次の日、日が昇ると同時に始まったアプブラウゼン侯爵の攻撃に城壁とともに耐えながら、
はアガートラームの街の後方支援に応じた。プロイセン軍はよく訓練されており、逆に市民兵はほ
とんど銃を持ったことがなく役立たずに等しかったため、実質的に城壁で銃を構えたのは1万のプロ
イセン軍と6000の公国軍だった。
アプブラウゼン侯爵の軍は二万強だが、らは城壁を盾にすることができ、またアプブラウゼ
ン侯爵軍を今日の夕方まで持ちこたえれば近くの大都市の公国軍1万が到着する。またアガートラ
ームにおいて苦戦させ、アプブラウゼン侯爵軍をフォンデンブロー公国側に引き寄せ、ギルベルト率
いるプロイセン軍1万3000はアプブラウゼン侯爵領自体に攻撃を仕掛ける。
「様、薬が、」
「薬師が戦傷にきく薬を大量に作ったはずです、倉庫に取りに行ってください!」
修道女かはたまた修道院にいた孤児なのか、教会に収容されたけが人を救護していた少女は慌
てた様子で倉庫へと薬を取りに行った。
それを確認して、は目の前のけが人に目を向ける。
城壁はかなりの高さと強度があるため、アプブラウゼン侯爵軍の主な武器は鉄砲だ。この時代の
マスケット銃の命中率は悪いが、それでも塀の上まで届くやっかいなものだ。
フリードリヒのおかげで10時ぐらいにあった相手の総攻撃をなんとかしのぐことができた。だが少
なからず死傷者も出ており、多くが銃によるけがで、玉を抜かなければならなかった。鉛の玉は体
の中に長く置くと鉛中毒を引き起こし、危険だ。グロテスクな方法だが、弾丸の入った傷の場所に
細いペンチのようなものを差し込み、玉を引き抜くことからしなければならない。
麻酔などがないので細かい作業はないため、ある程度みていれば誰にでもできるが、傷をえぐら
れる痛みに体が跳ね上がるため、押さえる人間が必要だった。
は元来血は苦手だ。
だが、領民のためにそうは言ってられず、救護所で働くことを選んだ。自分の身も危ないが、ギル
ベルトが心配で、何もせずに執務室にいれば頭が狂ってしまいそうだった。だからといって戦場に
出ることもできない。ならば、救護所で働くぐらいしていないと、頭が狂ってしまいそうだった。
「ひっ、おねえ、」
はぐれたのか、救いを求めて小さな子供が教会の中に入ってくる。男の子か女の子か、薄汚れた
服装からは伺えない。は慌ててその子を抱え上げた。
ここは城壁近くの教会だ。ヘタをすれば大砲の破片が飛んできてもおかしくない。
「おいで、」
は子供を見やると、男の子だった。
「ふぁたぁ、どこぉ?」
「お父さん?」
「たたかうって、ふぁた、」
彼の服をみれば、彼の身分は決して高くはなさそうだ。彼の父親はおそらく、市民兵か何かで戦
っているのだろう。だが、ここは子供が着てよいような場所ではない。
「そう、向こうで待っていてね、」
男の子を近くの修道女に託し、はまた兵士たちのけがの治療に戻る。
銃の攻撃だけなので、大砲の時のように体がばらばらという人はいない。だからまだ多くの人が
助けられる。
「・・・・平原に出ていらっしゃる方は、もっとすごいでしょうけれどね。」
ひとりの修道女がが治療している兵士の隣にきて、柔らかにそう言った。
それにどきりとしたのはだ。平原で戦うのはギルベルトが指揮する舞台なのだ。彼が戦場
において先頭に立たないと思えない。彼はおそらく勇敢だろう。だからこそ、多くの人がギルベルト
を賞賛する。
「・・・公爵様、」
表情を曇らせたを、怪我をしてベッドに横たえられている兵士が呼ぶ。
「大丈夫です。きっと勝ちます。」
はなんの脈略もなく、けれど兵士を安心させるようにそう笑った。彼はこの街アガートラーム
の市民兵で、城壁の近くでアプブラウゼン侯爵軍の銃撃を胸元に受けた。
「大丈夫です。」
強く、怪我人たちのすべてに聞こえるようにはっきりと言えば、息も絶え絶えなのに腕を振り上げ
る人や、雄叫びを上げる人々もいた。
昼を回れば徐々に怪我人も増える。はただ怪我人の治療に専念した。
「・・・敵はきていませんか。」
不安げに一人の兵士がに尋ねた。
ここは城壁のすぐ近くで、もしも城壁を敵が突破したならば、一番におそわれてしまうだろう。
だが、は根拠などないが、大丈夫だと言い続けた。心の中では本当は泣きたかったし、こ
んな血まみれの怪我人ばかりの場所では、否応なしに悲壮感も募った。
今まで従軍経験もないので、戦場でどのくらいの人間が死に、怪我をするのかわからない。
そのためこれほどの人数が怪我をしているというのは、自分たちの軍が不利なのではないかと心
の中で疑うこともあった。だが、の表情を伺うようにしている兵士たちをみるとは暗い顔
ができなかった。
「必ず勝ちますから、大丈夫です。フリードリヒ陛下は、本当にお強い方です。」
は安心させるために兵士たちの手を握りながら、自信ありげに応えた。
本当は自信なんてこれっぽちもないし、戦局だってさっぱりわからない。でも、勝っても負けても、
たぶん兵士たちがに求めているのは「安心」させてくれる存在だ。
「わたしがここにいるのですから、ここは安全ですし、大丈夫ですよ。」
はそう言って兵士たちの包帯を自らかえ、手が汚れようが服が汚れようがかまわず兵士た
ちを抱え、時には痛みにもだえ苦しむ彼らを賢明に諭し、酷い時には看取って自らの手で布をかぶ
せた。
「様、そのようなことは!」
しまいにはペンチを持って玉を取り出す手術まで始めたを修道女がさすがに止めたが、別
にはもう血に汚れることも気にならなかった。
「大丈夫ですよ。第一、人手が足りないのですから。」
酷い怪我の時は、裁縫ができる女性が傷を縫うしかない。荒い処置方法ではあったが、戦場で
はもう仕方のないことだった。医者は難しい手術だけに回され、簡単なものは一般人がする。役立
たずという点ではだって同じだ。だから、戦う彼らのために何かしたかった。
そして、国民を身近に励ませることは、国民にとっても力になる。これほど頼りない自分でも慕っ
てくれる限りは。
「様!」
突然扉を開けて教会に入ってきたのは、金髪の鮮やかな小さな男の子だった。
この街の貴族であるアルフレート・フォン・シェンクの長男であるクラウスだ。彼は坑道をよく知って
おり、兵や避難民の案内役として働いていたはずだ。まだ6歳だが坑道を何往復もさせられ、それ
でも文句を言わないとギルベルトやテンペルホーフがほめていた。
「どうしました?」
「公国軍がつきました!砲撃をやめたのを合図にアプブラウゼン侯爵軍を一掃すると、」
クラウスは飛び上がりそうな勢いで万歳をする。
どうやらフリードリヒの方へは誰か大人が連絡に行っているらしく、かれはわざわざと怪我
人たちに知らせにこの教会に来たようだ。
「公国軍は1万5000だよっ!騎兵がたくさんいるって!」
予想よりも5000多い。だが近くの年に駐屯していたのは1万であることを考えれば、おそらく別の
都市か、はたまた志願兵を集めたのだろう。警戒のためにオーストリアとの国境に近い場所の兵は
絶対に動かすなと命じてある。プロイセンとの国境に近い方の軍隊を出してきたのだろう。
それはある意味でオーストリア継承戦争で敵だったプロイセンへの警戒をとき、オーストリアへの
警戒を主流と考え出したと言うことになる。
「ひとまず、この街は勝利ですね。」
公国軍とプロイセン軍の騎兵が城塞前のアプブラウゼン侯爵軍を一掃すれば、アガートラームの
街での戦いはこれで終わる。
がほほえんで頷くと、教会にいた人々から歓声が上がった。
「我らの勝利だ!」
ざわざわと喧噪が広がり、朗報を知らせに坑道の方へと走る人々もいる。
坑道の向こうには非戦闘員が避難しており、朗報を待っているだろう。彼らの妻や家族がそこに
はいる。
「フォンデンブロー公国万歳!」
一人の兵士が叫んだ。それは公国軍の兵士なのだろう。だが、それきり、息絶えた。勝利の報に
安心して気力が絶えたのだろう。
彼の叫びが広がり、人々が声を上げる。熱狂的な空気とともに冷たくなっていく兵をみて、
は胸が張り裂けそうだった。
「女公万歳!フォンデンブロー公国万歳!!」
人々が叫び声を声の限り張り上げる中で、は天井を見上げた。
は国民と共に生きていく。そのために、一つの感情を捨てなければならないことを、理解し
ていた。
届かない愛を歌う為に