軍事に私情を絡めた決断を下したをギルベルトは諫めるつもりだった。だが、結果的にそれ
は思わぬ方向に走り出してしまったと言える。
「母上が?」
フリードリヒは眉を寄せて将校からの報告に答える。
「はい。どうやら様を匿っていらっしゃるようです。」
テンペルホーフは国王の詰問にたじろぎながらも答えた。どうやら本当のことらしい。
ギルベルトと喧嘩をした後、バイルシュミット邸を出たまま行方がわからなくなっていたはど
うやらゾフィー王太后の所にいるらしい。既に子供達も嫁いでしまった彼女はサロンを主催したりと
悠々自適な生活を楽しんでいる。
フリードリヒはため息をついて不機嫌そうな顔で椅子に座っているギルベルトに目を向ける。
「どうする。伺うか?」
「・・・」
ギルベルトは彼の言葉に口を噤んだ。
おそらく、ギルベルトの元に返りたくなかったのだろう。落ち着く時間が欲しいのは、彼女だけでは
ない。自分が落ち着かなければ、また彼女を怒鳴りつけてしまいそうだった。
銀山を占領し、銀をとっていったアプブラウゼン侯爵領に賠償金を提示し、補償なき場合は四ヶ月
後にはしかるべき処置をとると通告しただが、実際に彼女は四ヶ月たってもアプブラウゼン侯
爵領を攻めるという形で解決を図る気はないようだった。
フォンデンブロー公国の軍部はそれを望んでいるが、経済を優先させるギルドの意見をは優
先させた。しかしギルドが戦争を望まないのは常のことだ。彼等にとって戦争は通商を阻害するもの
に他ならない。は常に戦争に反対するギルドの意見を、自分の意見と結びつけ、危険から目
をそらしている。
は軍事について何も知らない。今の情勢についてもここ数年学びだしただけで、統治者とし
て常に教育を受けてきたフリードリヒなどとは立場を異にする。女性だと言うこともある。だから、彼
女は知らないのだ。何も。
それでも統治者として立った限りは知らなくてはならない。
彼女はギルドの意見を採用し、自分は妥当な決断をしたと考えていた。また自衛さえしていれば
多くの死者は出ないと考えている。だが、状況が違うのだ。アプブラウゼン侯爵領はオーストリアの
援助を非公式に受けていることは明白で、弱気を見せればフォンデンブロー公国に攻めてくるだろう。
「どうして、」
先に打って出なければ、間違いなく攻められるだろう。なのにどうして彼女はそのことが理解でき
ないのか。あれほどに戦争を怖がるのか。
大切な人を戦争で亡くしたとはいえ、統治者が機を逸すれば今度は大勢の人を殺すことになる。
「落ち着け、彼女が戦争嫌いなのはもともとわかってたことだろう。」
「でも、あいつ私情だけで国政を動かしてんだぞ!?」
政局や状況ではなく、彼女は戦争が嫌いだという私情だけで今、国政を動かしている。それも国
を守るのに一番重要な軍事を。その考えがどれだけ愚かであるか、ギルベルトも、もちろんフリード
リヒもわかっていないはずはない。はあろうことかそれをギルドの意見もあるからと、自分だけ
ではないと思っているのだ。
確かに戦争に反対しているのはだけではないが、ギルドの意見は戦局を把握した上の言
葉ではない。経済としての常の話。
「彼女は厄介だな。なまじ賢いから理論武装もしてくる。」
議会を買収したり、ギルドを動かしたり、は馬鹿ではないから、そう言った手を上手に使って
くる。幼い頃から諸国を回る母についていたせいか、金銭感覚も強く実務能力も高い。部下にいる
と便利なタイプだ。
だが、リーダーとしては優柔不断で、情深いからこそ私情を挟んだ決断をする。
「まぁ、攻められてくれたらあっちも目が覚めて良いのかもしれんな。」
フリードリヒは眉間に指を当てて悩ましげに言った。
荒療治だが、もう一度攻められれば彼女も流石に目をさめて、アプブラウゼン侯爵領攻略に協力し
てくれるかもしれないし、フリードリヒも許可なく他国を攻めたアプブラウゼン侯爵領を攻める口実に
なる。まあ、前回フォンデンブロー公国に攻め込んだ件でも十分口実なのだが。
「でも、が捕らえられたりしたらどうすんだよ!」
ギルベルトはフリードリヒに声を荒げる。
アプブラウゼン侯爵側にオーストリアがついているとなれば、健全な国家運営をしていて強いフォ
ンデンブロー公国も数の上では到底勝てなくなる。ましてやプロイセンともどことも同盟しておらず、
飛び地も防衛しなければならない。
は無鉄砲なところがあるから、捕らえられると言うことも十分に考えられる。そうなれば間違
いなく殺されてしまうだろう。が死ねばフォンデンブロー公爵家の血筋に一番近いのは遠縁の
アプブラウゼン侯爵という事になってしまうのだから。
「おまえも落ち着けと言っているだろう。」
フリードリヒはギルベルトに呆れた様子で返し、静かに目を閉じる。
「鉄は熱いうちに打ちたい。早く攻めてしまいたいというのが、こちらの本音なのだがな。」
フォンデンブロー公国との共同出兵という形をとればフリードリヒ達とて楽にアプブラウゼン侯爵領
を占領できる。プロイセン王国側はアプブラウゼン侯爵領側に鉱山があることを考えればフォンデン
ブロー公国に十分な見返りを約束できるというのに、が納得しない。
「なんだか、彼女はイギリスとも輸出入協定を結ぶ様子があったからなぁ。」
「イギリス?!俺らフランスと組んでんだぜ?」
ギルベルト達はオーストリア継承戦争に際してフランスと条約を結んでオーストリアに対抗しており
イギリスはオーストリアと組んでいたため敵同士だった。その条約は未だ失効していない。
「フォンデンブロー公国の飛び地はハノーファーとフランスとの間にある。海側にあり、制海権がイギ
リスにある限り、イギリスの存在は無視できない。そして飛び地にも鉄はある。」
フォンデンブロー公国がフランスと直接国境を接しているのは飛び地だけで本土の方はザクセン、
プロイセン、オーストリアの三国の間にあるため、フランスは関係ない。フランスとの貿易よりも、イ
ギリスとの貿易を拡大させたい意図は当然だった。
「・・・、そのことなのですが、」
フリードリヒとギルベルトのやりとりを黙って聞いていたテンペルホーフが申し訳なさそうにおずお
ずと口を挟んだ。そう言えば彼の報告の途中だった。
「あぁ、すまないね。報告に来てくれたのに。」
「いえ、あの、様もイギリス側との貿易協定には難色を示していたのですが、」
鉱山は公爵家が管理しており、採掘量はきちんと管理されている。そのため、鉄を望むイギリス側
との協定には難色を示すはずだった。だが、それを受け入れる取引があったとテンペルホーフは言
う。
「・・・その防衛協定をつけると、イギリス側が提案したそうなのです。」
「防衛協定?」
「もしもフランスなどの他国が飛び地の方に進入した場合、防衛をイギリス側が請け負うと言うことで
様は既にそれの受託の意志をイギリスの代表者側に伝えたとか。」
テンペルホーフは書類を確認しながら言う。
ハノーファーとフォンデンブロー公国の飛び地は隣り合っている。ハノーファーはイギリス唯一の大
陸領土であり、防衛に隣にあるフォンデンブロー公国の飛び地は有利に働くだろう。ましてや制海権
を持っているイギリスにとって、海側にあるこの二つの領地を一緒に守ることは容易い。
「なるほど、賢いな。」
フリードリヒはとイギリス側の意図をあっさりと察する。
要するにはフォンデンブロー公国の本国がオーストリアとプロイセン王国に挟まれるという苦
難の状況において、飛び地のフランス、イギリス両国からの防衛は不可能であると考えたのだ。
明確にどちらかにつかなければならないならば、領土的野心の強いフランスよりも、協定を結んで
鉄だけを輸入していれば満足なイギリスの方を選んだのだ。
イギリスの方もフォンデンブロー公国の飛び地を占領することは容易いが、飛び地の鉱山の経営
を行っているのも公爵家で健全な経営と領民の支持で有名なため、もしも飛び地を占領して自国で
経営を始めれば面倒だと言うことはわかっている。鉄を渡してくれるのならば別に占領する必要は
ないと考えているのだ。
「なんで、」
しかしギルベルトには受け入れがたい決断だった。
「なんでだよっ、」
苛立ち紛れに同じ言葉を口の中で反芻する。
「ギル?」
フリードリヒがギルベルトの怒りを見て振り返る。だがギルベルトはそんなの関係なく、壁を思い切
り殴りつけた。衝撃のせいか、擦れた手が痛みを訴えてくるがそんなこと気にならない。心が酷くざ
わついて、頭に血が上る。
「フリッツ。を呼び出せ。」
ぐっと拳を握りしめる。
「だが、」
「呼び出せ。」
短い言葉で、鋭い瞳で、そのままに言い捨てる。フリードリヒはあからさまに嫌な顔をして見せた。
だが、ギルベルトの視線が変わらないのを見ると、息を吐いて同意した。
「わかったさ。我が国。」
我らはおまえとともにある。
だが、彼女は違うんだよ、と。面と向かって言われた気がした。
見開いた眼球で現実を見つめてごらん