アプブラウゼン侯爵に占領された銀山で反乱が起きたと言う報告を受けたのは、占領から2週
間後のことだった。
ヴァッヘン宮殿の執務室で報告を受けたは、一瞬意味が分からなかった。
「ギルド側からの情報では、鉱夫にたくさんの影響が出たそうだ。」
「影響、って、」
オブラートに包まれた長老・ハウゼンの言葉。その意味は受け取った書類に記されていた。
あの銀山にはたくさんの鉱夫がいて、フォンデンブロー公国からのお給金で暮らしていたはず
だ。そこをの父であるアプブラウゼン侯爵は占領した。給金は、公国から出ていた。支配
者が変われば、あり方も変わる。けれど鉱夫達は給金を国からもらわなければ生きていけない。
そう言う銀山が、あそこのあり方だった。
「…給金は払われなかったそうです。」
支配者は搾取するばかりだったと長老は言う。もちろん彼とて、直接見たわけではない。
しかし情報は入ってくるものだ。色々な場所から。
書類には死者と、反乱に荷担したものの処刑とが記されていた。それでも反乱は続いており、
100人を優に超す死者の数に、は驚愕する。自分の迂闊が招いた結果は、あまりに重い。
アプブラウゼン侯爵の占領に、銀山にいる鉱夫は必死で抵抗しているのだ。なのに銀山の主で
ある公国は何もしていない。何の手も打てていない。
どうすれば良いのかと、問うことは許されない。統治者であるが決断を下さなくてはな
らないのだ。は血が出るほど唇をかみしめた。
軍隊を動員して取り返すのと銀山を諦めるのと、どちらが死者が多いのだろう。人の命や苦し
みを量で天秤にかけているようで吐き気がしたが、それでも決断を下さなければならないのが
統治者だ。
反乱が完全に鎮圧されてしまう前に、は考えなくてはならない。決断しなくてはならな
い。
「…開戦すべきです。」
シュベーアト将軍が神妙な面持ちでに意見する。
「しかし、本当に勝てるか分からない状況では…」
別のギルド側の長老であるウーバが慎重な姿勢を見せる。
は机の上にある紙切れをぼんやりと瞳に映した。
それは宣戦布告のための書類だった。署名すれば開戦が決定する。紙切れ一枚にただの17歳
の小娘であるが署名するだけで、何万人の兵士が動き、死人が出る。
しかし、このままじっとしていても、おそらく反乱やらで死者は出るだろう。銀山にいる人々
は、
公国の民だ。公国の民が苦しんでいるのに、銀山を放棄することは彼らを見捨てることにな
る。
「議会は?」
シュベーアト将軍は議会の議長でもある。が尋ねるとシュベーアト将軍は眉間に皺を寄
せた。
「何とも言えませんな。反対と賛成と半々といったところです。」
議決をとっても、おそらくきわどい数字となるだろう。
オーストリア継承戦争の折の悲劇から、戦争へ消極的な人間も多い。軍隊を刷新しても悪夢は
消えない。兵力はあの時よりもかなり増強されたが、それでも敗北を恐れるのが人の審理だ。ま
してや大国であるオーストリアの影がちらつく中で、公国が生き残るためにどうすれば良いかとい
うのは、大きな問題だった。
なんと言ってもオーストリア継承戦争ではオーストリア側についたがために侵攻されかけたの
だから。
「そう、ですか」
は執務机の肘をついたまま手を組む。
議会の議決を採用しようと思ったが、どちらにしても皆が迷っていると言うことなのだろう。
金銭が豊かであるため傭兵などを集めることは容易いが、は行軍にまで責任を持つことは
出来ない。は女なのだ。が男であればかつてのカール公子のように先頭に立って兵
を鼓舞することも出来るが、それは不可能だ。
だから実際に軍隊を指揮する将軍達もいる議会の承認を求めようとしていたのだが、それすら
もかなわない状況のようだ。
早く手を打たなければならない。なのに、皆の賛成を得られる手がない。
の心が決まれば議会で演説の一つも出来るが、ですらどうすれば良いのか決めか
ねているのだ。
終いには目の前で頼りのシュベーアト将軍とウーバがもめだした。はがなる大人二人の
間で俯くしかない。
と、その時、控えめなノックの音が聞こえた。
「様、」
侍女とおぼしき柔らかな声音に、話が途切れ、喧嘩も途切れる。
「はい?どうかしましたか?」
は穏やかに答えたが、入室を認める前に扉が開いた。勝手に開かれた扉に、眼をぱちく
りさせる。
「よぉ、元気か?」
そこにいた人物には驚愕する。
「ぎ、ギルベルト…?」
先の公爵が死んでから3週間。ベルリンからフォンデンブローに帰ってきてから会っていなかった
夫の姿には現実について行けない。
「ど、どうして、」
彼はの伴侶ではあるが、あくまでプロイセン王国の軍人だ。彼は別の所領を持ち、別の
地位を持つ。称号は多くの場合、母国の宮廷でのみ役に立つもので、フォンデンブローでは彼は
何の権限も持たない。ましてやプロイセン王国において彼は王の側近でもあるから、普通なら今
ベルリンにいてしかるべきだ。
「決まってんじゃん。銀山、奪い返すんじゃねーの?」
軍服を着たギルベルトは、腕を組んで首を傾げる。
「え、いや、あの…それが…」
決断できていないんです。誰も、と言いそうになったが、はぐっと堪える。すでに彼の
顔を見ただけで泣きそうだった。どうすれば良いのか分からないと泣いてしまいたい心を叱咤
しながら、前を向く。
「銀山で反乱起きてるんだろ?」
ギルベルトは困ったような顔をして自分の肩を叩く。
「え、あ、はい。でも、死者がたくさん…」
はアプブラウゼンに抵抗する鉱夫達を思い、先ほどの書類に書いてあった死者数を思い
だして、涙が溢れそうになった。
「反乱だったら取り返すのも楽だろ。」
ギルベルトは軽く言ってから、ぽんとの頭に手を置いて、いつも通りの頭を撫で
る。
そしてから目をそらし、シュベーアト将軍とギルドの長老の一人であるハウゼンの方を
見た。二人とはギルベルトも何度か顔を合わせている。鋭い瞳を向けられた二人は、すぐに頭
を下げた。
「シュベーアト将軍は銀山の詳細な地図と、アプブラウゼン侯爵側の軍隊の規模や配置などの詳
細なデータを、ハウゼンは反乱の首謀者側と連絡を取ってくれ。」
ギルベルトの命令に、二人は頭を下げて応じる。
「軍隊の動員は議会権限か?」
「いえ、様です。」
ギルベルトの確認に、シュベーアト将軍が答えてに目を向ける。
フォンデンブロー公国において、軍事に関する事柄は全て公爵に委ねられる。今はが公
爵だ。の決定が軍隊を動員するための全てになる。
決断を委ねられたはふるりと首を振る。
「良いか、。」
ギルベルトが戸惑うの手を握る。大きな手は、銃も剣も持ってきた手だ。固くて、ごつ
ごつしている。
「反乱が鎮圧されれば、それだけ取り戻すのが難しくなる。」
反乱にあわせて、軍事介入するのだ。民衆の反抗は大きな力になる。銀山の鉱夫達は自分達
を統べるのはアプブラウゼン侯爵ではなく、フォンデンブロー公国でなくてはならないと、言って
いるのだ。アプブラウゼンを追い出すために快くフォンデンブロー公国の軍隊に手を貸すだろう。
地元民の協力は大きい。それを利用すれば少ない兵力でも銀山を簡単に取り返せるだろう。逆
に反乱が鎮圧されれば、難しくなる。
「今なら、まだ取り返せる。」
ギルベルトはの手を握ってはっきりと言う。
はシュベーアト将軍の方を確認して、もう一度ギルベルトの方を見る。
「間に合う…?」
喉が渇く。やっと出た自分の声は、驚くほど震えていた。
「あぁ、まだ、間に合う。」
ギルベルトは不敵に笑って、の手を離す。
やるべき事は、もうわかっていた。
は机の上に置いてあった紙切れを目の中に入れて、近くにあった羽ペンを手に取った。
戦争ごっこ