臨時召集した戦時軍隊編成のための委員会は、ギルベルトとシュベーアト将軍を中心に議案を作
成、戦時予算から補給線、配備人数等まであっという間に決まった。はそれに判子を押した
だけだ。

 やはり付け焼き刃で戦時経験のないは完全に役立たずだ。こんな事ならばオーストリア継
承戦争の時もちゃんとカール公子について学んでおけば良かったと後悔すらする。

 それぐらい戦時の動員方法や砦の守り方、配備の仕方、そう言ったことに対してはあまりに
無知だった。





「こりゃ軍隊で脅すだけで銀山は取り返せるな。」






 ギルベルトは目の上に手をかざして並ぶ兵士達を眺め、にやりと笑った。

 並ぶ数千という兵士と銃火器、騎馬隊。軍事的な政策を推し進めていたですらも初めて見る
揃えた軍隊の姿は圧巻だった。

 火器に関してはもともとフォンデンブロー公国は鉄もとれるので、最新の技術者をイギリスやらフ
ランスやらプロイセンやらから招聘してギルドと相談して作らせたから、ヘタをすればプロイセン王
国より最新式だ。

 騎馬隊はプロイセンが有名であるためプロイセン側に教わりながら揃えたため、数も多ければ
しっかりしている。

 ただ軍備は万全に整えることが出来ても、は軍隊を率いることが出来ない。





「ひっ、」






 人の群れにいななくギルベルトの馬が隣にいて、は肩を震わせて身を小さくする。





「おまえ、相変わらず馬が苦手だな。」







 ギルベルトが呆れたように言った。

 この数年間統治者として相応しくあるためにと頑張ってきたが、は相変わらず馬に一人で乗
るのが非常に苦手で、軍隊と共に行くとなれば大砲の音などに驚く馬を上手く操らなくてはなら ない。


 は、常でも馬を制御できない。

 ギルベルトの隣ではプロイセン王国の将校であるテンペルホーフ中尉がにやにや笑っていた。

 彼はがプロイセンで最初に仲良くなった将校でギルベルトの部下だ。茶色の髪の気さくな青
年で、ちょっとおしゃべりなところがあり、よくギルベルトに殴られていた。






「それにしても、本当にすごいですね。」






 は自分で刷新した軍隊をぼんやりと眺める。なんだか実感がわかないというのが正直な意見
だった。上から下への命令が通りやすいように、軍隊の動員速度を速くできるようにと中央集権化も
図ってきた。それが報われるのが戦争だ。

 戦争は悲しいことだ。けれど軍備を固めないと今回のようなことがおこる。

 本当に難しい問題だ。争いを望んでいるわけではない。それでもきちんと用意しなければいけ
ない。





「いやぁ、今回は非常に我らも動きやすそうだ。」






 軍隊の兵士達を一通り見て回ったシュベーアト将軍が馬から下りてくる。

 乱れた白髪を軽く押えた彼はうやうやしくに頭を下げた。






「最初は様がいったい軍事などとどうなさるおつもりかと思いましたが、プロイセン王国の将
軍閣下を夫にしただけありますな。」





 シュベーアト将軍はにこやかに笑う。

 彼はオーストリア継承戦争の折りも参加していたから、当時は敵だったプロイセン王国のことも当時
のフォンデンブロー公国の軍備も知っている。長らく将軍職を公国で勤めてきた将軍は、以上
にこの軍隊の持つ“意味”がわかるはずだ。

 はシュベーアト将軍を見上げる。

 もう50歳を過ぎた彼は公爵となったに苦言を呈することを臆さない。はこの将軍がいつも
自分に渋い顔をするのを知っていたから、苦手だった。だが笑えばこの人はあまり怖くないかも知れな
い。






「気をつけて、くださいね。」






 ギルベルトには縋るように言う。

 彼の話では大規模な戦闘にはなりそうになく、自分は後方で指揮を執るだけだとは言うが、
にとっては気が気ではない。





「大丈夫だって。」






 軽くギルベルトは笑って、いつも通りの頭を撫でる。

 けれどやはりにとってはオーストリア継承戦争の折、カール公子を亡くした痛手があり、本
当に夫であるギルベルトを失えば、今や本当に自分1人で生きていける心地がしなかった。

 君主として、止めることが出来ないのは分かっている。行かないでと言うことは出来ないけれ
ど、涙が出そうでは唇を噛んだ。






「大丈夫だって、ほら、顔上げろよ。な?」







 一応それほど目立つ場所にいるわけではないが、軍人達もいるのだ。困ったようにギルベルト
の頬に手を添える。






「だ、だって、」







 は慌てて目尻を拭った。少しだけ、涙が溜まっている。

 なんだかんだ言ってもはただの少女で、君主となるべく育てられてきたわけではない。ただ
の、本当にただの少女なのだ。

 本当ならば声を上げて泣きたい。行かないでと今度こそ縋りたい。






「おまえ、顔ぐしゃぐしゃなるぞ。」







 仕方ねぇなとギルベルトは苦笑して、ごしごしとの目尻を擦る。






「俺は簡単には死なねぇよ。」

「そ、そんなの、わからないじゃ、ないですかっ、」






 は必死で言い募る。

 だって、あんなに逞しくて元気だったカール公子ですら、あっさりと死んでしまったのだ。ギ
ルベルトだって軍隊を率いるのだから、もしかしたらということもある。変な憤りが心の中で膨
らんで、反論したが、ギルベルトは穏やかに言った。





「絶対、死なない。大丈夫だ。」







 はっきりと断言される言葉に、は首をかしぐ。けれど見上げた緋色の瞳は、嘘とは思えない
程の確信に満ちていた。






「俺は、お前を置いて死んだりしないぜ。」






 いつもの不敵な、唇の端をつり上げる笑みを見せて、ギルベルトは笑った。

 は目を丸くして、何故か根拠のない変な説得力に押されるように、一つ頷いた。






、おまえの方こそ砦から出るんじゃねぇぞ。あと暗殺とかも気をつけろよ。」

「…そんな、わたし、なんて、」







 ギルベルトの方が危ないでしょうと言おうとして、ギルベルトに首を振られた。










「あのな。おまえが死ねば、その瞬間正統なフォンデンブロー公国の後継者は、アプブラウゼン
侯爵になるんだぞ。」







 血筋というものはやっかいだ。

 血筋の正当性だけは、覆すことが出来ない。だからこそ今、が公爵として、この公国に認め
られているのだ。親プロイセン王国である今の体制は前の公爵とプロイセン王国の将軍であるギル
ベルトを夫とするが作り上げたと言っても過言ではない。

 公国とプロイセン王国との友好関係は、の生存あってのものなのだ。






「テンペルホーフ中尉、」







 ギルベルトは近くにいたテンペルホーフを呼ぶ。






を頼むぜ。」

「命に代えましても、」






 テンペルホーフはギルベルトの命令に日頃の不真面目さを押し隠して、慎重に頭を下げて応じ
る。





「て、テンペルホーフ中尉を連れて行かないのですか?」







 は慌ててギルベルトの手を掴んだ。







「行かない。俺は他の将軍達もいるからな。残っている軍人は信用できるのか、俺にはわからね
ぇからな。」






 公国の議会議長であるシュベーアト将軍を始め、多くの将軍が前戦に出るが、有事に動ける人
材もいなくては困る。残っている人間がどこまで信用できるのか、ギルベルトは公国の人間では
ないため分からない。だから自分の部下のテンペルホーフに託すのだ。

 もまだ公国の後継者となってから2年しかたっていないから、全てを把握しているわけでは
ないだろう。敵意を押し隠している人間だっていてもおかしくない。






「オーストリアが動いたり、何かありそうだったら、すぐにフリッツに連絡しろよ。派兵準備は出来
ている筈だ。」






 ギルベルトはの腕を掴んで軽く揺する。

 しっかりしろよと言われているようで、は俯きそうになったが、しっかりと彼の顔を見て頷
く。





「武運を、」







 甲冑を着けた硬い手に、そっと口付ける。気丈に振る舞おうとしても、どうしても声が震えて
しまう。





「あぁ、おまえもな。ちゃんと待っとけよ。」







 対して、ギルベルトの声は、酷く冷静で整っていた。手を握ってくれる力も強い。

 は涙が出ないように無言のままで頷いたが揺るぎなく笑う彼に、泣いてしまいそうだった。


















  あの頃以上の強さで