とギルベルトが新年の謁見に足を運んだのは3月も過ぎた頃だった。





「すいません。フォンデンブローで季節に遅れた大雪が降りまして、対応に追われていたんで
す。」






 申し訳ありませんとは相変わらずに律儀に頭を下げる。隣に座っているギルベルトの方
はソファー症候群も脱帽と言うほど腰をソファーの前に出してふんぞり返っていた。



 フリードリヒは小さく息を吐いて、まったく似ていない夫婦を見据えた。

 結婚からもう2年以上がたち、14歳だったも今年には17になる。暗かった彼女だがここ
数年で随分改善され、控えめながら勉強家で、フォンデンブロー公国の後継者として正式に名を
上げたからにはとよく学び、民の話を聞きにフォンデンブローに戻っている。意見交換を頻繁に
行うのは意思疎通を図る上では重要だろう。

 また、フォンデンブローは豊かな農作物を生み出すためにそれの輸出を行っている。対してプ
ロイセン王国はあまり豊かではないから、フォンデンブローの農作物を輸入することになってい
た。またフォンデンブローは銀や金山などもある。両国間の優遇措置で税金を下げたため、今や
かなりの量のフォンデンブロー産の物品がプロイセンで取引されることになっていた。


 そう言った勉強に余念のない彼女はあっという間に賢くなって政策や通商に通じるようになっ
ていた。またギルド側にもかなり頼りにされている。

 今回もフォンデンブローで大雪が降って家畜などの被害が出たそうだが、すぐにその地域に税
金を投入したらしい。対応が早いとプロイセンでも評判になっていた。






「良いよ。報告は聞いている。珍しいことだね。」

「はい。あまりの重みに家に穴があいたところもあったそうですが、幸いまだ麦の種をまく前だ
ったらしくて助かりました。」






 は安堵の息を吐く。ギルベルトは隣で退屈そうに欠伸をして見せた。頭の上のひよこが
ぴぃと鳴いている。

 フォンデンブロー公国から馬を駆ってきたというのだから疲れたのは分かる。分かるが、どう
してこうもだらしがないのか。フリードリヒが育てたわけではないし、むしろ逆に近いのだが、一
向に進歩のないギルベルトにフリードリヒは頭を抱えたくなった。






「あ、体調、また優れないのですか?」





 が眉間に皺を寄せているフリードリヒを心配そうに見やる。






「大丈夫だ。こいつは結婚して2年もたったのにまったく変わらないようだな。」

「あ、はぁ、まぁ…あまり?」







 はなんと答えて良いのか分からないようだったが、一応頷いて見せた。






「人間そうそう簡単に変わるかよ。」

「…おまえ。」






 人間じゃないだろうが。

 フリードリヒはそう言いたくなったが、相変わらず国だと言うことをに話していないと
いうギルベルトのために続きは心中にしまってやることにした。







「ギル、おまえも何か役に立ってきたんだろうな。」

「へ?」

「へ?じゃないだろう。」







 奥方が働いているのにぐーたらをしている旦那がどこにいるのだろう。呆れて言うと、ギルベ
ルトは肘置きに肘をついた。







「だって俺、戦争ないと役に立たねぇもん。」

「常でも警備などは出来るだろう。」

「あ、屋敷に入ったこそ泥を捕まえた。」






 フォンデンブロー公爵が住む場所はヴァッヘン宮殿だったはずだ。何故屋敷なのか分からずフ
リードリヒが首を傾げると、が付け足した。






「あれはこそ泥のレベルじゃないですよ。大雪の降った村の村長さんのおうちで強盗が…入りま
して。」






 が村長に直接被害の現状を尋ねていると時に、銃と剣を構えた強盗が三人入ってきた
のだ。普通ならば凍り付いただろうが、ギルベルトはまったく怯まなかった。というか、軍人が剣
と銃に怯んだらそれこそ問題だ。


 まさか噂のプロイセン軍の将軍がいるなどと、考えもしなかっただろう。


 銃を持った強盗をしばき上げて、近くにいた衛兵を呼び出すまでに数分だった。彼らは隣にあ
るアプブラウゼン侯爵領から来た元農民で、農地がなくて困っていたらしい。戦争がなくなれば
傭兵の仕事はなくなってしまう。可哀想に彼らはかなり飢えていたらしい。取り調べの際にパン
を上げたら、涙をこぼして喜んでいた。


 最近パンなど食べたことがなかったらしい。


 豊かなフォンデンブローでは結構農奴でもパンが食べられるが、他の国では本当に飢えるというの
は想像を絶すると聞いているから、彼らもかなり苦しんでいたのだろう。





「それは災難だったね。」





 フリードリヒはおやと言った顔でギルベルトとを交互に見る。





「はい。でも、ギルベルトがいてくれたので助かりました。」






 は素直に安堵の表情を浮かべる。






「だろ?俺様はすげぇ!」






 けせせとギルベルトは腕を組んでふんぞり返る。






「…嬢、こいつはいつもこんななのか?疲れないか?」

「はい?大丈夫ですけど…」






 フリードリヒの疑問にはけろっとした顔で答えて、にこにこと笑った。

 相変わらずのおしどり夫婦っぷりは変わっていないらしい。







、リボンいがんでんぞ。」

「え、ほんとですか。恥ずかしい・・」

「こっち向けよ。なおしてやっから。」 






 ギルベルトはの亜麻色の髪に手を伸ばして緑色のリボンを結び直す。彼が数年前に選ん
でから、緑色の幅の広めのリボンは彼女のお気に入りで、紫色の目の色と相まってギルベルトが
“菫みたい”と笑うから、ドレスも合わせて鮮やかな紫や緑のものが多い。彼はそのことに気付
いているだろうか。

 そのせいか、暗い色のドレスを着ることが多い上に俯く癖のあったは、明るい色のドレス
のおかげで少し人に明るい印象を与えるようになっていた。俯くなとギルベルトが言うから、顔
も上げるようになっている。

 たった数年、されど数年。はちゃんと成長した。






「おまえの髪、まとまり悪いよな。」






 ギルベルトはリボンを結んでから、の髪を撫でていう。が顔色を変えた。

 暗い色の上に細くてまとまりの悪い髪はのコンプレックスでもあるのだ。女性なら誰で
も金髪に憧れるのが普通というものだ。

 もう少し言葉の選び方を覚えろとフリードリヒは思ったが、ギルベルトは楽しそうに笑ってい
る。






「でも細くてふかふかだよな!」






 笑顔でそう言うから、も怒るに怒れず、仕方ないなとでも言うような笑みを見せた。






「フォンデンブローではゆっくり出来なかったのではないか?」






 結局の故郷のフォンデンブローに戻ったのに大雪が降ったりでばたばたしたため、彼女
とギルベルトは冬の間ゆっくり出来なかっただろう。せっかく軍隊が動けなくなる冬を狙ってフォ
ンデンブローに帰ったというのに、とんだ災難だ。

 それにもうそろそろ子供のことを考えても良い頃合いだ。ギルベルトはの年齢を気にして
あまり早い時期の出産を望んではいなかった。だがもう17歳になるのだから、子供も考えた方
が良い時期だ。

 フォンデンブロー公国の継承権を主張しているのはと、公国の隣に領地を持つ
父・アプブラウゼン侯爵だ。は母の不義の子でアプブラウゼン侯爵と実質的な血のつなが
りはない上、フォンデンブロー公爵に血筋が近いのはだが、アプブラウゼン侯爵が亡くな
れば、アプブラウゼン侯爵の子供が継承を主張出来る。アプブラウゼン侯爵をオーストリアが、
をフォンデンブロー公爵とプロイセン王国が押している限り、が死ねば、プロイセン
側は大きく退かなければならない。だからこそ、子供が望まれているのだ。





「確かにばたばたはしたけど、結構一緒に出かけたよな。」






 ギルベルトが答えて、に笑いかける。






「そうですね。村も結局ギルが一緒に行ってくれたんですよ。おかげで警備が少なくてすみまし
たし、わたしも馬に1人で乗らなくてすみました。」






 は両手を揃えて頷く。

 彼女が馬に乗るのが苦手だという話は、フリードリヒもギルベルトから聞いて知っていた。そ
ちらの方はあまり上達していないようだ。






「フォンデンブローで馬がはねただけで落ちそうになったんだぜ、」

「ちょっ、そう言う事は黙っていてくださいっ、」






 ギルベルトが言うから、は恥ずかしそうに反論する。






「あげく軍事訓練の大砲の音に驚いて泣きやがんの。」

「や、やめてくださいっ!」






 何やら親への告げ口のようだなと思いながら、フリードリヒはのんびりギルベルトの話を聞い
ていた。








 
無垢色