とうとうフォンデンブロー公爵フランツが亡くなったとギルベルトが聞いたのは、ベルリンの自
邸でだった。はフォンデンブローの首都であるヴァッヘンへ急遽帰り、ついただろうなと
思った頃に、フォンデンブロー公国の銀山を隣のアプブラウゼン侯爵領が占拠したという連絡
を受けた。





「…斥候の話では、オーストリア側が兵を貸したらしい。銀山を押えた兵士の数は総勢4万。」

「4万!?」






 フリードリヒの冷静な言葉にギルベルトは声を上げて立ち上がり、椅子を蹴りそうになった。

 正直4万をアプブラウゼン侯爵領なんて小さな領地から出すことは不可能だ。フォンデンブロ
ー公国ですらかき集めて3万くらいのものだろう。先の戦争で兵力を失っているから、もっと少
ないかも知れない。





「フォンデンブロー側は銀山を奪い返すかどうかで手間取っているらしい。」






 地の利があるとはいえ、4万の兵力を相手にするとなればそれなりの準備がいる。どこか一点
に兵力を集めれば砦などが手薄になり他国に攻められる可能性もあるから、オーストリアとも国
境を接する公国にとっては苦渋の選択だろう。

 取り返すためにオーストリアに攻められる危険を伴うか、それとも銀山を奪い返すのを諦める
か。





のことだから、戦争、しないよなぁ。」






 ギルベルトはがりがりと頭を掻く。その拍子に帽子がずり落ちた。





「だろうな。」





 フリードリヒも素直に彼の意見に頷く。

 争い事を好まないの性格は分かりきったものだ。そして血が繋がらないとはいえアプブ
ラウゼン侯爵は戸籍上はの父親であり、よほどのことがない限り彼女は銀山を譲ってしま
うだろう。難しい状況であればあるほど、戦争を避けるかも知れない。




 しかし銀山を得たアプブラウゼン侯爵が、どうするかというのが問題だ。


 アプブラウゼン侯爵は元々プロイセン王国の臣民であったが、裏切ってギルベルトの暗殺を企
て、失敗するとオーストリア側に逃げた。






、おどおどだろうな。」






 一緒にフォンデンブロー公国に行けば良かった。

 ギルベルトはそう悔やみながらも、ため息をついた。

 多分彼女は泣いているだろう。正直上に立ったことのない少女だ。いつも俯いてばかりで人か
らの目ばかり気にしていた彼女に、突然おまえが最高権力者だから命令をしろと言っても、難し
いのだ。

 ギルドの話し合いなどでも、はよく人の話を聞くが、決定を委ねられるのが苦手で、困
った顔をしたギルドの長老が物事をはっきり決める気質のギルベルトに泣きつくなんてことは、
よくあった。


 フォンデンブロー公国では多くの事柄は議会の決定によるが、宣戦布告など軍隊に関すること
は公爵の権限に委ねられている。だからこそは後継者となるに当たり軍隊の刷新を命じる
ことが出来たわけだが、いざ戦争かと言う時期になれば、正直には荷の重い議題だろう。






「で、だ。私たちがどうするかという話だ。」







 フリードリヒは腕を組んで椅子にもたれかかる。

 フォンデンブロー公国側からの救援の要請はない。ただ、プロイセン王国側としては、アプブ
ラウゼン侯爵領は邪魔な存在と成りつつあった。






「将軍達は、皆、アプブラウゼン侯爵領を奪うべきだって、言ってるけどな。いい加減邪魔なん
だよ。あの侯爵領。」





 ギルベルトは日頃は見せない獰猛な笑みを浮かべる。

 プロイセン側には暗殺計画が明るみに出た2年前から、アプブラウゼン侯爵領を没収するため
に兵を進めるべきだという意見は長らく存在した。

 フォンデンブロー公国がギルベルトとの結婚で親プロイセン王国側に傾いてからはアプ
ブラウゼン侯爵領の脅威も減ったためその意見も影を潜めていたが、今回が公国を継ぎ、
アプブラウゼン侯爵領が公国の銀山に手を出したことで、公国との関係を重視するためにもアプ
ブラウゼン侯爵領を没収すべきだという意見が再燃した。

 結婚から2年間で農作物やら何やらが非常に豊かである公国との通商は大幅に増え、プロイセ
ン王国側としても商人達の意見を無視できないのだ。

 これは公国のためと言うだけでなく、利益確保の目的もある。






嬢に連絡して、これ以上銀山の占領が長引くようなら、こちらも協力して兵を出すと言
え。」






 フリードリヒはギルベルトに書状を渡す。それは軍隊の動員の署名だった。

 ギルベルトはちらりと自分の仕える国王を見てから、はやる心を押える。戦争と聞けば僅かに
心躍るのはやはり、昔から変わっていない。名を上げるチャンスであり、その名声は自分そのも
のであるからこそ、ギルベルトもこだわる。





「公国との通商を今、妨げられては困る。公国の銀を必要としているのはこちらだって一緒だ。
必要とあればアプブラウゼン侯爵領を占領して、銀山は公国に返す。」






 フリードリヒにとって率いるフォンデンブロー公国は百%戦争になってもプロイセン王国
に侵入することはないだろうが、アプブラウゼン侯爵領はその可能性が十分にある。しかし元
々はプロイセン王国の領地だった場所だ。国境が不安定である今、取り返してしまわなければ
ならない。公国の銀山占領は、ある意味でアプブラウゼンを占領してしまいたいプロイセン王国
側にとっては良い口実だった。






「あと、しばらくおまえはフォンデンブローへ行け。」

「やっぱり?」






 ギルベルトは息を吐いたが、予想済みの言葉だった。





「単独で奪い返すにしても、多分嬢では軍隊を指揮できないだろう。どうせなら指揮して
やると良い。長引くなら、連絡をよこせ。派兵準備をする。」





 フリードリヒは冷静に腕を組んで言う。

 彼女はここ数年で本当によく勉強したし、賢くなったとは思うが、それはあくまで政策や経済の
ことだけであって、行軍の技術や戦略に通じているわけではない。軍隊刷新のための政策は述
べられても、実際の行軍となれば彼女はまったくのど素人だ。

 軍隊は良い武器を持っていても、使い方がきちんとしていなければ意味がない。人数だけいて
も仕方が無いのだ。





「ま、俺は実戦の方が得意だしな。」






 けせせとギルベルトは楽しそうに笑う。

 と正反対で、ギルベルトはあくまで実戦派だ。常に戦い、勝利し、敗北し、そう言った
経験が彼に力を与える。



 巧みな外交政策、軍事政策と、実戦経験が裏打ちする戦略。

 この二つがないと戦争の勝利をおさめることが出来ない。には後者が大きくかける。






「将校も何人か連れていって構わん。テンペルホーフが最近使えるようになってきたと将軍の1
人が言っていた。」






 フリードリヒは笑いを堪えながら言う。

 テンペルホーフは今10代後半くらいの去年の春に昇進した中尉で、2年前のとギルベル
トの結婚式の折にギルベルトをおちょくって後から殴られた将校だった。貴族であるユンカーの
子供で、将来の昇進も期待されている。

 フリードリヒの目から見ても機転の利く性格で、頭の回転も速い。だが少し口が過ぎるのが玉
に瑕だった。とはいえ、上下関係におおらかなギルベルトは気にしていない。思いっきり殴りつ
けてはいるけれど。





「テンペルホーフか…連れてくか。」






 ギルベルトは腰に手を当てて、肩をすくめた。

 テンペルホーフは冬にギルベルトがフォンデンブローに行った時も随行していた。どうせなら
ば勝手を知る人間の方が便利だろう。有事であればなおさらだ。





「まぁ、有事だし、嬢とはほどほどにな。」






 僅かでも離れていることを寂しがっている彼を知るフリードリヒはギルベルトをちゃかす。





「そんな、フォンデンブローでは結構慎んでたぞ。」





 ギルベルトはむっとしたような顔で返す。





「そうか?嬢はなかなか朝起きてこなかったと聞いているが?」

「それ、どっからの情報だよ。」

「私は国王だからな。情報源はいろいろある。」

「…テンペルホーフか…」

「さぁ?」






 フリードリヒは知らないというふうに手をひらひらさせるが、おそらくそうだろう。

 テンペルホーフ中尉のことだ。ギルベルトがと一緒に居たいからと書類を押しつけたこ
とを根に持ってか、ひとまず国王に書類をもって行った時にフリードリヒに話したのだろう。フリ
ードリヒ自身も、ギルベルトとの話を嬉々として聞いたに違いない。





「あぁ、テンペルホーフの前では気をつけるさ。」






 おちょくるネタにされてはかなわない。

 ギルベルトはため息をついて、心に誓った。






 
盗んだ睦言