ベルリンにあるバイルシュミットの屋敷が一番落ち着くというのが、正直なの感想だっ
た。

 フォンデンブロー公国の政府が置いてあり、公爵が住んでいるヴァッヘンにあるヴァッヘン宮
殿はフランスのロココ主義を学びすぎていてちょっと派手であまり好きではない。公爵の若い頃
の趣味らしいが、はベルリンぐらいの装飾が心地良いと思っている。



 だから、ベルリンにある屋敷が一番好きだった。

 カウチの肘掛けに凭れていると、隣から重たい式服を脱いだギルベルトが戻ってきた。シャツ
とズボンというラフな恰好の彼は、結構だらしなさそうに見えて几帳面で、きちんと式服を執事
に預けてきたことだろう。

 毎日日記を記すなんて、正直日頃の粗暴な彼では想像もしなかった。






「何笑ってんだよ。」






 勝手に口元に笑みが浮かんでいたらしい。ギルベルトが不満そうにの額をとんと叩く。
その拍子にはカウチに横向けに倒れた。その上にギルベルトが馬乗りになる。






「え、へ?」

「覚悟できてんだろな。」

「…え、無理です!出来てません!」







 は慌ててギルベルトをどかそうとするが、なかなかどいてくれず、彼は不敵に
上で笑った。






「顔まっ赤、トマトみてぇ」






 そう言って頬にキスをしてくる。

 相変わらずギルベルトは余裕があるのに、は全くこういったことに関しては余裕を持つ
ことが出来ない。カウチの端、の頭の隣につかれている手をどいて欲しくて押してみると
あっさりと横に滑った。





「おまっ!馬鹿!!」





 ギルベルトが焦った声がして、の上にギルベルトが降ってきた。二つの手で体重を支え
ていたのに、片方をとってしまったので、バランスをとれなくなったらしい。ギルベルトは
の体にのしかかる形になった。結構重くて、相手の温もりにびっくりして、はもそりと動い
たが、ギルベルトはそのままの体勢での方でため息をついた。






「これは誘ってると判断するぞ、」

「え、なんでですか!?」

「胸、当たるんだよ。」






 ギルベルトが呆れたように言うから、は顔を赤くした。

 この2年間で、見事と言うほどの物ではないが、それなりに胸だって成長した。背もギルベル
トのようにとは言わないが、同じように成長して160pを少し過ぎた。背の成長は止まったがま
だ胸の成長は止まっていない。それを揶揄してよく自分が揉んでやっているからだとギルベルト
ははしたないことを言っている。






「ふ、不可抗力ですっ!」






 は慌ててギルベルトの下から這いだそうとする。






「関係ねぇな、最近忙しくてご無沙汰だっただろ。」






 ギルベルトは遠慮もなくぐっとの腰を引き寄せ、肘掛けにの足を上げて、自分の
膝を足の間にいれる。






「や、やめてっ、カウチ、汚れちゃうっ!」

「ならベッドなら良いのか?」






 がばたばたと暴れれば、ギルベルトが意地悪く尋ねる。

 は怯んで頭の中で一生懸命考える。確かに此処でしてしまえばカウチは汚れるし体が痛
くなるだろう。ベッドならばまだ体が少し痛くなるだけですむ。この状況ではギルベルトから逃げ出
すのは至難の業だろう。

 この2年間でが学んだのは、ある意味で諦めの良さだった。






「…わかりました、」






 は渋々頷いた。





「よし、」





 ギルベルトが本当に嬉しそうに笑って言うから、は複雑な気分になる。その笑顔を見て
しまうと、やっぱり良いかななんて思ってしまう自分は相当頭がおかしい。

 彼が軽々とを抱き上げ、隣の部屋に入る。隣は元々が自分の部屋として与えられ
た寝室だ。当初とギルベルトは寝室が別だったが、結婚後ギルベルトは自分の寝室を書斎
にした。書きためた日記の保管部屋が欲しかったらしく、これ幸いとばかりだった。

 ゆっくりとベッドにおろされて、押し倒される。もう見慣れてしまった天井は酷く落ち着く。


 下から彼の顔をのぞき込むと、目があった。

 少し短めの銀色の髪、鋭く細められる緋色の瞳はいつもみずみずしくて生き生きしている。綺
麗な鼻筋と、少し細い眉。本当に整った顔立ちをしていると思う。そっと頬に手を伸ばして撫で
ると頬が結構柔らかかった。






「ぷにぷに、」






 ぽつりとムードもなく呟いてしまう。

 最近冬場で運動もなかなか雪に囲まれて出来ないし、乗馬ぐらいしかしていない。彼は重いも
のを持ち上げたりはしていたけれど、でも運動量は間違いなく他の季節から減っているだろう。
フォンデンブローはプロイセンより食事は豊かだ。彼はよく食べていた。






「…少し、太りました?」






 素直に思っていることを口にすると、ひくりと頬が引きつったのが分かった。







「おまえ、立場わかってっか?」

「いや、だって、ですね、」






 は首を振って一応妥当な推測の元に生まれた結論だと説明する。だが、あまり理解は得
られなかったようだ。





「あ、でもそうするとわたしも、太くなったんですかね…」





 ふと不安になって自分のお腹を撫でてみる。言われて見たらちょっと柔らかいかも知れない。







「別に変わんねぇだろ。たかが数ヶ月だぜ?」

「数ヶ月でも太る時は太りますよ。わたし、二ヶ月で背が五p伸びたんですからね。」

「それ、身長だろ?」

「じょ、女性には大切なことなんです。」







 ウェストやらバストやらは非常に重要なのだ。

 ましてやふっくらとしていてバストが大きいのが好まれるこのご時世、は少しすらりと
しすぎていて、正直あまり美人じゃない。だからウェストくらい細くしておきたいのだ。そう言
う女心を、彼は全く理解しない。






「ふーん。よくわからねぇけど女は大変なんだな。」






 ギルベルトは興味なさそうにそう言って、のドレスの紐をといていく。

 あちこちに触れてくる指が服ごしでもくすぐったくて、むずがりながらはギルベルトを見
上げる。やっぱり彼は一般的に見てハンサムなのだろう。お世辞にも美人とも可愛いとも言え
ないにとって、やっぱり彼は出来すぎた旦那のような気がする。政略結婚の相手がこん
なにハンサムで少し意地悪いが優しくて夢のようだとたまに今でも思うほどだ。

 でもやっぱり素肌をまさぐられるのは慣れない。






「うぅ、ん、」







 大きな手が腰をするりと撫でていく。ギルベルトにとってはあまり意図した動きではないだろ
うが、どうしても敏感に反応してしまう。






「そんな眉間に皺寄せてると子供がまねするらしいぜ。」






 体を硬直させるに笑って、ギルベルトが眉間の皺をひとさし指でぐりぐりとする。







「そうなんですか?」







 はそう尋ね返しながら、言われて見れば確かにの母もいつも俯いて泣いていたか
も知れない。子供がまねをするという話は本当かも知れないと思いなおして、はっと気付く。







「あの、もしかし、て、あの、子供の、こと?」






 不安になって、ギルベルトを見上げる。

 子供を作った方が良いという話は、フォンデンブロー公爵にもされていた。には跡取りが
いない。それは自動的にの基盤を不安定にする。だから早く子供を作るべきだと言われ
た。

 嫁いだ頃はまだ一四歳だからと思っていたし、ギルベルトも焦らなくて良いと言うから気にし
ないようにしてきたが、もう今年で一七歳になるのだ。周りからも期待されているし、考えなけ
ればならない。







「…別に俺は、子供が欲しいからこういうことしてるんじゃねぇよ。」







 ギルベルトはぽつりと言って、唐突に身を起こした。そのままを引っ張り起こして、座
らせる。








「焦るなよ。妊娠って結構危ないんだぜ。」







 困ったように、あやすように彼は言う。

 確かにこの時代、妊娠は非常に危険を伴う。産褥熱で死んだなんて話はしょっちゅうある。若
ければ若いほど危険は増すし、は今身長もそうだったが成長しているところだ。死ぬ可能
性だってある。





「でも、…」

「周りは気にすんな。」






 ギルベルトがを抱き寄せて、背中を撫でる。いつもの彼。けれど、には、緋色の
瞳が酷く怯えているように見えた。








 
心臓を突き刺す棘