら
ず楽 しそうだ。





「やめてって言っても後でほしいって言うから、そう言うときのやめては気にしないことにして
るんだ。」






 の反論を鼻で笑って、まっ赤に頬を染めるにギルベルトはキスをした。
どう言って拒絶したらよいのか分からず、ギルベルトの肩に顔を埋める。

 少し固いけど温かな彼の体温は酷く落ち着く。ふわふわとした気分に眼を細めれば、ギルベ
ルトも少し体を離して笑った。やはり、まだ夢を見ているようだ。でも夢でも構わないから、もう
少し溺れていたい。

 ギルベルトがの腰を引き寄せて、躯を添わせてくる。





「優しく、してくださいね。」





 せめてとはお願いすれば、ギルベルトは緋色の瞳を丸くする。





「けせせ、」





 人と変わった笑いが漏れて、唇の端がつり上がる。

 彼らしい生き生きとした笑みを見上げて、は体の力を抜いて、夢に溺れることにした。















 
あなたの手を手繰り寄せる(優しい世界は窒息します)