はすぐにプロイセン軍とともに坑道からアガートラームの街へと急いで戻った。
既に城壁周辺ではアプブラウゼン侯爵軍との小競り合いがあり、怪我人や死者も出ていたがそ
れも夕刻、日が傾く頃になれば自然に一時停戦となった。夜明けとともにアプブラウゼン侯爵軍が
攻勢をかけてくるのは明確であるため、プロイセン軍を早くアガートラームに坑道から入れ、持ち場
につかせる必要があった。
坑道は狭いので一度に多くの人が入れるわけではない。だからこそ、早く行動を始めなければな
らなかった。
オーストリア継承戦争の際、フォンデンブロー公国の後継者であったカール・ヴィルヘルム公子を
殺したことからプロイセン軍に対する印象はあまり良くなかったが、アガートラーム周辺は直接プロ
イセン軍の侵攻を受けておらず、またプロイセン王国の将軍であるギルベルトがフォンデンブロー女
公の夫としてアプブラウゼン侯爵軍を前回退けていることもあり、プロイセン軍を熱烈に歓迎した。
軍隊をが直接指揮することは出来ないので、は後方支援や補給、非戦闘員の退却
を任され、実際の防御の指揮はフリードリヒ2世がとることになった。
「弾は大丈夫ですか?」
は市長であるクライストに渡された書類を確認しながら、元々アガートラームの街に備蓄さ
れている大砲や弾、銃の量から食糧、プロイセン軍側が坑道から持ってくる補給用の弾や食料の
管理から、坑道を通して非戦闘員のプロイセン国境側への退却を指揮した。
坑道には現地民の案内役が必要だ。プロイセン軍の各大隊につける現地民の鉱夫も手配した。
「はい。十分に。ただ、城門を長らく閉めているため補給がままなりませんので、備蓄分ではおそら
く2日持つか、持たないか・・・」
「じゃあ4日は持ちますね。プロイセン軍が7日分は持ってきているようですから。」
はクライストに笑って、窓の外を見つめる。松明がたくさん揺らめいているのは、配置につ
く兵士達を先導したり、非戦闘員を非難させたりと人通りが絶えないからだ。
「・・・ギルベルトが多分、うまくやってくれるとは思うのですが・・・・」
アプブラウゼン侯爵の軍は総勢2万強。騎兵も多い上、オーストリア側の兵士も借りてきていると
見られている。
対して、らフォンデンブロー公国はプロイセン軍が2万3000と公国軍が6000。地元の市民
兵が3万だ。後から1万ほどの公国軍が来るだろうが、明日になるだろうし、市民兵はド素人に過ぎ
ない。自分の街を守るためと意気は高いが、銃を撃ったこともない市民も多い。そもそも市民は商
業を生業としており、狩猟をするわけではないのだ。銃を持つはずがない。
アガートラームに配備されるプロイセン軍は1万だ。プロイセン軍は全部で2万3000だったが、アプ
ブラウゼン侯爵領に後から侵入することを考えれば、アガートラームに配備するプロイセン軍は一万
が妥当だった。ましてやプロイセン軍が大きく動けばアプブラウゼン侯爵軍も怪しむだろう。プロイセ
ン軍の一部を置いていくことは戦略的にも必要だった。
残された一部である一万3000の兵士を率いるのは、ギルベルトだ。今は打ち合わせのためにア
ガートラームにいるが、すぐに駐屯地の方に戻り、残りの軍を指揮する予定だ。国王が指揮を執ら
ない理由はただ一つ、駐屯軍の方が後からアプブラウゼン侯爵領に侵入するため危険が大きいか
らだ。
おそらくアガートラームの中までアプブラウゼン侯爵軍が侵入することはあり得ない。
「修道院と教会の手配は?」
「すんでいますよ。」
扉からアルフレートが入ってくる。アルフレート・フォン・シェンクはアガートラームの上役の貴族だ
ったらしく、が戻ってくると驚いた顔をして、すぐに協力していろいろな所へと奔走してくれた。
また、彼の息子は利発な少年で坑道の道に通じているらしく、プロイセン軍に驚きながらも案内を
買って出てくれた。
修道院と教会の建物は戦傷者の収容に使う。そこには既に医者を配備してある。既に何人か日
が暮れる前の戦いで負傷した人が運び込まれていた。
「すいませんが、避難状況を見てきていただけますか?北の区域の避難が遅れているとの情報が
ありましたので。」
「喜んでいって参ります。」
アルフレートは頭を下げすぐに退出する。クライストも食料調達の確認のために出て行くと、それと
入れ替わりにギルベルトが入ってきた。
「・・ギル、」
は座っていた椅子から立ち上がり、彼を迎えた。ふと前の喧嘩を思い出して、どうしたらよ
いかわからなくなったが、うまく言えない感情に戸惑いながらも、ギルベルトが手を広げるので、彼
に抱きついた。
夜明けまで時間はあるが、多分後数時間で、ギルベルトはプロイセン王国軍に戻らなくてはなら
ない。
「あ、あの、わたし、ごめんなさい。」
はギルベルトの腕に手を添えて、躊躇いながらも口にした。
すると彼が僅かに体を離しての顔を覗き込む。緋色の瞳がこちらをじっと見ていた。その伺
うような視線に恥ずかしくなって、はギルベルトの肩に顔を埋める。
「ごめんなさい、わたし、酷いことを言って、」
彼はを心配してくれていた。だからを止めようとしてくれたのに、はちっとも彼
の言うことを聞かず彼が戦争を望んでいると思って彼を怒鳴りつけたのだ。許されることではない。
後悔ばかりが胸にこみ上げてきてはごくりと息をのんだ。
ギルベルトの大きな手がの頭をぐしゃりと撫でる。
「俺は、おまえが生きててくれれば、良いんだ。」
強い力で、腕に抱き込まれる。彼はが死んだと言う嘘の訃報を聞いたのだという。
「驚い、た?」
は震える声で尋ねて、ギルベルトを見上げる。彼の緋色の瞳が丸く見開かれて、それから
表情をくしゃりと歪めて、目を細めた。少し身を離され、肩をぐっと掴まれる。手袋越しではあるが、
指が食い込んで痛い。けれど彼の感情の全てを示しているようだった。
「どれだけっ、どれだけ心配したか、本当に、」
ギルベルトが何度も言いつのる。
「ご、ごめんなさい、わたし、わたし、」
はあまりのギルベルトの必死な様子に、その時の悲しみを思って涙が出た。多分
が同じ事を知らされれば、泣いて動けなくなっただろう。
ギルベルトは泣くにはっとして、皮の手袋を取っての目元を拭う。
「ごめんな、怒鳴るつもりは、なかったんだ。」
喧嘩の時の話だろう。あんな別れ方をして、挙げ句の果てに突然死んだと聞かされればなおさら
衝撃が大きいはずだ。喧嘩は、ギルベルトが悪かったわけではない。の浅慮がもたらしたも
のだ。大きな手がの亜麻色の髪を優しくかき上げてくれる。それを感じて、ますます涙がこみ
上げてくる。
「わたし、・・・ごめんなさい、ギルがわたしのために、いってくれていたのに」
は自分のためだけに、ものを言っていた気がする。
「いろいろなこと言って、ごめんなさい。素直に言うこと、きけなくて、ごめんなさい、で、でも、わたし
は、」
彼が謝るべきじゃない。が悪かったのだ。あんなに彼は止めたのに、勝手に突っ走ってあ
げく死んだかもなんて言われて、ギルベルトは怒ってもよいはずだ。
あきれられたって仕方がない。
「わたしは、ギルが好きだから、だから、それは変わらないから、ごめん、なさい。嫌わ、ないで、」
うつむけば、頬に添えられたギルベルトの手が、上を向かせる。目の前にある緋色の瞳をみるの
はとても怖かったが、細められた瞳は血の色なのに、とても優しい。朝日みたいだと、いつも思う。
こつんと額があわさって、互いの吐息が感じられる。
「俺も、好きだ。嫌うなんて、絶対にない。」
小さくギルベルトが笑う。彼の少し恥ずかしそうな様子に、も思わず涙をためたまま笑って
しまった。
どちらからともなく、そっと唇をあわせる。
多分、一緒にいられる時間は数時間だけでギルベルトは部隊に戻らなくてはならないし、
だって仕事に戻らなければならないだろう。
そう思えば耐えられなくなって、口づけを深くする。ギルベルトがキスの合間にの服に手を
かける。だが、はっとして唇を離し、を見下ろす。酔うように性急な手が、困ったように固まっ
ているのをみて、は小首をかしげた。
「いいか?」
「え?」
はっきりと尋ねられて、逆には戸惑う。こんな場所でと思えば、「はい」と答えるのはあまり
にはしたない。思わず顔を真っ赤にして顔をそらそうとすると、ギルベルトは違うと首を振った。
「この間、すごく、固まってただろ?」
「あ、あれは。」
喧嘩の後だったのでどう応じてよいかわからず、ギルベルトに触れていたかったのに、うまくギル
ベルトに応えることができなかったのだ。いやだった訳ではない。彼に応えるのは決して。
ギルベルトはこの間のことを反省して、どうやらの答えを待つ気でいるらしい。
「大丈夫、触れてください。」
はそっとギルベルトの頬に自分の唇を重ねる。するとギルベルトは驚いたような顔をしてい
たが、同時に笑っての首筋に唇を押しつけた。
その栄光は誰が 為