フォンデンブロー公国の金銀、鉄に関する輸出制限はオーストリア側に衝撃を与えた。オースト
リア側からの使者が訪れたのは、輸出制限も滞りなく行われ始め、砦の建造が始まって事態も
落ち着いた6月の中頃のことだった。

 アプブラウゼン侯爵領からの銀の保証と賠償金に関する申し出はなくオーストリア側からの
の公国継承への承認の回答もないので、もう輸出制限だけでは意味がなく手詰まりになったため、
助言をもらう意味も含めて外交交渉にプロイセン王国側のフリードリヒに正式な面会を申し 入れ、
は6月中にはベルリンに戻る気でいた。

 オーストリアからの使者は男女2人。前に結婚式の時にあったローデリヒ・エーデルシュタイン と、
エリザベータ・ヘーデルヴァーリだった。






「なんだ、おまえらかよ。」







 ギルベルトは部屋に入ると嫌そうな顔で息を吐いた。

 神聖ローマ帝国にいた頃は見慣れた顔だが、今は敵同士。そもそも相手が気に入らなかったこ
ともあってなおさらだった。








「こんにちは。」





 は久方ぶりの顔に軽く頭を下げて、椅子に座る。そしてテーブルを挟んだ位置に彼らにも席
を勧めた。ローデリヒとエリザベータも頭を下げて席に着く。

 ギルベルトはの隣の椅子に腰掛けた。




「オーストリアからの使者をわたしは歓迎します。」 





 型どおりの言葉を危なっかしく述べて、は改めて2人を見る。

 結婚式は2年前。彼らはあまり変わっていないようで、ローデリヒの目は穏やかで、逆にエリザベ
ータからは明確なギルベルトへの敵意が見えた。 

 ギルベルトを昔から知っているようなので、本当は話など聞きたいところだったが、今は彼らはオ
ーストリアからの使者としてきており、自分とは利害の逸するところがある。だからは頬を緩
めないように気をつけながら、神妙な顔つきで会談に臨んだ。

 紅茶や菓子が運ばれる。ベルリンよりもバイエルンやフランス、オーストリアに近いの住ま
うフォンデンブロー公国は様々な料理がある。菓子の中にもフランス風のものあれば、オーストリ
ア風のものもあった。珍しい南国の果物は、フランス経由でスペインからもらった。





「どうぞ、」






 相手に勧めてから、は紅茶に口をつける。

 温かい紅茶はイギリスからのもので、緊張のために乾くの喉を潤してくれた。






「…私たちの要求は一つです。」





 ローデリヒは紅茶を一口飲んでから、話し始めた。






「輸出制限を解除してください。」






 厳しい声音にはどうにか表面上は平静を装った。

 オーストリアにとって、フォンデンブロー公国が産出する金銀、そして鉄の輸出制限は酷い不
利益を被るものだった。もしもプロイセン王国側に同じことをしても、同じような厳しい声音が返
ってきただろう。

 鉄や金、銀の産出地域というのは存外少ない。また近代になって鉄などの重要性は増した。

 豊かな鉱山資源を持つ公国はだからこそ様々な点で有利に立つことが出来たし、公国を独立性
ある存在とすることが出来たのだ。






「金銀、鉄の、ですか?」

「すべてです、」





 ローデリヒはむっとした顔で言った。

 ギルベルトは黙って菓子をほおばっている。は緊張感のない彼の様子に自分の緊張感を溶か
しながら、静かに答えた。






「わたしの名で、取引を保証することは出来ないと、ギルド側に申し上げただけです。」 






 のんびりと返せば、ローデリヒの眉間に皺が寄ったのがわかった。

 金銀、鉄に関しては輸出制限をかけた。そちらは政府の政策として明確に行ったものだ。

 しかしそれ以外の物品の輸出も減っている。原因はギルド側に神聖ローマ帝国、しいてはオーストリア
の公国継承を承認しない限り、は自分の名前でギルドの取引を保証してやることは出来な
いと言ったからだ。

 軍隊で通商経路を守るような措置もとらない。保証もしない。ギルド側はその申し出を受け入れたの
だ。他の国政は全て議会だが、軍隊だけは公国の中で指揮権をが持つ。






「正直、こちらとしましても、他国に金や銀を持ち出すわけには今はいかないのです。この間の
件もございますから。」






 はやんわりとアプブラウゼン侯爵による銀山占領を暗示する。






「それはこちらには何も関係ないことです。」







 ローデリヒは素知らぬ顔でそう言ったが、軍隊を貸し出したのがオーストリアであると言うこ
とは既に分かっている。

 どう考えてもアプブラウゼン侯爵は4万もの兵士を集められっこないからだ。






「それに、アプブラウゼン侯爵はプロイセン王国の貴族でしょうが。責任はプロイセン王国にあ
るはずです。」

「…アプブラウゼン侯爵は、オーストリアの宮廷に匿われているとお聞きしましたが。」

「いえ、侯爵領にいるはずです。」







 ローデリヒは強く主張するが、プロイセン王国の裁判所への召喚にも応じず、オーストリアに
アプブラウゼン侯爵が頻繁に訪れているのは周知の事実だ。

 はらちがあかないと思い、ふっと息を吐く。







「アプブラウゼン侯爵の件はオーストリアに関係ねぇことだ。プロイセン王国側が悪いと言うん
だな。」







 静かに話を聞いていたギルベルトが初めて口を開く。







「その通りです」

「それはマリア・テレジアの言質だな。」

「そう、ですが…」







 ローデリヒはギルベルトの問う意味が分からず、頷きながらも訝しむ。しかし結局意図が分か
らなかったのだろう、黙り込んだ。







「あ、そ。」






 ギルベルトは素っ気なく言って、椅子に深くもたれかかる。






「どうせならばプロイセン王国への通商も制限されるならばまだしも、オーストリア側だけに輸
出制限をかけるのは、非常に不公平でありこちらとしても抗議しなければならないものです。」







 ローデリヒはそう抗議した。

 確かに、金銀を戦争のせいで輸出制限をかけるというのならば、プロイセン王国にもかけるべき
だとするローデリヒの主張は一理ある。






「どちらにしても、わたしは公国の公爵としてオーストリアに認められていないので、何も決め
られません。」







 は俯きながらなんだか申し訳なくなってきたが、とぼけることにした。

 ここで譲っては絶対にいけないとシュベーアト将軍とアルトシュタイン将軍に口を酸っぱく言わ
れていたし、鉱夫や兵士、死んだ人々のことを考えれば、悲しい顔をされたとしても相手が困っ
ていても、やはり甘い顔は出来なかった。







「要するに、こっちは公国の公爵位をが継いだ事に対するオーストリア側からの承認がねぇと
なんも動けねぇってことだ。」








 ギルベルトがにっと笑いながら手をひらひらと振る。その得意げな顔がむかついたのか、エリザ
ベータの方が手にフライパンを持って立ち上がろうとしたが、があまりに目を丸くして怯えた
顔をしたので、ローデリヒが慌てて止める。







「やめなさい、ここには一般人もいらっしゃるのですよ!!」

「こいつっ、いっつも!」







 エリザベータは怒りが収まらないらしく、ぎりぎりと歯をかみしめる。

 はあまりの女性の変貌に目が点だ。母と共に諸国を回っており貴族らしい暮らしをしたわけ
ではないが、それでもこれほどに凶暴な女性を拝むことはなかなかない。鬼の形相とはまさにこの
ことだろうと、恐怖を忘れて呆然だ。







「大丈夫か?この暴力女いっつもこんな感じだぜ。」






 ギルベルトはもう慣れているのか、固まってしまったの肩を揺する。




「…は、はい。」






 返事をしながらも、いまいちは現実に戻れないでいた。

 一体なんなのだ、この状況は。昔なじみとはいえ、どうしたらこんなことになるのだろう。理
解に苦しんでおずおずとエリザベータを見つめると、ぎんと睨まれた。

 怖い、とても怖い。







「あんたも、覚えときなさいよ!」








 突然彼女に叫ばれ、それが自分に向けられた言葉だと知ってはもうどうして良いか分からな
かった。







「なんとでも言え、ばーか!」







 ギルベルトはエリザベータの脅しにも全く介さず、高らかに笑う。

 収拾のつかないこの場を、が理解できるようになるのは数百年の後のことだった。









 
あっちとこっちの境界 何処?