が旅立つと同時に、ギルベルトも忙しくなった。

 プロイセン王国側はやはりフォンデンブロー公国の申し出に納得できず、単独でもアプブラウゼン侯
爵領を攻める体勢を辞さないことになったのだ。元もとプロイセン王国としてはアプブラウゼン侯爵は
臣下であり、国王に逆らったという立場を崩していない。


 本来なら会談なども国王の意見あってのことで他国と勝手に行うことなど許されないはずなのだ。

 そのためフォンデンブロー公国とアプブラウゼン侯爵領が完全に会談で仲直りしてしまうと手を出し
にくくなるため、1度目の会談の終了後に軍事的制裁に望むことになった。には言っていない
が、当然のことだ。


 そして、予想では多分イギリスが仲立ちに入ったとしても、議論の進展はないだろう。

 は明朝に出たため、あの夜以来顔を見ていない。最後に見たのは泣き顔だ。悲しそうに、苦
しそうに、ギルベルトに応じたあの姿は、初めて見た。本当は仲直りをしなくてはいけなかったし、もっ
と言葉を交わすべきだったのだと思う。

 なのに、結局ギルベルトがしたことと言えば、体を貪っただけで、何か他にかける言葉もあったはず
なのに、欲望のままに酷いことをしただけ。

 は、なんと思っただろうか。





「はぁ・・・・うわっ!」




 ギルベルトは馬に乗ったまま後ろに反り返ってため息をついたが、馬が揺れたのと同時の後ろに
落ちそうになった。はっとして姿勢を正すと、前の馬に乗るフリードリヒと彼に報告をしていたテンペ
ルホーフが呆れたような目でギルベルトを見ていた。




「おまえ、何やっているんだ。」

「いや、ちょっと考え事を。」




 ギルベルトは適当に誤魔化してまた息を吐く。




「プロイセン、おまえ、黄昏れて考えるようなタイプではなかっただろう。」

「うるせぇよ。そう言う時だってあるんだよ。」




 フリードリヒの軽口に返してから、テンペルホーフから書類を受け取る。

 それはプロイセン側からの会談内容だった。会談が行われているのはアプブラウゼン侯爵領とフォ
ンデンブロー公国の国境にあるベンラス宮殿で行われている。





「全然、無意味らしいな。」




 詭弁、と言ったところだ。報告書を見てギルベルトは自分の予想通りだと思った。

 アプブラウゼン侯爵の論は要するに、プロイセン側から文句を言われればオーストリア側にとりつき
フォンデンブロー公国側から輸出規制をかけられればプロイセン王国内であるのに、国王の許しなく
制限をかけることは違法だとプロイセンを盾にして欺く。

 結局利害でどこにでもつくと言うことだ。そしてプロイセン王国の領地の一つである限りは、勝手をし
てもらっては困る。




「予想通りだな。どちらにしろ、アプブラウゼンに侵攻する予定に変わりはない。」




 フリードリヒはテンペルホーフの報告を早々切り上げ、肩をすくめてあたりを見回した。

 プロイセン王国軍の駐屯地。アプブラウゼン侯爵領にほど近く、ベンラス宮殿から馬を走らせて一日
かかるか、と言うところにある。既に数万の兵が集まっており、あと数日で侵攻を始めるだろう。

 オーストリア側の動きも気になるので、早く兵を集めて占領してしまわねばならない。





「アプブラウゼン侯爵の動きは?」




 フリードリヒが細やかに報告を求める。近くにいた士官はアプブラウゼン侯爵領の動きを事細かに話
していたが、ふと顔を上げた。




「ん?」




 何だろうとギルベルトも士官が目を向けていた方に視線を向ける。そこには見慣れぬ旗を持った人
物がいた。青地にサラマンダーの旗。アプブラウゼン侯爵の旗である。プロイセンは黒鷲に漆黒地に
白地のストライプ。オーストリアは双頭の鷲に緋色。フォンデンブロー公国は橙色と白地にグリフィン
の旗とそれぞれ定められている。


 敵とも等しき人物の旗に、ギルベルトは思わず眉を寄せる。


 軍人とおぼしきその旗を持った男を先頭に合計五人の騎馬がフリードリヒの前にやってくる。謁見を
求めに来たらしい。




「私は裏切り者と、一切の会談を取り持つ気はないが。」



 フリードリヒは勝手な行動をした臣下の使者に冷徹な言葉を浴びせる。




「私、フォン・ヘスと申します。アプブラウゼン侯爵からの使者として訪れました。」




 騎馬で一番前に出た男が馬を下りてそう名乗った。まだ若い男だ。




「ご託は結構だ。用件だけを告げてくれたまえ。」




 フリードリヒは先をせかす。ギルベルトは思わずくどいアプブラウゼン侯爵からの使者に顔をしかめざ
る得なかったが、次の言葉で呆然とした。




「フォンデンブロー女公・フォン・アプブラウゼンの死をここにお知らせいたします。」

「は?」





 あまりのことに、ギルベルトは気の抜けた声が唇から勝手に漏れた。




「これによって継承権はフォンデンブロー公国の血筋上一番近い、アプブラウゼン侯爵ルドルフにうつ
ります。このお知らせはフォンデンブロー公国の首都ヴァッヘンにも早馬でお伝えしております。」




 若い男の言葉は酷く冷静だった。

 おそらくヴァッヘンよりもこちらの方が会談が行われているベンラス宮殿から近いから、恐らく知ら
せがヴァッヘンへと運ばれるのは1日後だろう。

 この時代、別に人の急死は珍しくはない。だが、あまりにもタイミングが良すぎる。




「遺体は?」




 フリードリヒは冷静な確認をする。




「・・・・いえ、私どもがお伝えしろ言われたのは以上でございます。」





 男はそう言ってフリードリヒに深々と頭を下げた。



 死んだ、と。

 ギルベルトはその言葉に呆然とする。

 最後に見た苦しそうな泣き顔が瞼の裏に焼き付いている。謝ってすらいない。なのに、彼女はいな
くなったとでも言うのだろうか。

 それでもは元気だった。彼女といるようになってたった数年だが、基本的に結婚してすぐの冬
に風邪を引いた以外は驚くほどに健康で、だからこそ、彼女は常に臣下から子供が望まれていたが
誰もが時間の問題で、彼女が大人になれば大丈夫だと思っていた。

 彼女自身が健康面ですぐ何かあるとは考えにくいから、後数年は大丈夫だろうと、誰もが、

 だからギルベルトも、少し離れてもまたあえると信じていた。





「殺し、たのか、」




 気づけば、ギルベルトは馬から下りて男に銃を向けていた。酷く冷えた、自分でも驚くほどに冷たい
声音だった。




「ギルベルト。」

「黙ってろ。」




 止めるフリードリヒにギルベルトははっきりと言って、銃で男の首もとを叩いた。冷たい銃の感触が
ギルベルトの手の温もりを受けて温かくなっていく。




「なぁ?」




 恐れおののく男が膝をついた。だが、それを冷徹な目で、ギルベルトはただ見ただけだった。何の
感情もわかない。




に、銃を、向けたのか?」




 あの子は血を誰よりも望んでいなかった。だからこそギルベルトと喧嘩になった。戦争を、戦争で奪
われる人々を、フォンデンブロー公国の己の民だけではなく、アプブラウゼン侯爵領の民が巻き込ま
れることを危惧していた。

 戦争で一番悲しむのは戦う側ではなくて、下にいる人々、関わる人々だと言うことを、は一番
知っていた。こんなことになるくらいなら、交渉に上る彼女を無理矢理にでも止めておけば良かった。
無理矢理、彼女を征服していれば良かったのだ。

 人間は死んでしまったら終わりだ。終わり、




「・・・し、しらん。ただ、そ、そう、だと・・・・」




 自分はアプブラウゼン侯爵の命令で来たと、男は銃を突きつけられて何度も繰り返しそう言った。他
の男達の顔も凍り付いている。ギルベルトは自分がどれほどに冷たい表情をしているか、知らない。
だが、本気で撃つ気だった。そして相手もそれがわかっていたのだろう。

 ただ、彼等が知っているのはそれだけのようだ。




「そうか。」




 ギルベルトはあっさりと答えて、ちらりとフリードリヒを伺う。彼は何か酷く言いたげな顔をして口を開
いたが、結局眉を寄せながらも一つ頷いた。

 欠片の躊躇いもなかった。躊躇った者から打たれて死ぬのが戦争の常だ。

 軽い音。広がる血。

 それを一番嫌うのが彼女であったとしても、もう何も止められそうになかった。








  終止符の重さ 眩暈